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2012/05/20 浮き沈みのある信仰でもよい Uコリント人への手紙 4章 16、17節 「ですから、私たちは勇気を失いません。 たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 今の時の軽い艱難は、私たちのうちに働いて、 測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」 キリスト者として、一つの目標がありました。それはいつか浮き沈みのない信仰を持ちたいと いう夢です。若いころは、いつか歳とともに、聖書の知識も信仰的体験も増えて、自然にある程 度落ち着いた信仰生活ができるのではないかという楽観的希望を持っていました。しかし、現実 はその逆のような気がしていました。たしかに聖書知識は少し増えましたが、それと同時に今ま で気づかなかった、理解や矛盾に悩む箇所も増えたように思います。信仰的体験も多くなり、確 信の一部にはなっていますが、それはあくまで過去のことであり、今現在目の前にある、大きな 困難を乗り越える力にはならないように思えてしまうこともあります。 先日、ある本の中に「ヨブの信仰はゆるがない。なぜならヨブはゆすぶられた後に得た信仰だ から」という文が書かれていました。それを読んだ時、信仰は「浮き沈みがあってもよいのだ」 と思いました。浮き沈みがあるから、その中でもがき、苦しみ、外側が壊され、内なる人が日々 新しくされていくのかもしれません。毎日、朝、定期的に聖書を読み、祈る生活は大切でしょう。 しかし、この世の希望がすべて失われ、聖書を読まなければならない一日を始められない朝もあ ります。祈りながらでなければ、歩めない時も歩めない時もあります。 それでよいのだと思いました。 (文=松本俊雄 牧師) バックナンバーはこちらから |