第22日目(10月12日 土曜日)草津宿〜大津宿〜京都三条大橋

AX

「東海道歩き旅」もいよいよ今日が最終日である。京都まで行って日帰りで帰るのももったいないので、三条大橋の近くに宿をとることにしたが、この時期の土曜日などなかなか空いていない。ようやく宿の取れた今日が決行日となった。
私は、京都三条大橋に到着したときのシーンを勝手に描いていた。「誰か」が待っていて、私が到着したら拍手で迎えてくれる。妻に声をかけたらしぶしぶ?乗ってくれたので、{誰か」は妻となった。夕方、17時頃に橋の袂で会うこととし、念のためお互いに携帯電話を持つこととした。
さて、時刻表を調べると、例の東京発6時31分発のひかり号では東海道線草津駅への到着は、最短で9時58分となる。これでは三条大橋に17時に到着するのは無理である。そこで、迷わず前回と同じ「ムーンライトながら号」を利用することとした。これならば、草津駅に8時36分に着く。

★JR草津駅前 / 草津川トンネル

夜行快速「ムーンライトながら」は、終点大垣に6時56分に着く。ここから新快速に乗り換え、草津着は8時36分である。この電車は土曜日なのに通勤、通学客で結構、混んでくる。
草津駅前は、宿場ムードでいっぱいである。「草津宿」の大きな石標、「草津宿400年」ののぼりが旅人を迎えてくれた。
駅前の商店街を抜け、草津川のトンネルをくぐると、いよいよ東海道である。また、駅前からトンネルを抜けたここまでは、中山道である。つまり、ここで中山道と東海道が一緒になる。


★草津追分道標 / 高札場(復元)

草津川のトンネルを抜けたすぐ脇に、草津追分道標が建っている。「右東海道いせ道 左中山道美のぢ」と刻まれている。文化13年(1816年)に建てられたものだという。道の向かい側には高札場が復元されている。
草津宿は東海道と中山道が合流する追分に位置していたので、多くの旅籠屋や商店が軒を連ねていた。天保14年の記録によれば、本陣2、脇本陣2、旅籠屋72軒となっている。


追分道標からすぐの右側に草津宿本陣跡が残っている。この建物は、江戸時代の本陣の実態を現代に伝え、国指定史跡となっている。平成8年に改修されたが、当時とほとんど変わることなく、建坪468坪、39室268畳半を有し、瓦葺の平屋建物である。内部は手入れがよく行き届いている。(入館料200円、9時から17時まで)
私が入館したのは、開館してすぐの時間だったが、しばらくして小学生の団体が入ってきた。玄関の畳の上にきちんと座って先生の話を熱心に聞いていた。確かにこれは生きた教材といえる。ここには、当時使用されていたもの、例えば「関札」(現代の「○○様御一行」の木札)や大福帳(宿帳)なども展示されている。


★草津宿街道交流館 / アーケード付商店街

本陣跡を出たあとも旧道沿いには楽しそうな建物が並んでいる。その先に草津宿街道交流館というのがあった。まだ新しそうな建物だが入ってみた。(有料、本陣入館料と共通で320円)ちょうどこの時期、企画展として「東のうまいもの展」というのをやっていた。東海道の名物を東と西に分けて紹介しようという企画で、それぞれの由来から実物(レプリカ)の展示まで、なかなか分かりやすかった。その他、草津宿の紹介や旅の道具などの展示があった。この辺の商店街にはアーケードが付いている。四日市、水口についで3本目である。


★立木神社 / 月輪池の立場跡碑

賑わいのなくなった宿はずれに立木神社がある。神社の創建は767年というからかなり古い歴史を持つ。境内には延宝八年(1680年)と刻印された草津宿最古の石造り道標が移築されている。
この後、旧道は時々古い家も見える住宅地を通ってゆく。
さらに進むと月輪寺、月輪池などがあり、その近くに「東海道立場跡」の石碑が建っていた。

★瀬田の唐橋と瀬田川 / 唐橋の擬宝珠

この後、旧道は直角の曲がりを繰り返して広い道に出る。その先に有名な瀬田の唐橋がある。ここが唐橋と呼ばれているのは、鎌倉時代に橋を架け替えたときにデザインが当時としては斬新な「唐風」だったからだという。この橋の擬宝珠も美しい。なお、琵琶湖にはたくさんの川が流れ込んでくるが、出てゆくのはこの瀬田川だけである。川はやがて淀川となり、大阪湾に注ぐ。


★石山商店街 / 和田神社

瀬田の唐橋を渡り終えて、東海道と反対方向に1.5kmほど歩いたところに石山寺がある。紫式部が源氏物語を書き上げた場所として有名なところだが、残念ながら今回は時間の関係で割愛する。またの機会にしよう。
旧道は石山商店街に入ってゆく。ところどころに古そうな家も残っている。この先旧道は直角の曲がりなども多く、2万5千分の1の地図では間違えやすい。私も何箇所か間違えたが、ここはあまり気にせずに歩こう。途中に和田神社というのがあった。


★琵琶湖の眺望・近江大橋方面 / 同 伊吹山脈方面

旧道は琵琶湖のすぐ近くを通っているのだが、琵琶湖は全く見えない。地図で見ると和田神社のすぐ近くに琵琶湖があるので、少し旧道を外れて琵琶湖の見える場所まで行ってみた。
天気は少し曇っているが、長大な近江大橋や広い湖面の向こうには伊吹山脈の山々が見える。景色を見ながら少し休憩した。


★大津市内の旧道 / 札の辻跡碑のある交差点

旧道は大津宿に入ってゆく。しばらく歩くと広い通りにぶつかるが、ここには札の辻跡碑が建っている。東海道はここを左折し、広い道を歩く。ここで左折しないでまっすぐ1.3kmほど歩くと古刹三井寺に行けるが、これも残念ながら割愛する。近くに食堂があったので昼食にする。13時30分だった。
ところで妻の状況はどうだろう。名古屋で友達に会ってから京都に向かうとの事なので携帯で確認してみた。このときには連絡がついて、17時前には三条大橋に到着できるという。さて、先ほどの広い通りを歩くが、ここには京阪電車が路面電車として走っている。この道はやがて国道1号線と合流する。


★国道1号線から見るJR線路と京阪電車 / 逢坂山関跡

国道は登り坂になってゆく。途中でJRの線路を陸橋で跨ぐが、ちょうど向こう側を京阪電車が通った。国道をさらに登って行くと右側に逢坂山関跡碑が建っている。逢坂山に関所が設けられたのは大化2年(646年)頃で、鈴鹿の関、不破の関と並んで三大関所といわれた。蝉丸の「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」は有名である。近くに蝉丸神社もある。


★山科の旧三条通り / 現在の三条通り(もうすぐ三条大橋だ)

国道をさらに歩くと、山科あたりでまた旧道に入る。この辺はまだ旧街道らしさが残っている道である。
ところで、1時間くらい前から何回も携帯で妻を呼んでいるのだが、「電話に出られません」というアナウンスが流れるばかりである。到着の時間を調整しようと思っているのに、全く役に立たない。少し苛つきながら歩を進める。三条通りに入ってきた。もうすぐ三条大橋だ。


歩行距離 約27km   歩数 46,400歩

  



★かくして東海道の旅は終わった / そして新しい旅が始まる・・・

とうとう京都三条大橋に到着した。16時50分だった。案の定、妻はまだ到着していない。仕方ないので一人で橋の写真を撮った。ところで、今この写真をじっと見ていると、擬宝珠がにっこりと微笑みかけているように見えてきた。「よくやったね」と語りかけるように。一人旅のフィナーレは、これがふさわしかったのかもしれない。
17時頃、妻もニコニコしながら到着した。こちらの気持ちも知らないで。近くのホテル(アルファ京都)に荷物を置き、二人で夜の先斗町、四条方面をそぞろ歩いた。

翌日は晴天だった。同じ場所で今度は二人で写真を撮ってもらった。今日は、これから奈良に行き、平城京跡を歩く予定である。これからは、このように二人で歩く機会も作れたらよいと思う。勿論、街道歩きのような目標を持った旅も続けたい。このようないろいろな意味をこめて、新しい旅がまた始まる。


東海道歩き旅  完

★義仲寺山門 /木曾義仲の墓 / 松尾芭蕉の墓

旧道に戻り、しばらく歩くと義仲寺がある。ここは木曾義仲の墓所であるが、今ではむしろ松尾芭蕉の墓所としての方が有名かもしれない。芭蕉は悲劇のヒーロー木曾義仲をこよなく愛し、その遺言によってここに葬られた。平成6年には芭蕉没後300年法要がここで盛大に行われたそうで、芭蕉翁300年忌供養塔と200年忌の供養塔が2本並んで建っていた。

★草津宿本陣上段の間 / 同 従者たちの間 / 同 台所
★草津宿本陣門 / 同 玄関 / 同 関札の展示(二条殿御休 ほか)