
67. コンク−ルドキュメント3
2002年2月2日(土)、第1回フラメンココンクー
ル大阪予選当日を迎えた。どんより曇り空の、まる
で私の心境を描いているような天気だった。場当た
りは11時半からだったので、朝10時半前にキコを
迎えにHep Fiveに向かった。Hep Fiveはまだ開店
前だったので、入り口の外で待つことにした。この
日の気温は7度くらいで、寒かった。しかし、いく
ら待ってもキコは来なかった。その時ふと、ある日
のことを思い出した。数週間前に私が主催したキコ
のカンテクラスの日、待ち合わせ場所でいくら待っ
ても彼は来ず、アパートまで探しに行っても見つか
らず、結局クラスをすっぽかされたことがあったの
だ。幸いその日のクラス受講者は理解のある人ばか
りだったので、事なきを得た。その夜キコに電話し
たら「mariが前日電話をくれなかったからすっか
り忘れていたよ。次はちゃんと行くから。」と詫
びる様子がなかったことを思い出し、嫌な予感が
してきた。 10時45分過ぎると、私はかなり焦り
だした。遅くても11時にはここを出ないと間に合
わない。このコンクール予選はゲネ(簡単な通し)
がない上、個々の場当たりもないから、出演者を
半々に別けた場当たりはとても重要だ。
(当初場当たりもない、と告げられていたのが、
予選の数日前に急遽出演者全員の場当たりが決定
し、その時間が知らされたのだ。)
キコが来なかったどうしよう、と考えただけで心
臓がばくばく鳴り出した。そういえば昨年の新人
公演の時もスペイン人アーティストが全然来なく
て焦ったことを思いだし、もうスペイン人は何で
いつもこうなの!なんて怒りながら、それでもひ
たすら待ち続けた。この待ち時間の長いことと
言ったら、それを文章で上手く書けないのがと
ても悔しい。
そうこうする内に11時になり、Hep Fiveがオー
プンした。私はダッシュで5階のEl Flamencoに
行ってキコがいないか探したら、従業員の人が
朝10時頃下のエレベーター前でキコを見掛けた
と教えてくれた。その時、コンクールに出演予
定の他のアーティスト達と一緒にいたというの
を知ったので、もしかしたら彼等と先にテアト
ロに行ったのかもしれないという希望を胸に、
私はタクシーに飛び乗った。
ありがたいことにこの日の道路は比較的空いて
いて、新大阪駅近くにある大阪メルパルクホ−
ルまで10分くらいで到着した。楽屋口に駆け込
むと入り口に受付があり、私は自分の名前を言
う前に「スペイン人のキコは来ていますか?」
という言葉がでてきてしまった。受付の人は嫌
な顔もせず、笑いながら「大丈夫、ちゃんと来
ていますよ」と教えてくれた。私が安堵の胸を
なでおろしていたら、すぐ横のロビーでたばこ
を吸っていた歌い手の友達に「キコはもう来て
いるのに、遅いぞ!」と笑い飛ばされた。
受付を済ませた私はすぐ指定された楽屋に入り、
衣装に着替え、アーティスト控え室にキコを探
しに行った。どうも顔を見るまでは安心が出来
なかったからだ。控え室入り口にたくさんの
スペイン人が屯っていたが、そこにキコの姿は
見えなかった。 私はそこにいたギタリストの
ミゲロンに「ねえ、キコはどこにいるの?」と
聞いた。
「キコはお腹がいたくなって帰ったよ。」
「えっ、嘘でしょ。さっき受付で控え室にい
るって聞いたのよ。」
「本当に帰っちゃったんだよ。だからマリの
時歌えないんだよぉー。おい、セバスチャン、
お前代りに歌ってやれよ。」と他の歌い手に言う。
「オレはどんな歌を歌ったらいいか分かんな
いしよぉ、歌えねえよ。」と茶化された。
どうしてスペイン人はこんな時まで冗談を言う
んだろうか?諦めて他の日本人に聞いたら、た
ぶん上の舞台袖にいるんじゃないか、と教えて
くれた。もうすぐ場当たりの時間だったので、
私は舞台に向かった。
>>4へ続く
2002.02.18.
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