関宿seki-shuku |
鈴鹿越えの東海道と加太越えの大和街道、それに伊勢街道との分岐点であった関宿は、東海道有数の宿場町として繁栄した。その名の通り、古代から「鈴鹿の関」が置かれた要衝の地である。 西の追分から東の追分まで、1.8キロの距離に渡り、宿場町の町並みが延々と現存する。玉屋(写真2枚目左側)、会津屋を初めとする旅籠屋もその姿を今にとどめる。宿場町として、規模、質ともに全国屈指の町並みである。 一部だけが擬洋風建築調になっていたりする、変わった町家もいくつか見られる。唐突なようだが、実際には町並みに溶け込んでいてさほどの違和感はなく、むしろ歴史の重層性が感じられて面白い。なお「旧バージョン」に、「関の山」の語源となった山車の写真が掲載してあります。
→町並み写真館「土山宿」
→町並み写真館「有松」
→重伝建地区一覧
→旧バージョン
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