石神遺跡

(No.3)青森県西津軽郡森田村
狄ケ館溜池から 円筒上層a式 円筒上層a式

平成8年5月、亀ケ岡遺跡を訪れた帰り、森田村の森田村歴史民俗資料館に立ち寄った。 亀ケ岡文化一色になっていた私は館内に足を踏み入れた瞬間、立ち並ぶ円筒土器の圧力に驚きと衝撃を受けた。 亀ケ岡文化以前にここが円筒土器文化圏であることを思い知らされたのであった。 整然と直立する円筒土器を間近にすると、何か勢いを感じさせるような力強さが伝わってくる。はじめは単調で変哲のない筒形の器形が時代と共に口縁が肥大しさらに粘土紐の飾り紋様が脈脈と器面に拡大していく様は真に迫力がある。 これらは石神遺跡の出土品を集めたもので円筒土器の変遷解明に貴重な資料となった。
 石神遺跡は岩木山から北の狄ケ館溜池に張り出する低陵の先端に位置し、晩期の遺跡として古くから知られてきた。1927年(昭和2年)以降度々発掘が行われ、多量の土器が出土したことが記録に残る。
資料館に展示されている出土品は、1963年(昭和38年)溜池工事で遺跡が掘削された際、地元保存会が遺物を採取、保存したもので、学術調査のきっかけとなった。1967年(昭和42年)には貝塚が発見されるなど1969年(昭和44年)まで3次に渡り発掘調査が行われた。 遺跡は前期から晩期におよび平安時代の遺物も見られ、この調査で前期から中期にわたる円筒土器の発生から終焉にいたる各型式が層位的に出土し、山内清男の設定した円筒土器編年が立証されるとともに江坂輝弥氏による下層7型式、上層7型式設定の資料となった。
また発見された貝塚は前期に形成されたもので、ヤマトシジミを主体とする主淡貝塚であった。このことは十三湖が遺跡付近にまで進入し、付近が潟湖あるいは河口を意味するものであった。
■参考文献■
「ふるさと青森の歴史-総括編」青森県文化財保護協会/1990年

「探訪縄文の遺跡」戸沢充則/有斐閣1985年