
2001年8月8日、中野ZEROホールの暗闇の舞
台で、私の身体は緊張で震えていた。何かとん
でもない失敗をしそうで恐かった。アナウンス
が流れ、カンタオールが歌い始め、照明が徐々
に明るくなってきた。 サリーダ(出だし)は、
「苦しみ」を表現したかったので、ただそれを
意識して、歌を聴きながら踊り始めた。ジャ
マーダから歌を呼び、苦しみのなかから見い
出した「喜び」を意識しながら、カンテと共
に踊った。バックから、昨日までの険悪な空
気は一切感じられず、私の踊りに集中してく
れて、本当に助かった。さすがプロは違う。
歌振りの後の追い上げで決めた時、客席から
ハレオがかかり、これで気分は少し盛り上がっ
た。シレンシオで、リハの時とは違う照明に
なった。あっ美香先生がいろいろ指示してく
ださったんだなぁと思いながら、「喜び」から
「苦しみの過去に引きずられる自分」を意識
して踊った。エスコビージャは、体力的な疲
れと緊張で、レマ−テの前で盛り上げて抜け
ることができず、全体的に単調なリズムになっ
てしまい、反省している。ブレリアの前の追
い上げはもたついてしまい、ブレリアも踊り
がぷつぷつ切れてしまって、最後の追い上げ
と締めのブエルタも荒く、自分で情けなかっ
た。ただ、最後まで大きなミスもなく踊りき
ることができたのは、日々の稽古のお陰だと
思う。
幕が降りて、カンタオールの二人が私のとこ
ろに来て、良くやった、と抱擁してくれた。
舞台のそでには、出演者(他の踊り手のバッ
ク)であるスペイン人の友達のお父さんが立っ
ていて、「Mari、すごくよかったぞ。」と声
をかけてくれた。彼は出番真際じゃないのに、
わざわざ舞台袖で見守ってくれていたのだ。
それから美香先生に、「よく頑張ってたね。」
と抱擁してもらって、これが一番嬉しかった。
100%満足な踊りは出来なかったけど、たく
さんの人に支えられ、私の新人公演の初舞台は
無事に終わった。
「すごい良かったよ。感動した。」という友人
の言葉に、私は複雑な気持ちで一杯だった。
やはり私の踊りはまだ発表会レベルなのか?
「そんなことないよ、本当に良かったんだから」
と言われても、素直に喜べない自分がそこには
いた。たぶん、自分で納得のいく踊りが出来な
かったからだと思う。
それから1週間後に、両親が本音を語ってくれ
た。「あんたの踊りは、素人としてみたらすご
いけど、プロとしてみたらまだまだ観れたもん
じゃないよ。もっと稽古して、もっと場数踏ん
で、頑張りなさい。上手くなるには、当分時間
がかかるね。」そういって、レッスン援助金
をくれた。両親の気持ちに、闘志がわいてきた。
よし、来年もまたがんばるぞ!
2001.09.11.
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