第18日目 (8月25日 土曜日)  桑名宿〜四日市宿〜(内部


前回、7月22日に宮宿(熱田)についてから1ヶ月以上経った。この間山登り(中央アルプス)に行ったり、中山道の碓氷峠あたりを歩いたりしていた。やはり、名古屋近辺は暑いという先入観と、実際に前回かなり暑かったので敬遠した面もある。ともあれ、東海道歩きの再開である。
東京発6時31分のひかり号で名古屋に8時26分に着く。名古屋から先はJR関西線で桑名まで行ったが、本数が少ない上に単線のため停車時間がえらく長い。結局、桑名に着いたのが9時37分。これでは並行して走る近鉄に太刀打ちできるわけがない。


★七里の渡し跡 / 同所の伊勢神宮一の鳥居

JR桑名駅(近鉄も同じ)から七里の渡し跡までは約2kmある。ここまで歩いてようやく今日の旅のスタート地点についた。ここには七里の渡し跡碑と案内板が立っている。また、近くに伊勢神宮の一の鳥居が建っている。実は、ここに建っているものは昭和34年の狩野川台風の時にすべて破壊されてしまい、その後に整備されたものだそうである。付近は公園になっており、この付近の治水工事の歴史が説明されている。現在も何か大きな工事が行われていた。目を川のほうに向けると、長良川河口堰が長く続いているのが見える。


★大塚本陣跡(船津屋) / 春日神社の大鳥居

桑名宿は昔はかなり大きな宿場だったようだ。二軒あった本陣のうちの一つ、大塚本陣の跡は現在船津屋という料亭旅館に変わっている。この隣は元の脇本陣跡で、これも山月という料亭旅館に変わっている。どちらも格式が高そうな雰囲気である。近くに舟会所跡、問屋場跡の立て札もある。少し行くと春日神社の大鳥居が見える。これは青銅製のもので、昔のはやり唄で「桑名で過ぎたるもの」の一つにあげられていたというから大変なものである。


★桑名城の石垣跡 / 歴史を語る公園

桑名には海のすぐ近くに桑名城が建っていた。広重の桑名宿にも描かれているが、明治への移行の際に官軍に攻められ、落城してしまった。現在では堀と石垣の一部が残っているだけである。本丸の跡は「九華公園」として市民の憩いの場となっている。旧道沿いに「歴史を語る公園」という細長い公園がある。日本橋から京都三条大橋まで東海道五十三次をモチーフにしたミニ公園である。桑名市ではこの他にも歴史的な建造物、跡には必ず適切な説明版を立てているので大変助かる。



★吉津屋見附跡 / 「東海道」案内標識

よつや通りをまっすぐ行き、広い通りを渡ると「吉津屋見付跡」の立て札がある。東海道の見附として「吉津屋門」が設けられ、門の近くに役人の詰める番所が置かれた、との説明がある。その後、道はまた枡形の曲がりをとおり、お寺がずらりと並んだ通りに出る。十念寺、寿量寺、長円寺など五つくらいのお寺が続いている。2008年現在、吉津屋見付から先の枡形の曲がり角には、右写真のような新しい案内標識が立てられており、非常に分かりやすくなった。


重要な案内標識 / 矢田の火の見櫓

報恩寺の先で広い道に出る。そのすぐ先で右に曲がるのだが、この場所にも案内標識が出ているので、これを見逃さないようにしよう。これから先はまっすぐな道が続き、途中で国道1号線を横断し、その少し先の丁字路を左に曲がる。この曲がり角には、平成三年に再建されたという火の見櫓が建っている。このあたりは、「矢田の立場」といって、昔は茶店などが集まっていたという。ここにも東海道の案内標識が立っている。これから先、道はほぼまっすぐになり、道なりに進んでゆけば、朝日町を経て富田に出る。


★富田の一里塚跡 / 明治天皇御小憩跡碑

JR関西線、三岐鉄道の踏切を越えてすぐのところに、富田の一里塚跡碑が立っている。この先右に曲がって少しのところに富田小学校があり、その脇に明治天皇御小憩跡碑と説明板がある。それによると明治天皇は明治元年から2年にかけて京都、東京間を2往復され、そのときの4回すべての御小休をこの場所(広瀬五郎兵衛方)でされた、とある。このあと道はほぼまっすぐに進み、やがて国道1号線に合流する。


★三谷の一里塚碑 / 三滝橋

国道は海蔵川を渡るが、道の近くに新しい「三谷の一里塚跡」碑が建っていた。説明板があり、昔からの塚は昭和20年代の川の拡幅工事の際に川の中に取り込まれてしまった。昔の絵図を基に現在の位置を一里塚跡とし、東海道400年を記念して石碑を建てた・・平成13年3月吉日、とある。
海蔵橋を渡ると道はまた旧道に入る。これをまっすぐに行くと三滝橋を渡る。ここからが四日市宿だという。広重の四日市宿では突風の中、この橋を渡る旅人の姿が描かれている。


★永餅の笹井屋 / アーケード付の旧道(ライオン通り商店街)

橋を渡ってすぐのところに笹井屋という店がある。永餅を売っている店で、創業400年以上経っているという。先を急いだので、中に入っての試食はしなかったが時間があったら伝統の味を賞味するのもよいだろう。道はこの後、国道1号線に出てまた旧道に入るが、この道はライオン通りというアーケード付の商店街になっている。.この商店街を抜けると、近鉄四日市駅前の広い通りに出る。時刻は15時少し過ぎたところだ。まだ今夜泊まるところを決めていなかった。近くのベンチに座り、この近くのホテルを探す。「チサンホテル」の予約がとれ、一安心。


★鈴木薬局(旧鈴木製薬所) / 日永神社

駅前の広い通りを渡って旧道の旅を続ける。しばらく行くと、鈴木薬局という古い建物が見えてくる。ここにも説明板があって、鈴木薬局は200年以上も製薬業を営む旧家だという。現在も薬局として営業を続けている。
このあとも旧道はまっすぐに進み、日永神社、日永の一里塚跡碑を過ぎて日永の追分へと続く。


★日永の追分・伊勢神宮二の鳥居 / 小古曽神社

日永の追分で道は東海道と伊勢参宮道に分かれる。右に行くと東海道左に行くと伊勢参宮街道である。現在、ここには道標、伊勢神宮二の鳥居、常夜灯などが建っている。
近くには近鉄内部線の追分駅がある。この先旧道は住宅街を縫うように進む。小古曽神社の前を過ぎ少し行くと近鉄内部線の終点、内部(うつべ)駅に着く。17時5分発の電車に乗り、近鉄四日市駅に引き返す。ホテルに着いたのは17時30分ころだった。


歩行距離 約24km   歩数 43,500歩

★桑名宿の旧道(よつや通り) / 「右京いせ道 左江戸道」の手差しの道標

この先、宿場町特有の直角の曲がりの多い道となる。こういう道は2万5千分の1地図ではどうしても間違えやすい。途中、道を間違えたりしながら旧道の面影の残る「よつや通り」に出る。その手前には新しい「右京いせ道 左江戸道」の手差しの道標が立っていた。