★日坂宿高札場(復元) / 事任(ことのまま)八幡宮

近くに立派な高札場が復元されている。たくさんの高札が掲げられているが、この高札の本物が先ほどの資料館の中に展示されていた。墨の字が浮き出しており、時代を感じさせろものであった。
「日坂宿場口」の道標を過ぎると「事任(ことのまま)八幡宮」がある。由緒のある八幡宮で、ここにお参りすれば願い事が「ことのまま」にかなうという。さて、道はここから国道1号線と合流し、長い国道歩きを余儀なくされる。

★茶畑の中を行く旧道 / 涼み松広場

これから先、道は緩やかに下っていくが、この道はのどかで気持ちがよい。茶畑の中をまっすぐに続いている道をゆっくりと歩く。ところどころに歌碑があり、説明板もあるので一つ一つ読んでゆく。芭蕉の句碑「命なりわづかの笠の下すずみ」があり、「涼み松広場」として小さな松の木とベンチが置かれている。
小夜の中山の「夜泣き石」というのがある。昔、妊婦が山賊に襲われ殺されてしまったが、近くの大きな石に霊がこもり子供を思って夜な夜な泣く声が聞こえるという伝説の石である。この石のあった跡に碑が建てられている。

第12日目(5月19日 土曜日)島田宿〜金谷宿〜日坂宿〜掛川宿


★島田宿道標 / 芭蕉句碑

今日はJR六合駅から歩き始める。駅のすぐ近くを国道1号線が走っており、しばらくこれを歩く。やがて国道と別れ、島田市街に入る。夢舞台道標「島田宿」があり、近くに島田の一里塚跡もある。芭蕉は島田宿とのかかわりが深く、道沿いにいくつかの句碑が立っている。そのうちの一つが島田信用金庫の前にある。説明を見ないと読めないが「駿河路や花橘も茶の匂ひ」と刻まれている。



★川会所 / 番宿

川越の方法は、川会所で川札を買い、川越人足にこれを渡して肩車、蓮台などで川を越すというものであった。川札1枚で人足1人分、値段は川の水位によって分けられていた。川越遺跡にはこの「川会所」をはじめ、人足たちが待機していた「番宿」、人足たちが川札を金に替えた「札場」などの建物が復元されている。一般の民家も混じっているが、江戸時代さながらの風情がある道筋である。




★金谷坂 / 菊川坂

旧道をなおも行くと道は登り坂になり、やがて金谷坂に着く。この坂は昔石畳が敷かれていたが、明治以後人通りが少なくなり、荒れるに任せていた。また、近年はほとんどがコンクリート舗装となっていたが、平成3年町民約600名が参加し「平成の道普請」を行った結果、430mの石畳道が復元されたという。10年も経つとそれなりに風情のある道となっている。金谷坂を越えてしばらく行くと「菊川坂」につく。こちらにも新しい石畳が敷かれている。説明板によると、平成13年1月21日に着手して約500名の参加をえて完成した、とある。まだできたてのほやほやの石畳道だ。これは全長約700mあるという。



★久延寺 / 西行法師の歌碑

さて、この先旧道は急な坂道になる。昔から「小夜の中山の峠道」として東海道の難所の一つに数えられていたという。現在は道は整備されていて、歩きにくいことはないが登りの坂道が続くので結構しんどい。峠の頂上には久延寺がある。ここは昔、山内一豊が茶亭を建て、徳川家康をもてなしたという。家康お手植えの「五葉の松」も残っている。この小夜の中山で忘れてならないのは西行法師だろう。「年たけてまた越ゆべしとおもひきや いのちなりけりさやの中山」の大きな歌碑が少し先に立っている。この歌を詠んだのは西行69歳のときだったという。27歳のときにも一度この峠を越えている。






★葛川の一里塚跡 / 掛川宿街道沿いの昔風の新しい建物

国道を足早に通りすぎ、旧道に入る。掛川の市街に近くなったところに葛川の一里塚跡がある。説明版には江戸より五十六里三町余りと記されている。
さて、道は直角の曲がりを繰り返し掛川市街に入る。メインの広い通りには、昔風の白い壁にグレーの瓦の新しい建物が並んでおり、独特の雰囲気を持った町である。
今日の旅はここまで。JR掛川発16時59分の「こだま」で帰途につく。

★日坂宿本陣跡碑 / 昔の旅籠「川坂屋」

急な坂道となり、これをどんどん下ると国道1号線にぶつかる。少し行くと旧道に入り、日坂宿の中心になる。ここに夢舞台道標「日坂宿・本陣跡」があり、隣には「本陣・扇屋」の大きな看板も立っている。しばらく行くと昔の旅籠「川坂屋」がある。1850年代に建てられた建物がそのまま残されているということで大変貴重なものである。中は資料館として見学できる。(入場無料)

★「菊川の里」道標 / 茶畑


菊川坂を下っていくと、間(あい)の宿「菊川」に着く。ここには夢舞台道標「菊川の里」が立っている。鎌倉時代にはこの菊川の里は宿場として栄えており、歴史的な里でもある。鎌倉幕府転覆を企てた(承久の変)中納言宗行卿、及び時代は下るが同じく北条討伐を謀った(元弘の乱)日野俊基がここに泊まっているときに捕らえられ、処刑されている。この二人の歌碑が近くにある。このあたり、またこれから先、茶畑が果てしなく続いている。丘の斜面という斜面、皆茶畑である。さすが静岡、茶どころだ。

★佐塚本陣跡 / 金谷の一里塚跡道標

大井川橋を渡り、土手を下流方向に少し行くと旧道の入り口がある。旧道は昔の面影を幾分か残しながらまっすぐに続いている。大井川鉄道の踏切を渡り、なおも行くと本陣跡がある。ここには三つの本陣が並んでいたらしいが、そのうちの一つ「佐塚屋」が現在佐塚書店として営業している。道はJR金谷駅の手前で左に曲がるが、ここに金谷の一里塚跡がある。ここには夢舞台道標もたっている。

★大井川 / 大井川橋

ちょうど雨が降ってきてしまったが、大井川の川原に下りて川の広さを実感してみた。川幅は確かに広いが、水深はそれほど深くはないようにみえた。しかし、これを歩いて渡るのは大変だ。現代の旅人は大井川を大井川橋で渡る。この橋がまた長い。全部渡りきるのに20分くらいかかった。

★大井神社 / 川越遺跡のある道

しばらく行くと、道の右側に大井神社が見えてくる。鬱蒼とした森の奥に本殿があり、ちょうど婚礼の列が通った。お嫁さんは文金高島田に結っていたのだろう(角隠しで見えなかったが)。島田はこの島田髷(まげ)の発祥の地としても知られている。さて、島田宿といえば大井川の川越で大いににぎわった。旅人にとっては川が増水して川留めになれば、それこそ「越すに越されぬ大井川」となり、何日でも足留めを食ってしまう難所であった。現在、川に続く旧道筋に国指定史跡「川越遺跡」があり、昔のままの建物が残されている。

歩行距離  約24km   歩数 38,800歩