三貫地貝塚

(No.20)福島県相馬郡新地町
東方より1996.08.15 双子土器

 仙台湾から福島県境へ南下する海岸線は砂浜が続く。 海岸線から山間は数キロメートル程をなし平坦な水田が広がる。 未開地が多いせいもあるが貝塚をともなう遺跡の数は極端に少ない。しかし県境を過ぎる辺りにはその平坦地にも起伏が見えてくる。この地形に形成された新地貝塚(小川貝塚)、三貫地貝塚はともに縄文後期の代表的な貝塚である。
 1924年(大正13年)福島県北の町、新地町で東京大学人類学教室による二つの貝塚の調査が行われた。その一つが三貫地貝塚である。 福島県の依頼を受けた新地貝塚の調査のおり試堀されたものだが、この年山内清男らによって再度調査が行われている。
三貫地貝塚、新地貝塚は共に阿武隈山系裾野が東に延びた低い丘陵が平坦地に張り出した地形にあり、三貫地貝塚は現在の海岸線から4キロメートル程の地点、新地貝塚の南2.5キロメートルに所在する。
1893年(明治26年)舘岡虎三、若林勝邦によって発見された縄文中期末葉から晩期終末に至る遺跡で、人骨の発見に加え後期土器編年に良的として1952年(昭和27年)と1954年(昭和29年)の二回に渡り発掘が行われている。 この発掘で出土した169体にものぼる人骨は特出するものであった。近年では1975年(昭和40年)から1979年(昭和44年)にかけて調査が行われている。
■参考文献■
「新地町誌」