恵比須田遺跡

(No.12)宮城県遠田郡田尻町蕪栗
恵比須田遺跡 遮光期土偶

 私が始めて目にした遮光器土偶は、ほかならぬ宮城県田尻町の恵比須田遺跡のものだった。 1943年(昭和18年)に発見されたという恵比須田遺跡の遮光器土偶は完全なものとしては最大であり全高36cm肩幅21cmを測る。大型かつ完形品で優美であることから亀ケ岡遺跡の片足の遮光期土偶と共に多くの諸誌に登場してきた。 しかし、恵比須田遺跡については記録に乏しく、恵比須田遺跡から遮光器土偶を想像するには及ばぬところがある。
恵比須田遺跡のある田尻町は江合川、田尻川などの中小河川が形成した底地帯にあり、かつては氾濫を繰りかえす湖沼地帯が広がっていた。現在でも迫川、萱苅川によってできた湖沼が自然を留めている。縄文時代の遺跡はこの湖岸の低丘陵上に形成される。
 遺跡のある丘からは北を望むと蕪栗沼、そして北上川に注ぐ萱苅川が水田をゆっくり流れる。箆岳丘陵の西北端から東に延びるこの小高い丘の連なりには長根貝塚、中沢目貝塚など多くの遺跡が点在する。淡水産の貝塚で知られるこれらの遺跡が形成された背景には生活に適した豊かな自然環境があったことが窺える。中世に記された「封内名蹟志」によれば、蕪栗という地名は美味な栗を産したことに由来し、蕪栗沼は領主に献上する鳥を捕獲する御溜池であった。と書き記している。 また中世における箆岳山は密教的色彩の強い山であったらしく、山頂の箆岳寺は今もその面影を残している。遮光器土偶のふるさとは神秘的な空気に包まれているようであった。
宮城県内における遮光器土偶の発見例は恵比須田遺跡から東へ30キロメートル桃生郡北上町の泉沢貝塚に完形に近い全高26cmのものがある。

■参考文献■
「田尻町史」