大木囲貝塚

(No.17)宮城県七ケ浜町東宮大木
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 東北を代表する縄文時代の遺跡に大木囲貝塚がある。仙台市内から車で30分、ちょうど多賀城国府の東5キロメートルの松島湾を北に望む標高30メートルの高台に位置する。遺跡のある七ケ浜町には縄文時代の遺跡が実に多く、松島湾に群集したそれら貝塚の数は国内でも抜きでたものである。 今や景勝の地として観光地化した松島は、縄文時代においても人気を得ていたようである。それは生活に適した地であったこは言うまでもない。
私が大木囲貝塚を早くに訪れたのには、縄文時代を繙くに大木式なる土器型式を目にしたからであり、縄文時代前期から中期に至る代表遺跡だったからである。
東北地方の各地に根づいた土器文化は発生から五千年程の歳月を経て、北部と南部にその特長を異にする独自の様式を持つようになる。大木囲貝塚の形成はそうした時代背景の縄文前期にはじまる。
 1917年(大正6年)松本彦七郎によってはじめての学術調査が行われた。その後も長谷部言人らによる調査が相次いで行われ、後の大木式の設定に繋がる山内清男の歴史的発掘が行われたのは、昭和2年から4年にかけてであった。 各地の土器編年に着手していた山内は、大木囲貝塚においても層位的発掘をもとに大木式と称する10型式からなる分類を行い、東北南部の前期から中期の土器編年を位置付けた。 戦後の調査では1949年(昭和24年)伊藤信雄、1963年(昭和38年)加藤孝氏などがあり、 1968年(昭和43年)に国の史跡に指定された。
遺跡の側に建てられた七ケ浜歴史資料館には大木式の変遷を知るまとまった資料があるほか貝塚から出土したさまざまな動物遺体を展示する。
■参考文献■