今週のトピックス |
2012/07/01 試練は相手の立場に立つための神の計画 へブル人への手紙 12章 11節 「すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、 かえって悲しく思われるのですが、 後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」 先週の教会設立31周年記念礼拝で、特別講師として、港北ニュータウン聖書バプテスト教会の鹿毛独歩先生が、メッセージを取り継いでくださいました。その中で、ご自分の証しとして、娘さんがご病気でわずか6歳で天に召された話がありました。本当に辛く悲しい出来事であったと思いましたが、先生はその事を通して、「福祉に対する重荷を自分の事として体験することができました」、と話されました。私はそれを聞いて、人間は相手の悲しみは、「自分が経験しない限り理解できないのだ」と改めて深く示されました。 そう思うと、「試練」についての考え方が変わりました。今まで「試練」は、自分が成長するために必要なものであることは理解していましたが、それ以上に「試練」を通して、同じ試練にある方々と同じ立場に立つことができるようになることです。 以前、「愛とは思いやりであり、思いやりとは相手の立場に立つこと」である、と聞いたことがありますが、「相手の立場に立つこと」は本当に難しく、不可能ではないかと、考えていました。しかし、「試練」を通して同じ体験をし、相手と同じ立場に立つなら、そこに本当の思いやりが生まれ、愛が生まれます。そう思うと、試練の度に不平、不満ばかりを言ってしまう自分が恥ずかしくなりました。 (文=松本俊雄 牧師) バックナンバーはこちらから |