66. コンク−ルドキュメント2

12月の東京発表会が終わってから、休む間もなく

コンクールに向けてアレグリアスの稽古を開始し

た。 予選では5分以内に踊らないといけない規定

があったので、構成と振り付けをどうするか考え

ることから始めた。ちょうど東京発表会の舞台上

で自分の進むべき道をはっきり見つけた後だった

ので、どんなスタイルにするかはすぐ決った。

悩んだのは見せ場であるエスコビージャをどう盛

り上げるかだった。パソとパソの間を単純にカッ

トしてつなぎ合わせるとリズムが単調になってし

まい、つまらなくなってしまう。ビデオやCDを

聴いて研究に研究を重ね、ギタリストと相談しな

がらいろんなバリエーションをつくり、MDに録

音して聞きながらリズムをつくっていった。この

練習で新しい発見をたくさんした。今まで聞き逃

していたさりげない1コンパスに重要なリズムが

刻まれていたことや、ギタリストとの掛け合い、

リズムの流れなどが少しづつ見えてきたのだ。

全体の構成と振りがまとまってきた1月初旬に、

スペイン人アーティストのキコが出演OKの返事

をくれた。これはとても嬉しい返事だった。一気

にやる気が倍増した。

1月中旬からカンテの二人も合流して本格的なエ

ンサージョが始まった。 エンサージョ初日は、

サリーダ(出だし)で歌って欲しいレトラがあっ

たので、それを覚えてもらうことにした。他の歌

を持っているからこれなんかどう?と提案された

けど、このレトラにはこだわりがあったので、私

の意見を通すことにした。

サリーダの打ち合わせが終わってからは、いきな

り合わせをした。今回の振り付けは、サリーダ以

外は説明しなくてもすぐ合わせられるようにして

いるから、特に説明する必要がない。そういう振

付けの方が、本番でトラブルも少ないのだ。

踊り手である私が特別指示をださない限り、カン

タオーラは好きに歌っていい。昨年の新人公演で

鍛えたお陰でアレグリアスのレトラは問題なかっ

たものの、最後のブレリアではつまずいてしまっ

た。キコが毎回レトラを変えて歌ってくれるのだ

が、メディオが入ったり入らなかったり、それに

合わせてセンティードも変わったりで、それに反

応して即興で振りを変えることが出来なかったか

らだ。ブレリアに関しては昨年の新人公演とは状

況が違ったので、ここで自分の力量不足を再認識

してしまった。ここで歌を指定してそれに合わせ

て踊れば楽だと分かっていても、私はイバラの道

を選ぶことにした。毎回レトラが変わる度にその

センティードに合わせて振り付けを変えることに

したのだ。

それは、コンクールの前日まで続いたので、正直

言って不安にかられたけど、結果的にはセンティー

ドのすごい勉強になった。

エンサージョの間、キコはただ歌うだけでなく、

サリーダのハモりを提案してくれたり、他にも

アドバイスをしてくれたお陰で、全体がいい感じ

にまとまった。

しかし、たくさん練習したのにも関わらず、何故

かコンクールの数日前から自信を無くしてしまい、

緊張で夜も眠れなくなってしまった。

それは 急に逃げ出したくなる自分との戦いだった。

>>3へ続く

2002.02.011.

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