嘉倉貝塚

(No.22)栗原郡築館町字萩沢加倉地内
伊豆沼方向より1999.11.20
大型建物跡

 旧北上川の河口を北に遡ること約40キロメートル、その西方15キロ程に伊豆沼、長沼、内沼の3つの沼が寄り添うようにある。 嘉倉貝塚は東西に長い伊豆沼の西約1キロほどの標高約20mの丘陵にある。 資料によると縄文前期後半から(大木4〜)晩期、また弥生、奈良〜平安時代の遺物が出土する。 貝塚といっても海岸線からはかなり離れており鹹水産の貝塚ではない。この周辺に多く見られる淡水産の貝塚である。しかし、海岸線から20キロほどの地点にある長根貝塚では、早期の貝層に鹹水産のカキ、ハマグリ、オキシジミガイなどがみられ、縄文海進の頃にはかなり内陸深くまで海水が流入していたようである。
1999年に調査が行われたとのことで、その現地報告会に出かけた。
 国道4号線から伊豆沼に向う道路がちょうど遺跡を東西に横断する。その道路に沿った南側の耕作地が今回の発掘地点である。
南側には未調査の台地がまだ続いており、その先は斜面となって低地に落ちる。貝塚は斜面の南西にみられ後期から晩期の貝層が確認されている。低地は伊豆沼の延長にあったらしい。
今回の調査で発掘されたのは、縄文前期後半から中期はじめまでを主体とした奈良、平安時代の建物跡で、縄文時代の遺構ではロングハウス幅3.5m長さ18mほどの掘建柱建物跡や、幅4m長さ8mほどの大型竪穴式住居跡、一辺3mほどの小型の正方形竪穴式住居跡など、多数の建物跡が重複する形でみつかった。 宮城県内においては空白域である前期から中期にかけての集落跡が出土し、初めて大型竪穴式住居跡が確認された。 特に長さ18mほどの建物跡には床の周囲に壁材を巡らせたとみられる溝が見つかったほか、調査区外に延びるさらに大型とおもわれる建物跡も見つかった。
また、出土した遺物にはこの時代を特徴づけるケツ状耳飾りや板状土偶がみられ、特に「いちじく型土製品」は希少なものでこの地域を限定とした特徴あるものであった。
調査は来年度も行われ縄文前期の集落跡の様子がさらに浮かび上がることとおもう。
同時期の貝層が気になるところだが、低地などの調査も進めば、当時の環境や生業がかなり明確になるのではないだろうか。
いちじく型土製品
ケツ状耳飾り

■参考文献■
「宮城県の貝塚」1989年
「現地説明会資料」