歩行距離  約33km   歩数 50,400歩 

★本陣跡付近の旧道 / 「橋本・新居宿加宿」道標

新居の関所を越えると新居宿に入る。ここは宿場町であるとともに港町でもあり、関所もあったからかなり活気があったらしい。関所の前の道を少し行くと左に曲がるが、このあたりに昔は三軒の本陣があり、一番賑わった場所だという。現在、本陣跡の碑が立っているが、それらしい面影はない。旧道をさらに進むと、夢舞台道標「橋本・新居宿加宿」がある。後から新居宿に加えられた「橋本」という町だったところである。鎌倉時代にはここから浜名湖が歩いて渡れたため、ここに宿が置かれ大いに賑わったという。

第14日目(6月2日 土曜日) 浜松宿〜舞坂宿〜新居宿〜白須賀宿〜二川宿


東海道歩きもだんだんと歩き始めの地点が遠くなってきた。必然的に朝自宅を出る時間も早くなる。東京発6時35分発のこだまを利用し、浜松着8時37分。駅前の広い道をまっすぐ行くと東海道に出る。ここから前回の続きのスタートだ。少し行くと四差路に出る。左に曲がると東海道、右に曲がると浜松城跡方面だ。浜松城跡にも寄りたいところだが、今日は先が長いので残念だが割愛し、左に曲がる。浜松宿はこのあたりが一番賑わっていたという。道沿いには「佐藤本陣」「杉浦本陣」「川口本陣」などの説明板が立っている。


★二つ御堂 / 国道と松並木の名残

旧東海道(国道257号線)は、JR東海道線、新幹線のガードをくぐり、さらにまっすぐに進む。ここから少し行くと、道をはさんで二つの御堂が残されている。「二つ御堂」と呼ばれているものである。、これは奥州の藤原秀衡とその愛妾によって1125年頃に創建されたという。二人の愛の物語が説明板に書いてある。ここには高札場跡の表示杭も立っている。この道は広い国道で、車の通行も多いがところどころ松並木の名残の松の木や里塚碑なども立っており、長い国道歩きを慰めてくれる。




★渡船場跡北雁木碑 / 北雁木と常夜灯

脇本陣の先はもう浜名湖の堤防である。昔の東海道を歩く旅人は、ここから船に乗り対岸の新居宿まで海上一里を渡ることになる。現在、渡船場の跡が残されている。当時は船の着く水際まで石が敷かれており、これを雁木(がんげ)といったが、そのうちの一つ「北雁木(きたがんげ)」が復元されている。また、近くには常夜灯も設置されている



★新居関所跡

JR新居町駅を過ぎると「新居関所跡」はすぐ近くである。新居関所は箱根と並び東海道の二大関所として睨みをきかせていた。建物は大地震で全壊した後、1855年に再建されたもので、現存する唯一の関所建物として国の特別史跡に指定されている。昔は渡し舟を降りるとすぐに関所があり、ここを通らないと町には出られなかった。入り口の近くで渡船場跡の発掘調査が行われていた。昔はここまで湖がきていたわけだ。





★白須賀宿の町並み / 「境宿・白須賀宿加宿」道標

現在の白須賀宿は交通の便が極めて悪いこともあり、活気は見られない。しかし、旧道沿いの家には昔の屋号を書いた木看板が掲げられており、町並みはなんとなく古い時代を感じさせる。本陣跡には碑と説明板が立っている。当時はこの辺に旅籠屋が軒を並べて賑わっていたのだろう。しばらくすると白須賀宿のはずれとなり、ここに夢舞台道標「境宿・白須賀宿加宿」がある。この先を少し行くと境川という小さな川があり、ここが静岡県と愛知県の境になっている。長かった静岡県の旅も漸く終わりになった。夢舞台道標もさっきのものが最後のものだったわけだ。


★農村風景の中を走る国道1号線 / 筋違い橋

旧道は国道1号線と合流し、これから約4kmくらいの国道歩きとなる。広い国道の両側には畑が広がり、見るものもあまりないので歩調を速めひたすら歩く。やがて新幹線の高架が見えてきてこれをガードで越えると「筋違橋」という橋があり、これを渡ると二川(ふたがわ)の町に入ってゆく。長い殺風景な国道歩きの後、漸く人里に着いたという感じだ。


★二川宿の町並み / 旧道に面した二川宿本陣

東海道線の踏切を越えたあたりに一里塚があり、この辺から二川宿になる。旧道沿いには古い家も残り、かつての宿場の雰囲気がある。この道をさらに進むと二川本陣跡がある。ここの本陣は復元されていて「二川宿本陣・資料館」として公開されている。ここに着いたのが午後4時ちょうどくらい。よく見たら入館は午後4時までとなっている。慌てて入場券を買って危うくセーフ。見学は4時半までとなっている。(入場料300円、月曜日休館)



★二川宿本陣(復元)

本陣を復元しただけあって広い。上段の間からお付の者の間、日本庭園から台所、風呂場、雪隠まですべての設備が復元されている。また、となりには資料館があり、「東海道」「二川宿」「本陣」という三つのテーマで常設展示が行われている。なかなか見ごたえのある施設であり、資料館であった。
今日の旅はここまで。よく歩いた。JR二川駅発16時51分の電車で帰途についた。

★潮見坂上からの眺望 / 明治天皇御聖蹟碑


急な潮見道を息せき切って登ると、やがて開けた場所に出る。後ろを振り返れば広大な海が眼下に広がっている。東海道を西から江戸に向かって歩くとき、ここに来て初めて広い海が見える。そのときの感激は大変なものだっただろう。このあたりには明治天皇御聖蹟碑をはじめ多くの石碑が建っている。明治天皇は明治元年10月1日にここをお通りになり休憩されているが、この景色にさぞ感激されたことだろう。

★「浜名街道」の松並木 / 潮見坂

旧道は一旦国道1号線と合流し、またすぐに右手に分かれてゆく。この道は、美しい松並木が続いていたが、昭和50年頃の松くい虫の被害で全部枯れてしまったという。現在、新しい松を植えなおし「浜名街道」として整備、復元している。この道をまっすぐ行くとやがて「白須賀」の道標がある。1707年の大津波によって壊滅するまではここに白須賀の宿場があったが、その後宿場は坂の上に移されたという。旧道は「潮見坂下」で右折し、潮見坂の長い急な上り道となる。

★弁天島海浜公園 / 浜名湖と新幹線

さて、現代の旅人は渡し舟がないので橋を渡ることになる。弁天橋を渡ると弁天島海浜公園という景色のよい公園がある。ここからは湖水がよく見渡せる。遠くに浜名大橋が見えるが、ここで浜名湖は海とつながっている。昔はここは砂州で歩いて渡れたそうだが、地震や津波によってこの砂州は切れてしまい、海とつながってしまった。このことからこの地を「今切」と呼び、ここの渡船を「今切の渡し」といった。公園のベンチに座り、コンビニ弁当を食べた。景色は良いし、天気はよいし言うことなし。少し休んだ後、国道1号線を通って浜名湖を渡る。新幹線では一瞬のうちに通り過ぎてしまう浜名湖だが、歩いて渡ると結構距離がある。国道の交通量もかなり多い。

★舞坂宿脇本陣(復元)

また、その近くには脇本陣が復元されて建っている。脇本陣というのは、通常時には旅籠として営業するが、必要に応じて本陣の代行をするものである。この建物は1838年に脇本陣として建築され、明治時代には一時町役場としても使われたが、平成9年に解体修理し脇本陣の形に復元された。中は公開されており、自由に入れる。間口は狭いが奥行きがあり、上段の間、湯殿、台所なども復元されている。

★舞坂の松並木 / 舞坂宿本陣跡碑

やがて旧東海道は国道と別れ、さらにまっすぐに続いている。JR舞坂駅を過ぎたあたりから旧道の両側には見事な松並木が続いている。夢舞台道標「舞坂の松並木」と大きな石の説明板もたっている。それによると現在、700mの間に約330本の松が植えられているという。現在残されている旧東海道の松並木の中でも屈指のものといえるだろう。昔の旅人に思いをはせながらこういう道を歩くのも楽しいものである。松並木を過ぎると舞坂宿に入る。舞坂宿は本陣1、脇本陣1、旅籠屋28軒の比較的小さな宿場である。現在、本陣跡には碑が立っている。