第21日目(9月16日 日曜日)  水口宿〜石部宿〜草津宿

★アーケード付の旧道(平町商店街) / 水口石橋・近江鉄道踏切

宿泊したホテル(ホテルニューミフク)は旧国道1号線沿いにある。昨日はあせって探したので遠く感じたが、東海道の旧道からそれほど遠くない。
ホテルを8時頃出発し、10分くらい歩いて旧道に復帰する。ここからの旧道商店街はアーケード付である。朝早いので商店はまだ開いていない。アーケードを抜けたところに「東海道」と刻まれた石橋がある。その先で近江鉄道の踏切を渡る。すぐ左には水口石橋(みなくちいしばし)駅がある。


★広重画「水口宿・名物干瓢」 / 水口祭と曳山巡行説明板

少し先に「水口コミュニティセンタ」というのがあって、広重の「水口宿・名物干瓢」が掲出されていた。水口は昔から干瓢作りが盛んで名物となっていた。夕顔の実を細長く切り、夏の強い日光に干して出来上がる。町はずれでそんな作業に余念がない女たちののどかな風景を描いている。
また、そのすこし先の湖東信用金庫の脇に「水口祭と曳山巡行」の大きな説明板があった。これによると、水口祭は水口神社の春祭りで、このときに曳山巡行が行われる。享保20年(1735年)にはじめて曳山が出され、最盛期には30基あまりに達したという。


★水口城跡 / 水口の力石

旧道を左に少し外れたところに水口城跡がある。この城は、三代将軍家光の京都上洛時の宿泊用として築かれ、京都の二条城に似た造りになっているという。その後、天和2年(1682年)加藤明友が入封、水口藩が成立し、その居館となった。建物等は明治維新時に破壊されたが近年復元され、内部は水口城資料館となっている。今日は時間が早いため、中には入れなかった。残念。旧道に戻って少し行くと、「水口の力石」という石と説明板があった。宿場町には時々見られるものだが、これは浮世絵師の国芳が錦絵の題にとっているという。この辺りは水口藩庁にも程近く、長大な百間御長屋や小坂町御門などがあり、城下のたたずまいが濃かった、とあるが現在は全くそんな気配は感じられない。


★北脇縄手と松並木 / 泉一里塚跡

水口の町並みを抜けると、のどかな農村風景が広がる。この辺りは北脇縄手(畷)と呼ばれ、田んぼの中の一本道で両側は松並木になっていたという。現在では松並木はないが、まっすぐな道が続いている。
その先には、泉の一里塚跡がある。


★横田の渡し跡に建つ大常夜灯 / 野洲川(横田川)

一里塚から少し行くと大きな常夜灯が見えてくる。このすぐ裏には野洲川(横田川)が流れており、「横田の渡し」があった。ここに旅人の目印になるようにと、巨大な常夜灯が文政5年に建てられた。その高さは10.5mあり、東海道中でも最大級のものとされている。
横田の渡し跡は公園になっており、大正時代の橋の写真や渡しの説明板などがある。現在の橋は、少し下流に国道1号線の橋として架けられている。


★JR草津線・三雲駅 / 旧道沿いの古い造り酒屋

野洲川を渡ってすぐのところに、JR草津線の三雲駅がある。これから先、東海道線の草津駅まで、旧東海道はこのJR草津線に沿って歩くことになる。なんとなく心強く感じるのは不思議なものである。三雲駅前の賑やかとはいえない商店街をとおり、旧道は坦々と進む。途中には古い家などもいくらか残っている。


★吉姫神社山門 / 石部本陣跡碑、明治天皇聖蹟碑

やがて、道は石部宿に入って行く。宿の入り口の近くに吉姫神社がある。ここの狛犬は木造で、南北朝時代のものだという。かなり歴史のある神社である。この少し先に石部本陣跡の碑が建っている。小島本陣といい、豪壮鮮麗な建物だったらしいが、老朽化により昭和43年に壊され、現在にいたっているという。ここには明治天皇も2回ほど宿泊されたという。その碑も建っている。
京立ち石部泊まり」といわれ、江戸に向かう旅人の多くは、この石部宿が最初の宿泊場所だった。旅籠の数も多かったようだ。


★近江富士(三上山) / 旧道沿いの古い家

石部宿を出たあたりは昔、石部金山と呼ばれており、古くは聖武天皇の時代に銅が採掘された記録がある。
また、右手には近江富士といわれる三上山が見える。この山は百足山とも呼ばれ、俵藤太秀郷がここに住む大ムカデを退治した、という伝説で有名な山である。この辺は、まわりは畑で、近くにはJRの電車が走るのどかな道である。やがて道は「伊勢落」という地区に入ってゆく。旧道は、また坦々と続いてゆく。


★旧和中散本舗跡

旧道をさらに行くと、異様に大きな古い建物が見えてくる。これは、和中散という薬を製造、販売していた店の跡で、製薬場、店舗などもそのまま保存されているという。現在、国の重要文化財に指定されている。建物内部の見学は事前に予約が必要とのことで、残念ながら中を見ることはできなかった。そういえば、川崎宿手前の梅屋敷でも和中散を販売していたが、こちらが本店になるのかな。


★東海道小野村の旧道風景 / 「東海道小野村飴屋」の木札を掲げた家

旧道はなおも坦々と続き、やがて六地蔵といわれる地区に入る。この辺には古い家も多く、「東海道小野村○○屋」の木札を掲げている。なかなか趣のある道である。
JR草津線の手原駅近くになると、この木札は「東海道手原村××屋」に変わってくるが同じように表示されている。途中で弁当を買える所がなかったので、手原駅の近くでコンビにか食堂を探そう。駅の近くは何もないので、旧道を少し外れて探してみた。この辺は、京都、大阪方面も通勤圏なのだろう。適当な食堂があったので少し遅い昼食にする。13時50分だった。


★ここから草津市の標識 / 草津川

お腹もいっぱいになり、また、元気に歩き出す。やがて、道は新幹線の高架をくぐり、草津市の道路標識が見えてくる。この先の坂を登ってゆくと、草津川に出る。草津川は天井川で道よりも高いところを流れているのである。川は国道1号線の上を越えて流れてゆく。この川に沿って少し歩き、また、坂を下りれば、草津宿に着く。今日のところは、まっすぐに東海道線草津駅に向かう。草津駅に着いたのは15時10分。ここから米原に出て、16時19分発のひかりで東京には18時42分に着いた。
次回は、草津宿からいよいよ京都三条大橋に到達する予定である。何か最後を飾るイベントを考えようかな。


歩行距離  約25km   歩数 41,100歩