『しあわせの理由』(グレッグ・イーガン 著/山岸真 編 訳/ハヤカワ文庫SF)読み中。
「適切な愛」瀕死の夫を助けるために妻が頑張る話。ラブストーリーにはなりようも無い。
そこがいい。
『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(村上春樹・柴田元幸 著/文春新書330)を読んだ。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』についての対談。今の自分の気分だと
『キャッチャー』は読まないほうがいいのだろうか、と少しだけ思った。
「Call Me Holden」(柴田元幸)の一節、
僕のことをみんな、成長しないやつだ、何も学ばないやつだとか言うけど(p.241)
これ、昔の自分がよく言われていたことだったので(今もたまに言われる。この歳で)、 読みながらその時の気分を思い出して、胸がつまった。
『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(村上春樹・柴田元幸 著/文春新書330)を買った。 ぱらぱらとめくってみる。
柴田 ……(略)……責任を取るのがいやなやつと、 今責任を取らされていて、前は責任なくてよかったなと思ってるやつが 読者だってことですか。
村上 そういうのはあるかもしれない(笑)。半分冗談ですが。
柴田 僕は圧倒的に前者だなあ(笑)。(p.180)
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んでみたくなった。
『人質カノン』(宮部みゆき 著/文春文庫)を読んだ。短編集。
「生者の特権」「八月の雪」が印象に残った。
「生者の特権」に出てくる悩みは、人によっては「それほどのことか?」
と思うところなのだが、それをきちんと描いていて、読後感はとても良かった。
「八月の雪」の重さは、読んでいて辛かった。
『日出る国の工場』(村上春樹 安西水丸 著/新潮文庫)を読んだ。
7つの<工場>訪問記。
種牡牛舎の管理人の話(「経済動物たちの午後……小岩井農場」)が面白かった。
乳牛も(競走馬と同じように)脚が故障しやすいらしい。経済動物としての牛の寿命は
10歳くらいだとか。
『嘘をもうひとつだけ』(東野圭吾 著/講談社文庫)を読んだ。短編集。
家族を描写する時のつめたく乾いた感じが、いい。
「友の助言」での"推理された動機"の使われ方は、特に興味深かった。
『アンダーグラウンド』(村上春樹 著/講談社文庫)を読んだ。
1995年3月20日に東京都の地下鉄で起きた事件、その事件の関係者
(被害者・医師・遺族)62名のインタビューをまとめたノンフィクションである。
マイケル・ケネディーさんの騎手と馬に関する話は面白かった。それぞれの人の
仕事についての話は、いずれもとても興味深かったのだけれど、そのなかでも特に。
最後に収録されているインタビューの、最後の2ページを読んで、急に涙が出てきた。
それぞれの人にそれぞれの人生がある、と言うのは簡単だけれど、
あの日の仕事場で、私の隣にいた人たちと「どうしたんだろう?何があったんだろう?」と
言葉を交わさなかった、そのかわりとしてこの本を読んでいるような気がした。
結局あの日は、家に帰ってTVをつけるまで何が起こったか「よく」分からなかったのだ
(ニュースを見ても、分からなかったのは同じだが)。
『辺境・近境』(村上春樹 著/新潮文庫)を読んだ。
「讃岐・超ディープうどん紀行」を読んだら、うどんが食べたくなった(こういう感想ばかりだな)。
「神戸まで歩く」を読みながら、ちょうど同じ時期に訪れた神戸のことを思い出す。
『村上朝日堂 はいほー!』(村上春樹 著/新潮文庫)を読んだ。
「有名であることについて」の描写は染み入るものがあった。
食べ物の話を読むと食べたくなるし飲みたくなる……が、今日は休肝日。
『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(村上春樹・安西水丸 著/新潮文庫)を読んだ。
何年か前に一度読んだことがあった。「〆張鶴」の話で一気に思い出す
(この本に書かれているとおり、とても美味しいお酒だった)。
この人のマラソンの話は、何度読んでもとても楽しい。
『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(村上春樹・河合隼雄 著/新潮文庫)を読んだ。
『そして哀しき外国語』の感想にも書いたが、この対談が去年行われたものだとしても、
個人的にはしっくりとくる。つまり、私の場合、ある出来事についての考え方・感じ方が、
10年前と今とでほとんどかわっていないということだ。
考えないようにしてきたから、かも知れない。かなり情けない……
河合:……(略)……言語的な分析は、問題が通常の意識のレベルに近いところに とどまっている人の場合は、やりやすいのです。ところが非常に深いところに問題がある人は、 言語的に分析しようとしても、傷が深くなるばかりで、かえって治らない場合があるのです。 だから、問題の種類によってやり方を変えなければいけない、というのが僕の考え方なのです。(pp.37-38)
ごく当たり前のことなのかもしれないが、ここ(引用)と以降に続く箇所を読んでほっとした。
言いたくないなら言わないでもいいんだな、と。これを読んでほんとうに気が楽になった。
いちばんいいのは「悩みくらい、ひとりで勝手に悩ませてほしい」とはっきり言うことなんだろうけれど、
これでもいろいろなしがらみがあって、なかなか言い出せないことが多いのである。
と言うと、家人に笑い飛ばされるのが落ちなのだが。
(家人は「悩みがあるなら打ち明けてみなさい」とは、まず言わない。私にとっては有難いことです)
『うずまき猫の見つけ方』(村上春樹 著/新潮文庫)を読んだ。
マラソンにはじまり、マラソンに終わるエッセイ集。車が盗まれた話に出てくる保険会社の担当者はすごかった。
時間引き延ばし要員として雇いたい。お客さんの苦情をのらりくらりと交わしてもらって、その間に原因探し……次の仕事が来なくなりそうだな。
『村上ラヂオ』(村上春樹 著/新潮文庫)を読む。
村上氏のエッセイの常連(マラソンとか猫とかビールとかコロッケとか)は、本書でも健在。
疲れている時は、似ているようで違う、この繰り返しが心地いい。
というわけで、疲れてだらけています。だるだる。
『やがて哀しき外国語』(村上春樹 著/講談社文庫)を読んだ。
プリンストン郊外の町の庭先に<SADAM>とボンネットに書いた車が置いてあって、
1ドル払うとこいつをかなずちでひと叩き出来る……湾岸戦争のときの話だとか。
去年かと思った。それ以外だと「この国では、俺たちは犬のように扱われるんだよ」と言った
リムジンのドライバーのおじさんの話が、印象に残っている(「バークレーからの帰り道」)。
このエピソードは、静かで、ほんの少し暗いけれど落ち込むほどでもなく、読んでいて気分が落ち着いた。
アメリカの話を読んでいるから今日はバドワイザー(わりと好き)にしようと思ったが、
売っていなかったのでエビスを買った。飲まない、という選択肢は無いのです。
『暗号技術大全』(ブルース・シュナイアー 著/山形浩生 監訳/ソフトバンクパブリッシング)を買った。重かった。
1年近く日記も書かず(本は読んでいたが、題名をメモしただけで感想は書いてない)
何をしていたかというと、仕事はもちろんだが、その合間にオンラインゲーム(ファイナルファンタジー11 ONLINE)をやっていた。
はじめたころは、平日には1時間ほど、休日はもう少し多めにと、仕事の合間に無理をせず
(しかし日記を書く時間は削って)遊んでいたのだが、だんだん「これって面白いのか?」と思うようになり、
年明けくらいから仕事が忙しくなってきたこともあって半分放置、結局、これをすすめてくれた知人が
「今月いっぱいでやめる」と知らせてきたのをきっかけに、私もやめることにした。
ほぼ放置していたとは言え「そのうち遊ぶかも」と思う程度には面白く値段も手ごろなゲームだったので、
こんなきっかけが無かったら、まだずるずると料金を支払いつづけていたかもしれない。
(そして日記を書こうという気にもならなかっただろう)
遠く離れた所に住んでいる知人と、時々とはいえ、待ち合わせをして同じ時間同じ場所で遊べるというのは
物珍しく面白かったが、これは現実での付き合いの延長みたいなものだし、
ネットならではであるはずの「ゲーム内での出会いや絆」(ゲームスタート時のメッセージによる)がどうかといえば、
私の遊べる時間はごく短くおまけに不規則で、見知らぬ他人とゲームで知り合う機会はほとんどなかった。
その上、このゲームの特徴なのかオンラインRPG全体の特徴なのかは分からないが、
ある程度ゲームを進めると何をするにしても「誰か」が必要になり、その誰かを探すうちに時間切れになってしまう。
ひとりではほとんど何も出来ないのだ。それを我慢してまで遊びたいかというと、私にとってはそうじゃなかった。
我慢、と思った時点で駄目だったんだろうな。
このゲームに費やした時間を見るともったいないなとも思うが、そんなふうに思える今が、
いちばんいい辞め時なのだろう。
『翻訳夜話』(村上春樹・柴田元幸 著/文春新書129)を読んだ。
小説を書くことと翻訳をすることの違い(村上)、誤訳を指摘したとき(柴田)、
このふたつが面白かった。技術的な間違いを人格批判と受け取って落ち込むことは、
プログラマにもありがちなのだ。自分の書いたプログラムを自分の所有物と考えては駄目です、
と言ったのはワインバーグ氏だったか。
カキフライ理論、分かるようで分からないけれど、食べたくなった。
で、今晩のビールの肴は惣菜屋のカキフライ。飲みながら書いてます。