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2012/12/02 今日一日、自分を0にできるように マタイの福音書 16章 24節 「それから、イエスは弟子たちに言われた。 『だれでもわたしについて来たいと思うなら、 自分を捨て、自分の十字架を負い、 そして、わたしについて来なさい。』」 今年も12月になりました。それぞれが1年間の反省と締めくくりをする時期となりました。私は祈りのノートを書いていますので、時々、昨年の今頃はどんな祈りをしていただろうかと、見直す時があります。そして今年、祈りに大きな変化がありました。それまで長い間(たぶん20年以上)、祈りの最後に「神様、今日一日私に奇跡を見せてください。」と書いていました。 しかし今年の夏頃、あまり奇跡を求める祈りは自分本位なのではないか?という思いが与えられました。私は牧師ですから、自分のことより、他の人のために多くの執り成しの祈りがあります。そしてそれらの問題は本当に深く、重いものばかりです。どこをどうすればよいのか?人間的な考えでは不可能なことばかりしか見えてきません。 そんな時、私の祈りは「神様、この問題は人間的にはどう考えても不可能です。この解決は神様の奇跡しかありません。」であり、どうかお願いします、と祈っていました。しかし、よく考えてみれば、「この解決の方法」も私が勝手に決めているのではないか?と疑問がわいて来ました。聖書は、祈りとは私たちの思い通りになることではなく、まず神のみこころがなるように祈る事を教えています。そして、みこころを求める時、一番邪魔になるのが「自我:自分の思い」です。まず自分を0にできれば、どんな祈りの結果も喜べるようになります。感謝なことです。 (文=松本俊雄 牧師) バックナンバーはこちらから |