1988年 仕事でアフリカ タンザニアの国営ラジオ局 「ラジオタンザニア」に 約1ヶ月行きました。

タンザニアの首都「ダルエスサラーム」から車で半日程かかる、第二の首都 「ドドマ」での
新局舎の放送設備の調整とトレーニングの仕事でした。
「ドドマ」に1軒しかないホテルに泊まりました。
ホテルの周りは、なにもありません。
 朝は、のどかに野鳥の声で目を覚まし、ホテルで朝食をとりました。
食事は、口に合わず、持っていったレトルトのカレーとカップラーメンがご馳走でした。 
仕事場 のラジオタンザニアは、歩いて10分位の所にあります。
 最初のうちは、何人かの日本人がおりましたが、仕事が終盤にさしかかると
数人しかいなくなり、最後の1週間位、スタジオには、日本人は、私一人でした。
周りの人すべての人が、当然ですが、黒人です。
その上日本語通じるはずもなく、とても言いしれない圧迫感が最初のうちありました。
 そこの町には、TVは無く電気も無い家も多く、肌の色が白い人を見たことも無い人もおり、
歩いていると、好奇な目で見られ、あとを付いてくる子供もさえいました。。
 仕事が終わり、迎えの車が来て、帰る途中で、車がトラブルを起こし、最初はガタガタと 
かなり強く揺れ、しばらくし斜めになりやっと車が止まりました。
なんと後輪が外れてどっかにいってしまったのです。
 予備のタイヤに交換しようとしたのですが、ボルトの山が潰れており、ナットが締まらないのです。
仕事道具の中にヤスリがあったので、山を作るように、ボルトをみんなで削りました。
その結果何箇所か、ナットがかろうじて掛かり、ノロノロと出発しました。
しかし途中でまた外れ、この時あたりは真っ暗で、修理は不能でした。
 あたりは、電気も、電話もなく、本当に真っ暗で、しかたなく車で野宿しました。
食料は全く無いので、おなかは空くし、蚊には食われるし、暑く大変でした。

 朝起きてみると、なんと民家の前でした。   黒い野次馬が、たくさん集まってきました。
チーフが定期バスになんとか乗り、救援隊を呼びに、首都ダルエスサラームまで行ってくれました。 
その間、我々は、近くの農民から、マンゴ売ってもらい、カッタ−ナイフで切り分けて食べました。
 結局半日位待ち、代わりの車とレッカー車を連れてチーフが戻ってき、なんとか救出されました。
そして首都ダルエスサラームのラジオ局に行ったのですが、そこでエアコンの効いた部屋で冷たい
オレンジジュースを出され、なんとか、復活しました。
後にも先にも、あんなにおいしい オレンジジュースを飲んだ事ありませんでした。
帰りは、飛行機の関係で、タンザニアの首都 ダルエスサラームのホテルで2泊し、帰国しました。
泊まったホテルは、シーサイドのホテルで、プライベートビーチまであり快適でした。
夜、ホテルのラウンジで波の音を聴きながら、ウイスキーの水割りをちびちび楽しみ、色々な出来事を想い出し
1ヶ月の、この旅に終止符をうちました。
      
カトマンズの街並み
タンザニアの部屋
私です
自分のおみやげに買った お面、オノ、ヤリ
(マサイ族 3点 セット)
「ダルエスサラーム」の シーサイドホテル近くの早朝の海岸
ラジオ局の女性エンジニアと ドドマ駅での、のどかな風景 頭に荷物を乗せている カメラを向けるとポーズを取る少年たち
近くの子供たち 栄養失調のため おなかが膨れています ラジオタンザニア 「ドドマスタジオ」にて

帰りにトラブッた車 ( 追突防止に葉っぱを付けている )

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