マン島と海難事故についての事実、そして妖精たち

マン島は英国北部とアイルランド島の間あたり、アイリッシュ海に浮かぶ小さな島です。周囲を海に囲まれ、緑豊かな森や丘も併せ持つこの島は観光地として、また二輪車を操る人たちの間では毎年行われるオートバイ・レースで知られています。美しいこの島も厳しいアイリッシュ海のただ中にあって、冬の季節には海から吹き付ける強風にさらされ、昔から数多くの船が嵐に巻き込まれ遭難し、岩や浜辺に打ちつけられて難破しました。島民たちによって多くの船乗りたちも救助されています。
英国救命艇の艇長を勤め多くの功績をたてていたサー・ウィリアム・ヒラリィは、1808年にマン島に移り住んだ後この事実に注目し、後に英国全土に拡がる王立救命艇国民協会(RNLI=Royal National Lifeboat Institution)の前身となる組織を1824年に設立し、海難救助の専門家たちの育成に尽力すると共に、自ら救命艇を指揮して事故の救助に当たりました。60歳の時、首都ダグラスの湾の入り口に浮かぶコニスター・ロックと呼ばれる小島に打ち上げられた英国郵政公社の蒸気船の乗員全員の救助に成功したサー・ウィリアムは、この小島に座礁した船の乗組員たちが助けが来るまで安全に待っていられるよう、1832年に「避難の塔」を建立しました。この塔には近年まで、常に新鮮なパンと水が常備されていたそうです。現在ではこの「避難の塔」はマン島のランドマークとして広く知られています。

一方、アイルランドやスコットランド・ウェールズなどと同じようにケルト文化の色合いを今も色濃く残すマン島は、昔から「妖精の住む島」とも呼ばれてきました。「妖精の橋」と呼ばれる場所では今でもそこを通る人々は妖精たちに親しげな挨拶を送ること、とされているとか。ギャラリーの絵に添えた物語詩はもちろんWoodpeck氏の創作ですが、不思議な力を信じる島の人たちがこんな話を聞いたとしても、驚きはしないだろうと言っていました。ちなみに後日談として、彼がこれを書いた後にマン島周辺の海難事故についての本の著者に手紙で問い合わせたところ、サー・ウィリアムが救助に当たった上記の事故の他にも、コニスター岩に船が座礁しながら奇跡的に乗組員全員が助かった事故が3件あったことが分かったとか。もしかすると、詩に描かれていることも全くの空想ではないかも知れませんね...

island fairyの絵で妖精の背景に描かれているのはダグラス湾から望んだ海です。彼女の足元に半分ほど見える黒い影がコニスター岩の上に建つ「避難の塔」。こちらのサイトで、実際の島や塔の写真が見られます。

情報提供:Hjelmer Woodpeck氏/ Images of Britain: "Destinations-The Isle of Man"




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