是川遺跡

(No.7)青森県八戸市大字是川
西より(1995.05.03) 土偶/高さ7.5cm×幅8.1cm 注口土器/高さ6cm×胴径14.6cm

 縄文晩期の土器で知られる亀ケ岡式土器は、完成された器形、紋様の美しさから縄文文化の芸術性の高さを伝える。 亀ケ岡式土器を出土する遺跡は青森、秋田、岩手県を中心に各地に広く分布する。その中でも亀ケ岡遺跡と是川遺跡は最大規模の遺跡である。ふたつの遺跡は青森県内にあって日本海側と太平洋側に距離を隔てるが、海岸の近くに位置しながら貝塚を伴わない遺跡であること、居住の立地条件を丘陵を背した水辺とするなど共通の生活環境がみられる。ともに貴重な泥炭遺跡を残し、その泥炭層からは植物遺体が検出され食料資源であるクリ、トチ、クルミ等の堅果類が解明された。また海岸に接しながら海洋に依存しないことはサケの溯上と大きな係わりがあるとされ、サケが生活を支えるものであったと考えられている。
 古くから存在が知られてきた亀ケ岡遺跡の出土遺物の多くは拡散し当地に残るものは数少ない。これに対して1920年(大正9年)に発見された是川遺跡は、亀ケ岡式土器の出土量としては最大の1600点もの完形土器を出土し、そのほとんどが遺跡に隣接する資料館に保存されている。
亀ケ岡文化の発祥地は論議を醸すところだが、馬淵川流域に亀ケ岡文化の際立った遺跡が多いことから発祥地と考える向きがある。いずれにしてもすぐれた遺跡が多く存在することは確かである。
■参考文献■