「日本」の発音

1998.2.8初稿/4.5 改稿/2000.12.24加筆

「日本」はどう読み発音するのがよいのか。これは昔からいろいろと 意見が分かれ議論も多いが、私は"にほん (nihon)"と言うべきだと信 ずる。

発語される時一番大切なのはその音の響きである。ことばを発する人 はもちろんだが、受ける(聞く)人も耳に心地よい音であるなら会話も はずみ和やかになるものだ。相い対する人に直接関係しないことばで も、耳障りに聞こえることばは話しを減退させる。どこかひっかかる 、なんかいやだな、と感じることばは何度も聞きたくないものだし、 あとあとまで残ったり変な思いのまま別れたりするとすればなおさら である。nippon、と最近聞かれることも増えたような気がする。この 詰まった音はいやなものである。また、nippon に関してだけ言えば、 どこかばかにしているようにも聞こえるのである。”あんぽんたん” と同音に響くからである。軽々しく、軽薄で品がない。”ポンポン” とも同音である。にもかかわらず、バレーボールの国際試合などでは ”nippon, (拍手3回)、nippon, (拍手3回)”が頻繁に観客席から発 せられる。相手の外国チームも迷惑なことと同情してしまう。確かに 手拍子などではリズムのよい言い方なのだが。体育館などでの試合は どうしても音がこもったり反響したりするのでこれはよくない。解説 者だか評論家だかが批判していたのを思い出す。

歴史的には、たとえば、吉田孝、『日本の誕生』、岩波新書、新赤版 510、1997、の序章などにも書いてあるが、nippon、という呼び方は 漢音であったということである。日本という国号の成立はこの本の第 六章に詳しく書かれているが、西暦 674年以後とのことだ。遣随使、 遣唐使などを送っていた頃、大国中国に従い漢字音を用いたのはその 中国にあった時であろう。国内では 720年頃撰上された『日本書紀』 やその後の『続日本紀』などが現在、”にほんしょき(nihon-shoki)”、 ”しょくにほんぎ(shoku-nihon-gi)”などと呼ばれていることからも 、また、古代から平安期のヤマト王権にあった、中国からの冊封(さく ほう)を受けずに自立した国家としての存在を意識した姿勢に依拠する ならば、”にほん(nihon)”という読み、呼び名は自然な感覚で受け容 れられたのではないか、と思われるのである。漢音では、日出づる処 としての日の本の国、日本、の名が出てこない。この日本という国号 は中国の史書、『史記正義』に認められているとのことで、おもねる 必要はなかったのである。中国で読めば(呼べば)nippon/jippon のよ うになるだけである。

自国を呼ぶ時に他国の発音に変えるのは腰が引けていて自身を卑下し ているようで素直に受け入れ難い。他国の人がどう呼ぼうと、独立し た国家を自認するならば、私たち自身のことばと音を使いはっきりと 発音すべきである。「やまとことば」の古代からの変遷を鑑みるとき (私自身はたいした知識はないが)馴染みにくい外国の漢音よりは”や わらかな”発音は舌について出る。

ことばやその発音は議会で定めることでも統一するべきことでもない。 NHK が基準をつくるわけでも新聞が決定するわけでもない。公的機関 や大量伝達媒体(マスメディア)を握る人達の恣意的な使用によって強 制されるものでもない。”使用されているから”は根拠とするにはそ の広範で精密な調査が必要で、それを裏付ける理由は簡単には見出せ ない。私たちが知るのは狭い経験の範囲内でしかないのである。メデ ィアによる流布が発音を決定づけるというのはおかしいし受け入れら れないことである。まして、昔から、おもに二種類の発音の仕方が混 じり使われてきたこの「日本」の場合、誰に決定権があるものでもな いであろう。広めれば標準となる、というのは権力者や持てる者、強 者の傲慢不遜以外のなにものでもない。強権的なものには反発するの が常である。まさに、電波などを使った、上からの強要には抵抗をす るのが私たち庶民である。

戦前まであった史観や歪んで偏った復古主義によらない、おそらくア ジア地域で最も民主的な日本という国を構成する多種の起源を持つ人 々が開かれた社会として存続するならばなおさらのこと、他国文化に 依存した呼び方をよしとするのではなく、文化的な起源に基づいた発 音が望まれると思う。「にほん (nihon) 」と呼ぶ時、私たちは私たち 自身を呼ぶことになるのだと思うのである。

2000年の11月に刊行が始まった講談社の「日本の歴史」シリーズの第一巻 でこのひのもと、日の本の国号としての日本についてその成り立ち所以か ら範囲歴史を詳細に論じている。『「日本」とは何か』(網野善彦著)と いう巻の題名である。7世紀の終わりに国号として使われだしたこの名は けだし、曖昧である。それが多くの地域、人々に浸透していく過程や理由 などについては同書を参照されるとして、この発音あるいは呼び方はやは り、にほん (nihon) である。『釈日本紀』『日本後記』『日本紀略』な どはそれぞれ、しゃくにほんぎ (shaku-nihon-gi) 、にほんこうき (nihon- kouki)、にほんきりゃく (nihon-kiryaku)などとよぶ。

先述のとおり、この国号は、ヤマトの王権の側から自らを呼び慣わすのに 相手に対して用いられたものであり、その発音は自然、にほん (nihon) と なる。『「日本」とは何か』の中でも日本と読んでいる。たとえば、p.97 では「日本国惣官太宰府」に「にほんこくそうかんだざいふ」の読み方を ふっている。大日本国、でも、だいにほんこく、と読む(呼ぶ)のである。 にっぽん (nippon) とは悪名高き「大日本帝国」を思い起こさせて対外的 にもよろしくない。明治憲法制定までは通常、あるいはごくふつうに、 にほん (nihon) と呼んだ、というのはまちがいはない。


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