★国道と旧道分岐点の道標と「本宿(もとじゅく)」の説明板 / 法蔵寺の山門

この後旧道は「赤坂陣屋跡」の立て札、古い秋葉山常夜灯などを見ながら進み、やがて広い国道1号線と合流する。国道に並行して名鉄の電車がひっきりなしに走っている。国道を2km位歩くと「右国道1号 左東海道」の立派な道標が見える。ここには「本宿(もとじゅく)の歴史と文化を訪ねて」という説明板も立っている。本宿は間の宿であり、御油、赤坂の賑わいには及ばなかったが、現在では人口もずっと多く、名鉄の急行電車の止まる大きな町になっている。赤坂が宿場になる前は、こちらが宿場として認可されていたという。ここには法蔵寺という大きなお寺もあり、門前町としても栄えていた。少し行くと名鉄の本宿駅が見えた。ここから次の藤川宿までは一里くらいだが時刻ももう16時近い。東京への帰路を考えると今日の旅はここまでにしておこう。本宿駅では急行電車がすぐに来て、豊橋発16時27分の新幹線に乗れた。しかし、日帰りの旅はそろそろ限界だ。次からは1泊せねばなるまい。

★天然記念物「御油の松並木」

御油宿のはずれに近くなると見事な松並木が見えてくる。これは「御油の松並木」と呼ばれ、天然記念物に指定されている。見事な松の並木が延々と続いている。車もあまり通らず昔の旅人になったつもりで歩ける、うれしい道である。

今日は前回と同じ東京発6時35分発のこだま号に乗り、豊橋に8時54分に着く。ここで東海道在来線に乗り換え、一つ戻って二川駅に着いたのが9時15分。今日はここからスタートである。

★二川宿岩屋山付近の旧道 / 豊橋市街の国道1号線

JR二川駅前すぐに旧街道が通っている。ここはもう二川宿のはずれである。少し歩くと道は二股に分かれるが、これは右側の道を行く。左手の山は岩屋山といい、山頂には岩屋観音像が見えるとガイドブックには書いてあったが気がつかなかった。しばらく歩いて左に曲がると後はまっすぐの道になる。途中「東海道」の標識があったので道は間違えていない。さらに旧道を歩き続けるとやがて国道1号線と合流する。もう豊橋市街である。

第15日目(6月10日 日曜日) 二川宿〜吉田宿〜御油宿〜赤坂宿〜本宿



★吉田宿旧道風景 / 宿場の中心を走る市電

ここ吉田宿は現在は豊橋市という大きな都市となっており、交通量は多いし昔の雰囲気などもほとんど残っていない。足早に通り過ぎようという気が働く。旧道は裏道的な道となり、宿場町特有の曲がりくねった道、曲尺手(かねんて)となる。旧道沿いに大きなNTTのビルがあり、その前に吉田宿の問屋場跡の碑が建っている。ここで道は広い国道259号線を渡る。ここには市電が走っている。この近くに本陣跡、脇本陣跡の碑があるのだが、残念ながら見落としてしまった。この辺が吉田宿の中心だったのだろう。


★菜飯田楽の店「菊宗」 / 地名の基となった「豊橋」

そこから少し行ったところに「菊宗」という古い店がある。昔からの名物である菜飯田楽を現在でも売っている。菜飯田楽というのは江戸時代にはどこの宿場でも見られるポピュラーな食べ物だったらしいが、現在では本格的なものを食べさせてくれる店はほとんどなく、全国的にも有名でいつも盛況だそうである。店構えもなかなか趣がある。グルメの旅ではないので通過する。さらに行くと道はまた曲尺手となり、やがて豊川にぶつかる。ここにかかる橋が「豊橋」で現在の地名の基となっている。昔の橋はもう少し下流にあったらしいが、広重も「吉田宿」でこの橋と吉田城を描いている。


★「子だが橋」の碑と説明板 / 菟足(うたり)神社

橋を渡ると道は左に折れ、さらにまっすぐ行くと豊川放水路に出る。これを渡って少し行くと道の脇に「子だが橋」の碑と説明板が立っている。少し先に「菟足(うたり)神社」があり、大祭の日にはその日最初にこの橋を通る若い女性を生贄に捧げる風習があった。ある年、生贄を捕まえる人が待っていると、やってきたのは出稼ぎに行っていた自分の娘であった。彼は悩んだ末、「わが子だが仕方がない」と娘を生贄にした。その後、誰言うともなくこの橋を「子だが橋」と呼ぶようになったという。現代では考えられないような悲しいお話である。菟足神社の創建は白鳳15年(686年)と伝わっている。







★赤坂宿見附跡 / 旅籠「大橋屋」

御油の松並木を抜けるともう赤坂宿である。道の脇に「見附跡」の標識があり説明が書いてある。ここが宿場の東の入口になっていたと書いてある。御油宿と赤坂宿はあまりに近いので一宿として扱われることが多かったようである。しかし、お互いにライバル意識をもって競争した結果、両宿ともたいそう繁盛したというからたいしたものである。明治以降は歩く人もなくなり寂れてしまったが、昔の旅籠で「大橋屋」という建物が現在でも残っている。ここは予約をすれば現在でも食事をしたり、宿泊することもできるそうである。

御油宿旧道の町並み / 御油宿本陣跡碑

さて、旧道は御油橋を渡ると御油宿に入る。道沿いには一部ではあるがまだ古い家も残っている。本陣跡の碑と説明板も立っている。御油宿は隣の赤坂宿との距離が十六町(約1.7kmと短く、お互いにかなり張り合っていたらしい。両宿とも飯盛り女を多く置いて強引な客引きをするので有名だったらしい。広重の「御油宿」では弥次・喜多とおぼしき人物が留め女につかまっているところがユーモラスに描かれている。この辺にはちょうどそんな旅籠屋が並んでいたのだろう。

★旧道沿いの太鼓屋と一里塚跡碑 / 秋葉山常夜灯

この先でJR飯田線の踏切を渡り、まっすぐに旧道を行く。途中に太鼓の専門店があり、その脇に一里塚碑が見える。このあたりは三河万歳発祥の地だそうで、そのために太鼓の専門店が成り立つのだろうか。さて、このあたりには秋葉山の常夜灯が多いのに気がついた。一番大きくて古そうなものに説明板が立っていた。前にも書いたが、この常夜灯は秋葉山に詣でる人の安全のために設置されているものである。これから少し先に「本坂越え道」の出口(入り口)があり、この道は秋葉山にも通じていたので常夜灯も多く建てられたのかもしれない。なお、「本坂越え道」は東海道のバイパスで、見付、浜松からここまで通じている道である。

歩行距離  約27km   歩数 44,000歩