歴史資料館内部の様子
内部は芭蕉や清風関係の資料が展示さている
入館料:一般200円
開館時間:9時〜4時30分

芭蕉・清風歴史資料館
鈴木清風宅の隣に建てられた資料館。古い商家を移築したもの。昔のの尾花沢の雰囲気を伝えている。
入口近くに芭蕉像が建っている

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

奥羽本線(山形新幹線)大石田駅
尾花沢の最寄駅で、山形新幹線も停車する。大きな駅ではないが客待ちのタクシーが目立つ

尾花沢市街の様子
度重なる火災のせいかあまり古い建物は残っていないようだ

芭蕉が堺田から山刀伐峠(なたぎりとうげ)に向かったのは5月17日(陽暦7月3日)の朝である。封人の家の主人の勧めで、脇差と樫の棒を持った屈強の若者を案内人にした。
昼なお暗い林の山道を進むさまは、「おくのほそ道」に緊迫感をもって綴られている。「あとで思い出すだけでもドキドキする」ような峠を越えると、旧知の鈴木清風が待つ尾花沢(おばなざわ)まではあと三里ほどである。

私が清風宅跡(歴史資料館)に着いたのは、15:30頃だった。中を見学してから芭蕉が泊まった養泉寺にも行ってみようかとも思ったが、様変わりしているようだし、時間も気になったので省略して大石田に向かう。尾花沢の町は、ちょうど「おばなざわ花笠まつり」の最中だった。山形で有名な「花笠踊り」は、ここ尾花沢が発祥の地だという。夕方から花笠踊り大会があるということで、だんだんと人が集まり始めているようだった。
尾花沢のJR最寄り駅は奥羽本線大石田駅である。町の中心部から駅までは4Kn近く離れている。最後のひとがんばりで、大石田駅に着いたのは16:30頃だった。

芭蕉は、尾花沢に10泊した後、清風の勧めで立石寺(山寺)に立ち寄ることにした。尾花沢から羽州街道を天童まで行き、そこから山寺街道を歩いた。山寺で1泊し、帰りは同じ道を引き返して大石田に泊まっている。
現在では、羽州街道(国道13号線)に並行して奥羽本線が走っている。芭蕉は天童まで(途中までだが)馬で送られているようだし、私も大石田〜天童間は鉄道を利用することにした。今日は天童で1泊し、明日、山寺街道を経て山寺まで行く予定である。
天童のビジネスホテルには17:30頃到着した。

尾花沢

山刀伐峠を越えたあと、芭蕉と曾良は途中、夕立に降られながらもようやく尾花沢にたどり着いた。すぐに訪ねたのは鈴木清風宅である。清風は当時、紅花(べにばな)などを江戸や京都に売る店の若旦那で、年齢は39歳。江戸に数年滞在したことがあり、その際に俳諧を学び、芭蕉とも交流があった。芭蕉は再会を楽しみにしていたという。
清風宅は今は失われているが、その跡に隣接して芭蕉・清風歴史資料館がある。古い商家を移築したもので、清風宅そのものではないにしても、広い土間や蔵造りのある二階家は、芭蕉が訪れた当時の尾花沢の雰囲気を伝えている。
清風は、芭蕉を一晩泊めたあと、近くの養泉寺に案内した。地元の多くの俳人たちが自由に訪問しやすいようにとの配慮であった。芭蕉はここに7泊し、途中清風宅にも2回招かれている。都合10泊と、この旅では大変長い日数を尾花沢で過ごしたことになる。風流を解する人たちに囲まれて、芭蕉は気持ちのよい日々を送ったようである。「おくのほそ道」では、尾花沢での句として次の四句を載せている。

 
すずしさを我やどにしてねまるなり (清風のおかげで涼しいこの宿で我家のようにくつろいで座っているのだ)
 這い出よかひやが下のひきの声 
(蚕室の床下で蟇蛙の声が聞こえる。蟇蛙よ、出てきて私の相手をしておくれ)
 まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 
(紅花を見ていると、女性の眉掃きを思わせ心楽しくなる)
 蚕飼(こがひ)する人は古代のすがた哉 (曾良) 
(ここで蚕を飼う人々は古代の人のような質朴な姿だなあ)

山刀伐峠「歴史の道

説明板のあるところから古い峠道が始まる。かなり急な道だが、階段状によく整備されているので歩きやすい。途中に「芭蕉腰掛石」というのがいくつかあった。芭蕉は「おくのほそ道」本文で、この峠越えの印象を次のように記している。
『高山森々(しんしん)として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし。雲端につちふる心地して、篠(しの)の中踏分々々(ふみわけふみわけ)、水をわたり、岩に躓(つまずい)て、肌につめたき汗を流して、最上(もがみ)の庄に出づ。』
このような道を50分ほど登ると、峠の頂上に着く。少し手前で旧県道と出会い、ここには広い駐車場もある。駐車場から頂上までは、階段を登ってすぐである。

赤倉温泉から山刀伐峠(なたぎりとうげ)登山道まで

今日(8月27日)の私の予定は、赤倉温泉から山刀伐峠を越え、県道28号線(最上 尾花沢線)を進んで尾花沢に出る。ここで鈴木清風旧居跡などを見学した後、奥羽本線の大石田駅に出、ここから電車で天童に行き1泊する予定である。今日の行程は約25Kmと比較的短いので、旅館を8:30頃出発した。
県道に出て50分くらい歩くと、山刀伐峠トンネルに着く。トンネルの手前に左に曲がる道がある。トンネルができる前の旧県道で、九十九折の舗装道路が続いている。これとは別に、芭蕉の歩いた古い峠道は「歴史の道」として残されている。少し先に「歴史の道」の入口があり、大きな説明板が立っている。

説明板より  山刀伐峠・・標高470mで、北側が急で南側が緩やかな地形が猟師や農民がかぶる「ナタギリ」に似ていることから山刀伐峠(なたぎりとうげ)」と呼ばれるようになったといわれる。


  

正厳

関谷

市野々

芭蕉・清風歴史資料館

尾花沢

大石田駅

奥羽本線

国道13号線
(羽州街道)

県道28号線

山刀伐峠

国道47号線

赤倉温泉

陸羽東線

赤倉温泉駅

山刀伐峠旧県道の様子
トンネルができてからはほとんど車は通らない。少し先に古い峠道の「歴史の道」の入口がある

県道の山刀伐トンネル
トンネルの手前を左に曲がる道が旧道で、トンネルができる前の県道として使用された
山刀伐峠頂上

峠の頂上付近には、ブナの原生林が残されている。近くに「子宝地蔵尊」「子持ち杉」があり、その背後に「奥の細道山刀伐峠」の石碑が建っている。これには『高山森々として』以下の本文の一節が刻されている。また、近くにはベンチやあずまやもあり、鬱蒼としたブナの原生林を眺めながら一休みできる。

山刀伐峠古道の様子
昼なお暗い道で、「反脇差(そりわきざし)をよこたえ、樫の杖を携えた
屈強の若者が芭蕉たちの先に立って歩いた

山刀伐峠登山道入口
ここから急な登山道が始まる。よく整備されているので歩きやすい道である

山刀伐峠頂上付近の様子
頂上付近にはブナの原生林が生い茂っている。その一角に「おくのほそ道」の一節を刻した石碑が建っている

山刀伐峠頂上の子宝地蔵尊
舟形の猿羽根地蔵と兄弟といわれる「子宝地蔵」として信仰が厚い

山刀伐峠頂上から県道まで

頂上を過ぎると、道は緩やかになる。時々、舗装された旧県道に出会い、一部この道を歩くこともある。このような道を1時間くらい歩き、最後に小さな川を渡ると元の県道28号線に出る。登山口からここまで、約2時間ほどである。

芭蕉は、案内して来てくれた若者と別れるときの様子を次のように記している。

「かの案内せしおのこの云(いふ)やう『此みち必ず不用(ぶよう)の事有。恙(つつが)なうおくりまいらせて、仕合せしたり』と、よろこびてわかれぬ。後に聞きてさへ、胸とどろくのみ也」

案内してくれた男は、「この道を通るときには、必ず厄介ななことが起きるのですが、今日は何もなくお送りできて幸せでした」といって喜んで別れた。山越えの後で聞いたのだが、ドキドキするばかりだ。

峠道の最後に渡る川
峠道を登って下るだけなので、川を渡るのは下ってからのこの1回だけである

山刀伐峠頂上からの下り道
頂上からの下り道は、のぼりに比べるとかなり緩やかになる。時々、舗装された旧道と出会いながら下ってゆく

関谷番所跡標識
側面に「芭蕉サミット記念2005」とあった
尾花沢で「芭蕉サミット」が開かれたようだ

市野々集落
ここから尾花沢行きのバスが出ている。11時台、13時台、15時台に1本ずつ便があるが、運転日注意(13時台は日曜運休)

「奥の細道山刀伐峠」の標識
ここで山刀伐峠の旧道と県道が合流する。トンネルを抜けた車が多くなる

県道48号線を尾花沢へ

峠からの旧道が県道とぶつかるところに、大きな「尾花沢市」の標識と「奥の細道 山刀伐峠」の案内標識が立っている。ここから先、尾花沢市街地までこの県道を歩くことになる。40分くらい歩くと、市野々の集落に着いた。ここからは尾花沢行きのバスが出ている。チラと時刻表を見たが、次のバスまでは1時間半以上あるようだ。県道をタンタンと進んでゆくと、道の脇に「関谷番所跡」という新しい標識が立っていた。この近くの適当な木陰で昼食にした。12:30頃だった。
ところで、今回の旅では足にマメができてしまった。歩き始めて慣れてしまうとあまり感じなくなるのだが、立ち止まったり、歩き始めるときには結構痛い。今年の3月に買った靴で、ほとんど毎日使っていたのだが、これまでそのような兆候はなかった。今回は、初日の長距離歩行とその後の山道の連続で、右足小指の先があたってしまった。
さらに1時間くらい歩いて、宮沢支所前バス停に着いた。ここでバスの時刻表を見ると、あと5分くらいでバスが来るようだ。ラッキーとばかりにここでバスを待つことにした。ところが、いくら待ってもバスは来る気配はない。心配になってもう一度よく時刻表を見ると、日曜運休の印がついている。曜日の感覚がなくなっていたのだが、よく考えると今日は日曜日だ。残念。次のバスまでは2時間くらいある。気を取り直して、再び歩きはじめる。