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イラン、イラク戦争の最中に、仕事で3回行きました。
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最初は、中継車の納品調整で2週間、その次は、新設のラジオのスタジオとテレビのスタジオの設置調整で約5ヶ月 |
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最後は、総合のメンテナンスで1ヶ月行きました。 |
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仕事場は、バクダッドにある、国営のラジオ局とテレビ局です。 |
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私が行く1ヶ月前に、ゲリラがトラックに爆弾を積み、局の入り口で自爆しました。 |
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放送局を見学に来ていた幼稚園児たちが、犠牲になったそうです。 |
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その話を聞いたのが、成田の空港で、「行きません」とは言えず覚悟決めました。 |
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空襲警報にも何度か遭い、ホテルの地下や、放送局の地下に逃げ込みました。 |
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放送局の入り口には、装甲車が待機しており、局の屋上には、空から攻撃を警戒するため |
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双眼鏡を持った兵隊さんが機銃を持って警戒してました。 |
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タバコ1本あげて、イラクの兵隊さんから、自動小銃を触らせてもらいました。 |
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放送局の入る時、所持品検査があり、110号プラグがカバンに入っており、鉄砲の弾と勘違いされ、大変でした。 |
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夏はとても暑く、50℃位まで気温が上がります。 |
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でも湿度は低いので、カラットしてましたが、とにかく夏は、暑かった。 |
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言葉は、仕事は英語ですが、町での買い物などは、アラビア語でなければ通じず、苦労しました。 |
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半年行ってた時の帰りにJALの飛行機に乗ったのですが、搭乗口でスチュワーデスさんから |
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「いらっしゃいませ」と言われ、なにかとても感激してしまいました。 |
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なにせ女性の話す日本語 聞いたの半年ぶりだったもので ・・・・ ``r(^^;)ポリポリ |
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私の人生の中で、とてもとても貴重で恐い色々な体験でした。 |