45.新人公演当日<後編>

2001年8月8日、中野ZEROホールの暗闇の舞

台で、私の身体は緊張で震えていた。何かとん

でもない失敗をしそうで恐かった。アナウンス

が流れ、カンタオールが歌い始め、照明が徐々

に明るくなってきた。 サリーダ(出だし)は、

「苦しみ」を表現したかったので、ただそれを

意識して、歌を聴きながら踊り始めた。ジャ

マーダから歌を呼び、苦しみのなかから見い

出した「喜び」を意識しながら、カンテと共

に踊った。バックから、昨日までの険悪な空

気は一切感じられず、私の踊りに集中してく

れて、本当に助かった。さすがプロは違う。

歌振りの後の追い上げで決めた時、客席から

ハレオがかかり、これで気分は少し盛り上がっ

た。シレンシオで、リハの時とは違う照明に

なった。あっ美香先生がいろいろ指示してく

ださったんだなぁと思いながら、「喜び」から

「苦しみの過去に引きずられる自分」を意識

して踊った。エスコビージャは、体力的な疲

れと緊張で、レマ−テの前で盛り上げて抜け

ることができず、全体的に単調なリズムになっ

てしまい、反省している。ブレリアの前の追

い上げはもたついてしまい、ブレリアも踊り

がぷつぷつ切れてしまって、最後の追い上げ

と締めのブエルタも荒く、自分で情けなかっ

た。ただ、最後まで大きなミスもなく踊りき

ることができたのは、日々の稽古のお陰だと

思う。

幕が降りて、カンタオールの二人が私のとこ

ろに来て、良くやった、と抱擁してくれた。

舞台のそでには、出演者(他の踊り手のバッ

ク)であるスペイン人の友達のお父さんが立っ

ていて、「Mari、すごくよかったぞ。」と声

をかけてくれた。彼は出番真際じゃないのに、

わざわざ舞台袖で見守ってくれていたのだ。

それから美香先生に、「よく頑張ってたね。」

と抱擁してもらって、これが一番嬉しかった。

100%満足な踊りは出来なかったけど、たく

さんの人に支えられ、私の新人公演の初舞台は

無事に終わった。

「すごい良かったよ。感動した。」という友人

の言葉に、私は複雑な気持ちで一杯だった。

やはり私の踊りはまだ発表会レベルなのか?

「そんなことないよ、本当に良かったんだから」

と言われても、素直に喜べない自分がそこには

いた。たぶん、自分で納得のいく踊りが出来な

かったからだと思う。

それから1週間後に、両親が本音を語ってくれ

た。「あんたの踊りは、素人としてみたらすご

いけど、プロとしてみたらまだまだ観れたもん

じゃないよ。もっと稽古して、もっと場数踏ん

で、頑張りなさい。上手くなるには、当分時間

がかかるね。」そういって、レッスン援助金

をくれた。両親の気持ちに、闘志がわいてきた。

よし、来年もまたがんばるぞ!

2001.09.11.

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