★芦ノ湖と富士山 / 二子山

とうとう芦ノ湖に着いた。箱根神社の鳥居の向こうには真っ白な富士山がうっすらとと見える。ここからこんな真っ白な美しい富士山を見るのははじめてだ。東には二子山がくっきりと見える。

★三枚橋 / 箱根旧道(県道)

今日は、いよいよ箱根旧東海道歩きである。天気は快晴、歩く前からワクワクしてくる。小田急箱根湯本駅から国道を少し戻り三枚橋を渡ると、旧街道になる。現在は県道で、車がようやくすれ違える位の狭いところもあるが、この道をバスも通っている。道は急な上り坂となり、汗をかきかき登る。道沿い、少し入ったところに奥湯元温泉街がありこれを通り過ぎる。ホテル「初花」前で箱根新道と接続しており、車の数も多くなる。

★箱根石畳道

この先に江戸時代からそのままの苔むした石畳が続いている。まさに「箱根八里」の唄の世界だ。「羊腸の小径は苔なめらか・・」思わず口ずさんでしまった。こういう道を歩いていると本当にこれまでの疲れは吹き飛んでしまう。ただ、石畳もこうにごつごつしていると、少々歩きにくいなと思った。石畳の構造を説明した解説板もあり、排水などにも配慮している事がわかった。

第6日目 (2月23日 金曜日) 箱根湯本〜箱根宿






★畑宿本陣茗荷屋跡 / 箱根旧街道一里塚跡碑

旧道が県道にぶつかると、そこが畑宿だ。畑宿は街道の立場(休憩場)として賑わったところだ。急坂を喘ぎながら登ってきて、漸く休憩できるところとして貴重な存在だった。ここに「畑宿本陣茗荷屋跡」という碑が立っている。大名などがここで休憩したという。現在の畑宿は、箱根名物寄木細工の生産地として知られている。少し先に「箱根旧街道一里塚」の碑がある。江戸より23里とある。


★樫の木平 / 茶屋からの見晴らし

ここからまた道は石畳となる。そろそろお腹がすいたなと思うころ見晴らし茶屋の看板があった。旧道からはかなり急な石段を上って県道に出なければならないが、仕方がない。上ったところは「樫の木平」といい、そこに茶屋があった。ここからの山々の見晴らしは最高である。天気はいいし、2月とは思えない暖かさだし、言うことなし。ここで食事をし、また急な石段を下りて旧道に戻る。


★甘酒茶屋

これから先、県道を歩道橋で渡ったり、県道に沿って歩いたりしながら旧道を行くと、県道脇に「甘酒茶屋」がある。バスの停留所、マイカーの駐車場などもあり、結構人がいる。今日は旧道を歩いていて、これまでウォーキングを楽しんでいるような人には一度も出会わなかったので、少しびっくりした。ここは「箱根旧街道資料館」ともなっていて山駕篭,合羽、腰付弁当箱など当時の旅の用具が展示されていた。


★雪の旧道

甘酒茶屋の少し先に「箱根旧街道 元箱根まで40分」の大きな案内板がある。箱根旧街道の観光コースなのだろう。少し雪が残っているなと思っていたら、しばらく行くと道が真っ白になってきた。深いとこらは15センチくらいあるのではないかな。思いがけず箱根の雪道の経験をしてしまった。まさに箱根の山は天下の険、高山なのだ。ということを実感した。


★最後の下り「権現坂」

雪もだんだんと少なくなっていよいよ最後の下り坂「権現坂」だ。これを下りると芦ノ湖である。坂を下りたところに先ほどと同じ箱根旧街道の案内板。元箱根・箱根峠を経て三島に至る、とある。




★須雲川自然探勝歩道

県道をさらに進むと、須雲川自然探勝歩道という案内板があった。道路標識には奥湯元3.5Km、畑宿1.7Kmとある。アスファルトの県道をずいぶんと登ってきたものだ。東海道はもうしばらく県道と一緒のようなので、ここはハイキングコースの自然探勝道の方を歩くこととする。ここはまだ石畳ではないがようやく箱根の自然に触れたようでほっとした。

★箱根石畳道 / 箱根旧街道標識

自然探勝歩道は一旦県道に出て、そこから少し県道を行くと、今度は本格的な箱根旧東海道・石畳道に入る。「これより江戸時代の石畳」という標識がある。このあたりは明治時代に小学校の通学路として補修したものだという説明板があった。
旧道は一旦県道に出て、「箱根旧街道」の標識の旧道に入る。

★箱根旧道杉並木 / 箱根関所跡

昔ながらに立っている杉並木の旧道をゆっくりと歩く。雪はまだ少し残っているが歩きにくいほどではない。昔の旅人は最後の難関、関所のことを考えてあまりゆったりとした気分にはなれなかったかもしれないが現代の旅人は気楽なものである。気持ちがいいなあ。ようやく箱根関所跡に着いた。関所の中、資料館などを見学する。今日の旅はここまで。ここからバスで帰途につく。

歩行距離  約12km   歩数 21,800歩