65. コンク−ルドキュメント1

昨年のいつだったか忘れたが、このサイトの掲示

板にフラメンココンクールの案内が書かれていた

ことがあった。それはマルワ財団主催の第1回フ

ラメンココンクールの案内で、何と大阪で予選が

あるという。対象は35歳以下でプロアマ問わず。

場所はメルパルクホールという1000人以上入る

立派なテアトロで行われる。こういうところで踊

れる機会は滅多にないので、すぐ出場を決意した。

しかし私の決心を揺るがすかのように、周囲の友

人からは出ても賞は取れないから損、お金の無駄

よ、と水を差されてしまった。どうも過去にも似

たようなコンクールが開催されたらしいが、主催

者の舞踊団員が賞を総なめし外部から相当批判を

受けたと聞かされた。そういう話しを聞くと、悩

んでしまう。どうしよう・・・。

しかし悩んでも前には進まないし、挑戦してみな

いと夢は叶わない。人の噂は噂として聞き流すこ

とにした。 コンクールの結果はどうであれ、観に

来てくれるお客さんに自分の踊りを楽しんでも

らったり、何かを感じてもらえればいいのでは、

と目標の焦点を絞ることにした。こうして私は

コンクールの申し込みをすることにしたのだった。

コンクール予選を申し込んでから、何を踊るか、

バックアーティストを誰に頼むか、年末までに決

めなくてはいけなかった。予選の申込書に、演目

はアレグリアス系かソレア系と書かれていたので、

私は迷わずアレグリアスを踊ることに決めた。

問題は、バックアーティストを誰に頼むかだった。

日本フラメンコ協会主催の新人公演もそうだけ

ど、このコンクールもバックアーティストの手配

は自分でしないといけない。もちろん、ギャラも

自腹だ。予算のない人は、ギャラの安い人に頼む。

予算より自分のこだわりを優先させたかったら、

高くてもいいアーティストに頼むことになる。

この選択が非常に難しい。私は自分のこだわりを

優先させるため、歌い手は贅沢に二人頼むこと

にした。その内ひとりはスペイン人にしたかっ

たので、12月の発表会が終わってすぐに

アーティストのキコに出演の依頼をした。彼

の返答は、「まだ1ヶ月以上も先の話だし、今は

まだ考えられないよ。来年どうするか返事する

から、それまで待って」と焦らされた。スペイン

人相手の交渉は本当に根気が必要だ。とりあえず

もうひとりの歌い手は、日本人に頼むことにした。

ギタリストも関西で活躍の日本人の方にお願いす

ることにした。

>>続く

2002.02.09.

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