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2014/10/26(特別伝道集会の週報) 理解できなくても、信じる信仰 ヨブ記 1章 11−12節 「『しかし、あなたの手を伸べ、 彼のすべての持ち物を打ってください。 彼はきっと、あなたに向かってのろうに違いありません。』 主はサタンに仰せられた。 『では、彼のすべての持ち物をおまえに 任せよう。 ただ彼の身に手を伸ばしてはならない。』 そこで、サタンは主の前から出て行った。 」 信仰に疲れ果ててしまうことがあります。やること、なすことがうまくいかず、喜びや感謝が吸い取られてしまいそうになることがあります。そんな時、どうしてこうなってしまったのか、その原因や過ちを追及して、悔い改めと対策を立てることは大切なことです。しかし、それだけでは不十分です。神の業は人には理解できないこともあるからです。 聖書の中で、最大の試みに遭った人と言えばまずヨブが挙げられると思います。そして、ヨブの苦しみの一番の問題は、「なぜ自分がこのような苦しみに遭うのか」その理由がわからなかった事にあります。この時、ヨブが上記の「神様とサタンの天上の会話」を少しでも聞くことが出来たら、ヨブは誘惑に備えて、心構えをし、用心し、戦うことができたと思います。しかし、このことは、ヨブには最後まで隠されています。なぜなのでしょうか? それは信仰とは、わかるから(理解できるから)信じるのではなく、神が神であるゆえに信じることだからです。そうでなければ、人間の知識や理解力には限界がありますから、理解できる時は信仰が強くなり、理解できない時は不信になり、いつも浮き沈みの多い信仰になってしまいます。常に理解できなくても信じられる人になりたいです。 (文=松本俊雄 牧師) バックナンバーはこちらから |