★見付学校 / JR磐田駅に続く商店街(東海道旧道)


道標の裏手に「見付学校」が残されている。これは明治7年に建てられた小学校で、西洋風の建物は超モダンな小学校として全国的にも有名だったという。現在、中は資料館として公開されており、教室風景の再現や、東海道関係の資料なども展示されている。
この先東海道は左に曲がるが、これをまっすぐ行くと通称「姫海道」といわれた道となる。東海道はこの先「新居の関」という関所があり、特に女性を厳しくチェックしたことから、この関所をバイパスするために、こちらの道を通る女性が多かったという。さて、道を左に曲がり東海道を行くとJR磐田駅に出るが、駅の近くのアーケード商店街は「ジュビロード」という。

★天竜川橋 (新天竜川橋より望む) / 新天竜川橋

磐田駅に着いたのが15時10分。まだ電車に乗るには早いので浜松まで歩くことにする。まだ距離は結構あるので歩調を少し速めることとする。磐田駅の手前で右に曲がってまた西に向かって歩き続ける。道はやがて天竜川にぶつかる。天竜川は大きな川である。大井川より川幅は少し短いが水量はこちらの方が多いような気がした。
天竜川を渡る天竜川橋は長大なうえに歩道部分が全くないので、歩行者にとって非常に危険な橋だったが、2008年現在、天竜川橋に並行して新天竜川橋が完成し、こちらの歩道を通ることができるようになった。

第13日目(5月26日 土曜日)掛川宿〜袋井宿〜見付宿〜浜松宿






★秋葉山常夜灯 / 木原の一里塚跡

袋井宿の出口は「御幸橋」のあたりだという。この橋の手前にも小さな宿場公園がある。ここには秋葉山常夜灯があり、、高札場なども復元されている。この後、道は国道1号線と合流するが、一部旧道が残っているところに「木原の一里塚」跡がある。この近くには「木原畷の古戦場」跡がある。武田信玄と家康の戦った有名な「三方ヶ原」の戦いの前哨戦がここで行われたという。近くの許禰神社には家康が思案した腰掛石と呼ばれる石もある。


★旧道の松並木 / 明治時代の道

この後、国道1号線に出てまた旧道に戻るというようなことを繰り返しながら進む。途中、旧道には立派な松並木も残っている。この松並木の先は「三ケ野坂」という坂になっていて、時代とともに道筋が変わり、それぞれが明治時代の坂、大正時代の坂、江戸時代の坂として残っている。この中では明治時代の道が現在の通常ルートであり、この道を歩いたが木々の生い茂ったなかなか味わいのある道であった


★阿多古山の一里塚跡 / 見付宿道標

さらに行くと、「阿多古山の一里塚跡」がある。このあたりが見付宿の入り口になっている。「見付」の名の起こりは、西の方から東海道を歩いてきて、この辺が初めて富士山が見つけられる場所だったからだという。一里塚の少し先に夢舞台道標「見付宿」がある。ところで、「見付」といってもほとんどの人はどの辺の場所か分からないのではないだろうか。私も東海道を歩き始めるまでは全然知らなかった。現在はサッカーで有名な磐田市のといったほうが分かりやすい。





★金原明善生家 / 浜松アクトシティ・ビル


天竜川橋を渡り、旧道を少し行ったところに金原明善の生家とその記念館があった。この人は天竜川の治水に尽くした人物だそうである。JR天竜川駅前を過ぎると、だんだんと町の様子が浜松の圏内に入ってきた感じがする。道の右手に大きな浜松アリーナの建物が見え、浜松駅前の巨大なアクトシティ・ビルが見え始めると今日の旅はそろそろ終わりに近づく。浜松駅着17時45分。今日はよく歩いた。新幹線の中で飲んだビールがうまかった。

★「袋井宿」道標 / 袋井宿説明板

袋井宿の入り口に夢舞台道標「袋井宿」がある。ここから少し行くと袋井宿場公園という小さな公園があり、袋井宿の説明板がある。袋井宿は東海道五十三次の27番目の宿で、ちょうど東海道のどまん中になるということだ。この近くに「東本陣跡」もあり、これの説明板もある。

★原川の松並木 / 久津部の一里塚跡碑

この先さらに歩くと「原川の松並木」と呼ばれる松並木が残っており、夢舞台道標も立っている。その先に立場として賑わった「名栗」がある。ここは花柄のむしろが名物で「名栗花ござ公園」という小さな公園となっている。この先にも立派な松並木がかなり長い距離に渡って残されておりうれしくなる。「東海道五十三次どまん中東小学校」と大きな看板をかけた小学校の横に「久津部の一里塚跡」碑がある。このあと旧道沿いには「どまん中」の文字があちこちに見られる。かつての宿場町袋井市のキャッチフレーズになっているようだ。

★掛川城蕗の門 / 大池橋道標

掛川宿は宿場としては規模は小さい方で、城下町としての性格が強かったようである。宿場としての遺跡はあまり残されていない。宿場のはずれに円満寺というお寺があり、ここに掛川城の「蕗の門」が移築されている。ここからしばらく行くと国道に合流し、、国道を少し歩くと大池橋に出る。広重の「掛川」では、ここからの秋葉山遠望を描いている。橋を渡ったところに「大池橋」の夢舞台道標がある。昔はここから秋葉山道が分岐していたという。秋葉山というのは火防の神様として江戸時代広く信仰されていたから、ここから山に向かう人も多かった。東海道には、秋葉山の常夜灯というのがあちこちに見られるが、これはこの秋葉山に登る人たちの安全を守るために建てられたものである。

★掛川城天守閣 / 掛川城御殿

今日は、東京発7時45分のひかり号で静岡まで行き、こだま号に乗り換え掛川着が9時23分。駅前の道をまっすぐに行き、まずは掛川城を見学する。天守閣は平成6年に復元が完成した。比較的小規模だが木造で復元されたのは全国でも珍しいそうである。中は有料で、資料館になっている。城の隣には「掛川城御殿」が残っている。これは国の重要文化財に指定されていて、昔の大名の生活を知るうえで貴重な建物となっている。この中も見学できる。

歩行距離  約33km   歩数 50,100歩