☆桶狭間古戦場跡 / 今川義元の墓

このあと旧道は国道と合流し、少し歩くと桶狭間古戦場跡の標識がある。ここを左に曲がって少しのところにちょっとした公園がある。これが桶狭間古戦場跡である。入り口に大きな碑が建っているのでそれとわかるが、これがなければ普通の公園である。公園の中には今川義元の墓もある。道の向かい側の高台には高徳院という寺があり、ここに今川義元公本陣跡の碑が建っている。なお、古戦場跡はここのほかにもう1箇所、田楽坪にあるそうだ。

☆有松旧家「服部家」(井桁屋) / 竹田家 / 小塚家

国道に戻り、少し行くと旧道は右のほうへ分かれてゆく。この先が絞りで有名な町、有松である。有松は鳴海宿の手前の立場として賑わったが、ここで売られていた「有松絞り」は街道名物として大変人気があったという。現在でも昔ながらの伝統と技法で作られており、「有松・鳴海絞会館」で展示販売、実演なども行われている。なお、この通り沿いには古くからの絞問屋の建物などが残っており、独特の景観が見られる。代表的なものは、「服部家住宅」、「竹田家住宅」、「小塚家住宅」などでいずれも絞問屋としての伝統的形態を踏襲した建物である。それぞれの建物の前には説明板も立てられている。服部家では現在でも「井桁屋」として営業している。有松の町並みは1km近く続いている。古い店構えの食堂で昼食にしたが、店は観光客でにぎわっていた。

☆「知立古城址」碑 / 総持寺

少し歩くと「知立古城址」の大きな碑が見えてくる。小さな公園の中に碑と説明版が立っている。これによると、知立城は永見氏の居館であったが、桶狭間の戦いで落城した。その後再建され、将軍の上洛時などに使用されたが1699年の大地震で倒壊した。現在はこの碑だけで近くにそれらしいものは何も残っていない。この先国道155号線を地下道で渡り、少し行くと道沿いに総持寺がある。この寺は1616年に創建されたが、一時廃寺となり大正年間に再建された。旧道から少し外れたところに知立神社があるが見落とした。

第17日目(7月22日)  知立宿〜鳴海宿〜宮宿(熱田)


☆知立(池鯉鮒)宿旧道風景

昨晩はよく寝たので体調は回復した。朝ごはんをしっかり食べてホテルを8時頃出発した。ホテルの前は大きな乙川が流れていて川沿いに歩くと気持ちがよい。名鉄東岡崎駅から電車に乗り、知立駅に着いたのが8時35分。今日の旅のスタートである。旧道沿いの商店街はあまり賑やかではないが、池鯉鮒宿」の黄色いのぼりを立ててここが昔宿場であったことをアピールしている。商店の脇に「池鯉鮒宿問屋場之跡」碑が立っていた。この辺が宿場の中心だったのだろう。



☆国道1号線(341km地点) / 三河と尾張の境を流れる境川

この後、道は国道1号線と合流する。国道の日本橋からの距離表示が341kmとなっていた。ずいぶん歩いたもんだ。2kmくらい国道を歩き、また旧道に入る。しばらく行くと境川という小さな川がある。この川が三河と尾張の国境であった。現在では、刈谷市と豊明市の境となっている。川の向こうに名鉄の電車が走っているが、豊橋から先、東海道の沿道はすべて名鉄のテリトリーである。明治になって鉄道を引くとき大きな宿場町は鉄道を嫌ったようだ。鉄道の有無は明暗を分けたが、その後に名鉄が引かれ旧宿場町も賑わいを取り戻した。


☆阿野一里塚 / 旧街道の名残の松

国道から旧道に入るとすぐに国指定史跡阿野の一里塚」がある。これは道の両側に残っているもので、貴重なものである。ベンチがあったので少し休憩した。今日は曇りで昨日のように暑くはない。快調な歩きである。さて、歩き出して少しのところに立派な松の木が1本だけ立っている。説明版が立っていて、この辺は松並木が続いていたが、現在はこの1本だけが残っている、とある。今後とも大切に保存したいものである。



☆瑞泉寺 / 鳴海宿旧道風景

さて、有松の町並みを抜けると道は鳴門宿に入っていく。道沿いに瑞泉寺という大きなお寺がある。1404年の創建だという。現在、旧道には古い家もいくらか残っているが、鳴海宿の跡を示すものはあまりない。立場だった有松と比べるとさびしい町並みである。


☆笠寺の一里塚 / 笠覆寺(笠寺観音)山門

天白川を越えてしばらく行くと笠寺の一里塚と呼ばれる1里塚が見えてくる。これは日本橋から数えて88番目のものだという。塚には根の張り出した見事な枝振りの榎が植えられている。少し行くと笠寺観音と呼ばれる大きなお寺がある。正式名は「天林山笠覆寺」といい、聖武天皇の頃の創建と伝えられるがその後荒廃し、再建された。江戸時代には参詣する人でかなりの賑わいだったという。近くに名鉄の本笠寺の駅があり、商店街も活発そうなので現在でも参詣客が多いのだろう。


☆平成13年に建てられた東海道の碑 / 裁断橋跡

笠寺を出て名鉄の踏切を渡ると、道は呼続(よびつぎ)という地区に入る。普通の住宅街の中を旧道が通っているが、道路沿いに建てられたばかりの「東海道碑」があった。「宿駅制度制定四百年記念碑・平成13年吉日」となっている。東海道と呼続地区の歴史、名前の由来などが解説されていた。このあと道はJR東海道線の踏切、名鉄のガードをくぐり、裁断橋跡に至る。昔は裁断橋を渡ったところから宮宿が始まったという。現在は橋がかかっていた川がなくなってしまい、橋の跡だけが残されている。宮宿は熱田神宮の門前町であり、宿場町でもあったので東海道一の大歓楽街であったという。


☆七里の渡し跡

旧道沿いの伝馬町商店街を抜け、広い通りを横断して少し歩くと「七里の渡し」跡に着く。ここは現在は公園になっていて、常夜灯、鐘楼などが復元されている。昔はここから先は海になっていて、海上七里の船旅で桑名まで渡っていたのである。当時、順調にいって大体3時間くらいの船旅だったという。
少し休んで時計を見ると16時を過ぎている。熱田神宮の参拝はまた別の機会にということで帰途についた。地下鉄とJRを乗り継ぎ名古屋駅に出て、16時58分発のひかりで東京に向かった。


歩行距離  約22km   歩数  38,800歩