2000.8.31また間が空いた。この暑さである。 猛暑である。酷暑である。これは異常な暑さである。
八月も下旬になり、それでも秋の気配がどことなく感じられる。上旬にはもう雲の様も秋の それを呈し始めていた。草木も疲れ気味で、雨の降らないこの夏のせいかどうか、枯れ葉が 舞うこの頃である。そんな彩りはどこかおかしい。そうでなくても、病害虫防除とかで、土 手や畦などをしょっちゅう刈っている。昔とは様変わりである。そして、飛び交っていたは ずの蝶も蜻蛉も急速にその姿を消し始めている。去年の同じ時期ならもっと蝶がみられた。 今はその種類も数も極端に少ない。
そんな道の脇にはそれでも蔓性の植物が繁 茂しているのである。特に、この頃になって旺盛なのは葛である。大きな三枚葉を彼ら自身 の茂みの上にのせ、中からにゅうっと花をおっ立てている。色合いの乏しい夏に貴重な紫である。 でも彼らには涼しさは求められない。夏の暑さをこそ際だたせながらも、これで夏も終わる ことのみを伝えようとしているかのようである。この道行きを守り続ける繁茂の立ち紫は秋 の色なのである。
Pueraria lobata Ohwi
このころにかけてよく見られるのは、 田畑のまたまた脇に植わっている禊萩 (ミソハギ) である。この花も紅色がかった紫で、そ の並び立ち揺れる風景はこれからの秋の前触れである。6枚に分かれた花弁を縦に連ねてい るが、中には5枚のものもある。それでかどうか、雄しべも前後ろ6本ずつのよりも5本ず つのものが目立つようなのは私の見間違いか。近くで見つめるほどにきれいである。開花期 間の長いのも、秋にかかるのも、萩のごとく、であろう。
Lithrum anceps Mak.
小山の麓にはそろそろ萩が花を揺らめかし始めた。
2000.4.8ほぼ一年ぶりの日記である(^_^;)。身の不幸や周囲の著しい 雑音障害で書けなかった。
遅れて来た春もようやく彩りに鮮やかさを加えてきていて、光によく映えるようになった。 3月の終わり近くまで霰も降るような寒い日々もやっと変わりだしたのである。暖かさは 遠のくことはないようである。
土曜の午後のいつもの歩行(ウォーキング)の道はめくる めくごとく光に溢れていたが、風は北寄りで存外強く、かぶっていた帽子も飛びそうなほど であった。
春の田起こし (春耕) が 4、5 日前頃からそこかしこでこの地でも始まった が、その前からの田の中の様子は変わってしまっている。家 (うち) の田や畑の裏手の田は 以前とさして変わらぬ色合いである。
タネツケバナ Cardamine flexuosa With.
茎は細い。
ペンペングサ(ナズナ)と似た感じがある。
緑の中の枯れ (させ) て撒かれて敷かれた稲藁の中には小さな白い花をたくさんつけた種漬 花 (タネツケバナ) と 黄色く目立つ小鬼田平子 (コオニタビラコ) あるいはむしろ春の七草の一つとしてよく知ら れた仏の座 (ホトケノザ、本来そう名づけられている似た大きめの葉を持つ長い筒状の紅色 の花 Laminum amplexicaule L. のことではない) が同じくらいの分布をしている。
Lapsana apogonoides Maxim. 茎は放射状に根からたくさん伸びていて、まさに座する場所のようである。
一面に咲くその景観 (というほど大げさなものではないが) は春の姿そのものである。中に 足を踏み入れると意外に濃い海老茶や茶色や赤みがかった茎など、たくさんの色が混ざって いてその田のキャンバスは美しい。
北へ下って耕地整理された田の広がる和田へ出ると、タネツケバナさえ無い田もいくつ もあった。色の変化に乏しいのである。緑は広がっているけれども、全体に単層的で単色で ある。
Veronica persica Poir.
畦や土手のあたりには、オオイヌノフグリの青やヒメオドリコソウの灰紫 (やたら多 い) や
Lamium purpureum L.
椿の赤 (山際などにこれま た目立つ) もあるし、
田の中に捨てられたカブラ (菘、スズナ=七草の一つ) から起き立った菜花としばしば見まちがうまっ黄色の花も盛り である。
なのに、それらは田を染めない。なんとかかんとかその生を主張しているのみである。この 西の先の整理された田の広がる松原でも同様であった。ホトケノザはなかった。わずかに 3 株のみ、下水処理場 (”浄化センター”なる名前がつけられた-_-;) の道路を隔てた東の田 の南の畦に残っていたが、そこはもっと花も色も少なくねっとりしている。鉄道線路の北の 山裾から道路を隔てた下の田には数えるほどあった。しかし、そのタネツケバナに比しての 異常な少なさや張り付いたような苔のような草の這う泥田のごとき有様を見るともとからあ る姿とは思えなかった。どうしてだろう。
うちの田んぼや裏の田んぼとの明白な違いは、水の出入りである。耕地整理されてより 和田や松原の田は例外なく、圧力ポンプ式の取水口から水を引き入れ (というより噴出させ )
田にはっている。水路はも ちろん、コンクリートの溝である。目に見える形での決定的な差異である。
コオニタビラコは種子をつける。運ぶのは水が主であろう。かぎ (鎌の鉤 ) のような先で小動物にくっついて、ということを考えても、田に入るのはカエル (蛙) や 小鳥 (スズメが多い、このころはカシラダカもチッチッいっている) やカラスたちで、イタ チは最近見かけない。イノシシは山から逆に身にくっついた厄介物をこすってあばれ落とし するために稲の刈入れ前によくやってくる。また、種ができるまで田にホトケノザがあるこ ともおおくないと思われる。その根や部分が残るような土ではないのだろうか。そういった 耕作をすでに止めてしまったのか。耕された土を見てみると、和田や松原の四角い田では異 様に黒く、生気に乏しく見える。実際、松原では、畦にいくつもの化学 (化成) 肥料の20 kg入り袋を置いていた。撒いて混ぜるつもりなのであろう。このあたりは農薬の散布も必ず している。かつての工夫された水の流れを廻らせた田畑の生産生態系はない。自然に運ばれ る動植物もいろいろな養分も入らないしもちろん循環しない。変化の乏しさは美しさを造ら ない。単一相の形成の広がりと経常化は生態系の豊かさを失わせてしまった。
1999.3.29
昼のテレビを見ていたら、神奈川県平塚市のバラ栽培農家がでていた。そこで いろいろな色のバラを束にしてアナウンサーが『ない色はなんですか』と尋ね た。農家の人は『黒でしょうか』といったが、黒(っぽい)色の花といえば思い 浮かぶのはクロユリであろう。山上の貴婦人である。山歩きをしていた頃のメ モを見たが、しかしながら、はっきりとした記載がなかった。おぼろげな記憶 があるのだが、錯覚か幻か。ユリというよりは桔梗を大きくしたような感じの 花である。桔梗といえば北海道のイワギキョウを思い出すが(写真)そんな色 のバラはいまだかつて見たことがない。
(手の上に私が写っている―夏の雌阿寒岳頂上にて)