長月の初、古郷に帰りて、北堂の萱草(けんそう)も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、はらからの鬢(びん)白く眉皺(まゆしわ)寄て、只「命有て」とのみ云て言葉はなきに、このかみの守袋をほどきて、「母の白髪をがめよ、浦島の子が玉手箱、汝が眉もやゝ老たり」と、しばらくなきて、
         
      手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜
 

大和の国に行脚して、葛下
(かつげ)の郡竹の内と云処は彼(かの)ちりが旧里なれば、日ごろとヾまりて足を休む。

       わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく

二上山当麻寺に詣でゝ、庭上
(ていしやう)の松を見るに、凡(およそ)千とせもへたるならむ、大イサ牛をかくす共云べけむ。かれ非情といへども、仏縁にひかれて、斧斤(ふきん)の罪をまぬかれたるぞ幸にしてたつとし。

       僧朝顔幾死かへる法
(のり)の松


(ひとり)よしののおくにたどりけるに、まことに山ふかく、白雲峯に重り、烟雨(えんう)谷を埋(うづ)ンで、山賎(やまがつ)の家処々にちひさく、西に木を伐(きる)音東にひヾき、院々の鐘の声は心の底にこたふ。むかしより、この山に入て世を忘れたる人の、おほくは詩にのがれ歌にかくる。いでや、唐土(もろこし)の盧山(ろさん)といはむも、またむべならずや。

ある坊に一夜をかりて

       碪
(きぬた)打ちて我にきかせよや坊が妻

西
(さい)上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町計わけ入ほど、柴人(しばびと)のかよふ道のみわずかに有て、さがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼(かの)とくとくの清水はむかしにかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける。

       露とくとく心みに浮世すゝがばや

若しこれ、扶桑
(ふさう)に伯夷(はくい)あらば、必ず口をすゝがん。もし是、許由(きょいう)に告げば、耳をあらはむ。
山を昇り坂を下るに、秋の日既
(すでに)斜になれば、名ある所々み残して、先ず、後醍醐帝の御廟を拝む。

       御廟
(ごべう)年経て忍ぶは何をしのぶ草


やまとより山城を経て、近江路に入て美濃に至る。います・山中を過て、いにしへ常盤の塚有。伊勢の守武
(もりたけ)が云ひける「よし朝殿に似たる秋風」とは、いづれのところか似たりけん。我もまた、

       義朝の心に似たり秋の風

不破
       秋風や藪も畠も秋の風

大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出
(いづ)る時、野ざらしを心におもひて旅立ければ、

       しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮


桑名本統寺にて

       冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす

草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに浜のかたに出て、

        明ぼのやしら魚しろきこと一寸

熱田に詣。
社頭大イニ破れ、築地はたふれて草むらにかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰
(ここ)に石をすえて其神と名のる。よもぎ・しのぶ、こゝろのまゝに生(おひ)たるぞ、中々にめでたきよりも、こころとヾまりける。

        しのぶさへ枯れて餅かふやどり哉

名護屋に入
(いる)道の程風吟ス。

        狂句木枯らしの身は竹斎に似たる哉

        草枕犬も時雨
(しぐる)ゝかよるのこゑ

雪見にありきて

        市人よ此笠うらふ雪の傘

旅人を見る

        馬をさへながむる雪の朝
(あした)

海辺に日暮
(くら)して

        海くれて鴨のこゑほのかに白し





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野 ざ ら し 紀 行 (二)

(故郷伊賀上野から畿内行脚の旅)

伊賀上野芭蕉生家と句碑

綿弓塚

吉野山よりの遠望

とくとくの清水

不破関跡(藤古川付近)

桑名の浜

熱田神宮