魚のイメージ What Fish Remind Us

1999.5.18 / 6.28 改稿 / 2001.8.14 追稿 / 8.21 追加

日本テレビ系列で『伊東家の食卓』という番組があるが、1999年5月18日午後7時からの放送 の中の”大発見”のコーナーで、「魚を絵に描くとき左向きに描く」という例を示していた。 放送では、50人の人に街頭で描いてもらったところすべて左向きであったとのことだった。 伊東家の6人もなぜか同様だった。その理由を魚の図鑑の嚆矢あるいは模範となったとかいう ドイツの学者のスケッチの描き方に帰していた。なんでも、右側を解剖したのでスケッチは 左側を見てしたのだというのだが...。私はこれには苦笑したし、かなり無理な理由付け だと感じた。魚を見るとき、人は必ず左側面を求めるのだろうか。図鑑から魚の姿を覚える のだろうか。

私の生まれ育った海辺の田舎町では、少な くとも私たちの世代なら、そうは描かないはずだ。50人描いたらおそらくてんでばらばらの絵 になるだろう。向きも姿も。判で押したように、左側面を描くなんて不自然なのである。子供 の頃に図鑑などで見て魚を知ったり確かめたりした者はほとんどいなかったはずだ。私たちは 小学校の行き帰りなどでも、道(もちろん土の道)の傍を流れる幅1mくらいの川でよく遊んだ し、山の端や田畑の広がる北の方の地域を曲がりくねってゆっくり流れる幅3mくらいの川で も釣りなどをしたりした。そういった川は今と異なり、土や石の岸で草木茂り水底には濃緑色 の藻がびっしりはえているところも多かった。泳ぐメダカはいつだって見られたしよくすくっ ていた。小川ではドジョウもとったし、上手な子は素手で小さなフナ(多分。タナゴもいたが) なども捕まえていた。海では自在に泳ぐ姿を水中で見た(水中めがねは便利)。漁港(西北、東北 地域にある)でさえ、まだ生きていた魚たちのはねる様子をみたものである。魚たちは”筋”の ように見えたり、揺らめいたり、からだをくねらせて逃げ回っていたり、飛び跳ねたり、水底 に這うようにしていたり、潜ったり、水面に口先をだして(半分頭部をだして)口をぱくぱくさ せていたりした。そんな姿、さまを見ていた私たちは一つのイメージで魚を固定したりはしな い。

番組での数はすべて都会の人たちである。おそらく、図鑑というよりも、市場や食卓にまさに 並べられている(しかも、そういう場合、なぜかー確かにー左向きが多い)死んだ魚(それでも ”新鮮”だという)のイメージの刷り込みの結果が左側面図を描かせたのだと思われる。お皿に のせて食すとき、左手で頭部を持ち、右手で箸を使ってむしったりついばんだりする場合が特 に右利きの人に多い。左利きの人もそんな様子や目の前に出されるときの魚の置かれ方からそ んなイメージが焼き付いてしまったものと推測される。川を溯るときの魚のイメージは上向き の背中である。大川の上流の石段や石のごろごろした流れをアユなどが必死で上っている姿は まさに斜めにくねっている。太陽の光に水と共にきらめいた情景は今も目に浮かんでくる。そう いう私たち田舎者が魚に持つイメージは躍動して生きている姿そのものなのである。これはテレ ビに映し出された同じ絵柄の悲しい魚との決定的な違いである。都会の水族館や水槽の中では 側面のゆっくりした姿を”さかな”だとして見て覚えてしまう。もちろん、腹を上に向けて死 んだ哀れな魚たちよりはましには違いないが。魚を見た状況の頻度も関係するだろう。どうして も死んで横たわった姿を目に入れることが多い。子供の頃からそう慣らされてしまうと”魚”と いうことばに対して抱くイメージは限定的になりやすいからだろう。

人の心はまっすぐなほうがよい。しかし、川の流れや水の流れはまがりくねっているのがよい。 そこに命が宿り棲むのである。淀みや緩急のある水流に育まれるのである。魚たちの居場所が そこにある。決して皿やまな板が棲み家ではない。都会の人達、特に子供たちの魚に対するイ メージが多種多様で変化と動きにあふれたものになるような水の環境を取り戻さなければなら ないと思う。今残っているもの、擬似的でも近い環境として生き物たちが棲み続けられるよう な水の有り様をこれ以上壊さないようにしなければならない。そのための助言や手助けは田舎 から意外に効果的にできるかもしれない。本来の姿を直に知っているはずだから。嘆くべきは しかしながら、田舎でも近年急速に進む画一的な改変と無生物化である。目先の欲にとらわれ たり、水の管理や制御、水利のため、また人工市街地のため、あるいは耕地整理のために不自 然で生き物の棲めないコンクリートの溝ばかりにしてはならない。そんな流れを変えていきた い。

あるべき、いや、あってあたりまえの自然の営みがくずれて消えて行く中で、単一化され、抽 象化され、無個性の人工的な風景を時代の変化と受け入れて、多様で必然性のある個々の存 在を否定し、効率よく管理制御できない物事を排斥しようとすることをこそ阻み、私たち自身 を含めたかけがえのない命の存在を肯定し、それぞれの違いをあたりまえのこととして認容し 続けなければならないと思う。単に魚の棲める川の環境に限られた問題ではないのである。社 会の有り様にもかかわってくる。同じように物事を感じ考えることをよいこととするのではな く、人それぞれの異なる考え方や感じ方をこそ当たり前のこととして自然に認識してそれぞれ の存在を認め合うことがおおもとだからである。同じでなければおかしい、排除すべきだ、攻 撃しろ、ではなく、同じなのが基本的におかしいのであり、違っていてこそお互いを知ろうと して努力をするのであり、また、それぞれの存在を確かにすべく環境を”整え”、守り、育 んでいかなければならないのである。これに反する現状を変えていく流れを生み出していきた いものである。固定化されたイメージを共通する規則か何かのように見出して、それを「大発 見」だなどと喜んでいるなんて、あまりにも悲しい。

♪......生きているさかな たちが生きて泳ぎ回る川を...
...あなたに残しておいてやれるだろうか、とうさんは...
...目を閉じてごらんなさい、野原が見えるでしょう...
...近づいてごらんなさい、インドの花があるでしょう......♪

(高石ともやとザ・ナターシャー・セブン、「私の子供達へ」 / 笠木透 作詞・作曲)

2001年6月16日の中日新聞のオピニオンの頁の編集局デスクというコラムで編集局長の小出 宣昭氏が「『魚釣り』の乱れ」と題してことばの違いと変化について書いている。

『魚釣り』は三重県南部から西では「うおつり」という、とのことで、生きている魚は「うお」 であり、死んだ魚を「酒菜」である「さかな」と呼ぶ使い分けを紹介している。このあたりから 西ではそう呼ぶのが普通で、これより東の日本では見境なく「さかな」というとのことである。 この境目は北陸ではちょうど私の住んでいる町あたりで、関西方言に近い話し方をするのが象徴 的である。東隣の敦賀市では越前方言に近く、高校に通っていた頃は少し違和感を感じたもので あった。実際、「さかな」とは食卓に上る死んだ魚だった。ただ、子供の頃は魚釣りに行くとき 単に「つりにいく」といっていて、「うお」か「さかな」を冠してどういったかは記憶は定かで はない。私の小学生の頃は、魚、は「うお」と言い、よみがなを「うお」と書かないと間違いと されていた。これは確かな記憶で、当用漢字としても、当時は魚は訓読みでは「うお」以外は辞 書にも載せられてはいなかった。

生きていようが、死んでいようが、魚を「さかな」と呼ぶのが広まっているのは東京方言やそれ を広めている各種放送に責任があるように思う。上述したように、手前勝手な理由付けで魚 (う お) のイメージを決めつけて大発見だ、などと悦に入っているようなテレビ局の連中が幅を利か せている現状ではこういった本来ある大切な日本語、というよりことばの継承が切られて壊され ていってしまうのが腹立たしい。現実に川や湖や海などでじかに目にし手にとって生き物の姿を 知ることが極端に、特に子供達に減ってきている昨今、このことばのファッショ的塗り替えは危 惧すべき状況だと思うのである。これは小出氏のいうような「多様化」などではなく、その逆の 一元的な「一様化」であることはいうまでもない。「うお」のイメージが東京の放送局的に単一 の姿に無理矢理塗り込められ人々に刷り込まれていくとしたら悲しすぎるし恐ろしいことである 。不自然な都会的視点で現実を狭い範囲で固定化していくのはやめて欲しいと強く思う。

このコラムの後半では小出氏は多様化や多様性の意味するところをはき違えて逆に取っているこ とがおかしいし少々気がかりである。

先日テレビを見た。TVK 制作の「アクセスNOW」という番組で、「メダカの学校」はどこにある 〜生物多様性の保全〜、という題目で消えていくメダカの話を中心に生物環境の保護について取 り上げていたものである (2001年 8 月19日、KBS 京都、9:00〜9:30)。ここで終わりの方で、ゲ ストの環境教育コーディネーター小澤祥司氏の『...水口さんもメダカを飼っておられる.. .』という声に答えて、「婦人公論」元編集長の水口義朗氏が、

『 ...卵を産んで孵ったときの喜びとかね、子ども達がやっぱり昆虫やなんかの中にいっしょに いて自分も生物のひとつであるということがわかって、それでその中でどうやって生きていくかと かを、そういうのを見てないとね、僕はね、だめだと思うね、情緒的に...。 ...不自然 なものは不自然なんだよ...』
と言われたのがとりわけ印象深かった。都会にいる人でもそういった思いや考えを抱いていてく れる、ということがほんとうに嬉しかったのである。これは本当に大切なことだと思う。

魚を「さかな」と読み、その図や絵が一様に横たえた姿をとるとかいう大発見の都会を中心とし た町の人たちの心には生き物たちへの慈しみや強い想いや一体感が失われつつあるのかもしれな い。日常的に生き生きとした生命に接して暮らせる地域では自ずから子ども達も大人達でも「い のち」というものに本来は自分と不可分のつながりを知らず知らずのうちに身につけているもの なのであるが、それを平然とないがしろにし踏みつけ、壊している者たちには、都鄙の区別なく 人間としての髄を成すところの受け継がれていくはずの生命に対する芯や仁がなくなっているの である。そういう者たちは他者に対しても非人間的に振る舞い、人を人とも思わない背筋の凍る ようなぞっとするおぞましさをその一見きれいな姿の裏に身に纏っているようである。

古いが有名な映画に (私は映画そのものは嫌いだが) 『禁じられた遊び』というのがある。ナル シソ・イエペスのギター曲でもよく知られた名作である。その禁じられた、虫や小さな動物など を殺して墓をたてるという「遊び」を現代の町の子ども達が平然と行っている。夏休みの「研究 」の成果として植物も含めた生き物を殺して押しつぶしたり針(ピン)で刺し止めたりして「標 本」として威張るのである。それらの名前を調べたり大人に聞いたりして付けて喜んでいるらし い。なんともおぞましい光景ではないか。本当に学ぶべきは、先の水口氏ではないが、生きてい る姿、生きて継いでいって生まれ変わっていく姿であり、そこに自分自身の生命の姿を自然に見 いだしていくことのはずである。子ども達にいのちを奪うことを「学習」させてはならないと思 う。いのちの痛みは心の耐え難い痛みなのだ、ということを体得していけるような、本当の、本 来の「学習」を大人達はさせていかないと、ただでさえ、人工物に囲まれて人工のゲームなどと いうものに冒されて痛みを感じにくくなっている社会では、まともな成長・生育をしていかない だろう。ゲーム機器を使った「遊び」もまた全面的に禁じられてしかるべきである。いや、すべ て、追放すべきである。傷つくこと、傷つけることのむごさや苦しさはそれを行わないところに 見いだしていけるような環境にしなければならない。いじめや犯罪行為、非人間的行為言動の多 発・深刻化の一因でもある。

画一化した死んだ魚の姿しかイメージ (想起) できないような大人達にその環境を造れ、取り戻 せ、守れ、というのは無理なのだろうか。

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