ティルマン・リーメンシュナイダー

Tilman Riemenschneider(1460〜1531)

リーメンシュナイダーは、ドイツを代表する彫刻家であるが、
その作品になぜか惹きつけられるような魅力を感じました。
ヴュルツブルクのマリエンベルク城塞にある博物館には、
彼の作品のコレクションがある。

 
リーメンシュナイダー略年賦
『Mainfränkisches Museum Würzburg Riemnschneider Collection』より

1460    EichsfeldのHeiligenstadtに生れる。
1478−79 ヴュルツブルクに最初に滞在する。
1483    ヴュルツブルクでSt Luke Painter's Guildに加入する
1483    Anna Schmidtと最初の結婚をする。ヴュルツブルクで市民権を得て、マイスターとなる。zum Wolfmannsziechleinで工房を構える。
1497    Anna Rappoltと2回目の結婚をする。
1504    ヴュルツブルクの市会議員に選ばれる
1508    Margaretha Wurzbachと3回目の結婚をする。
1509-22  上院議員に4回選出される
1520    Margarethe 某と4回目の結婚をする。
1520-21  ヴュルツブルクの市長となる
1525    農民戦争が勃発する。リーメンシュナイダーは農民側を支持したために、司教側に捕らえられマリエンベルクの城塞に監禁され拷問を受ける。一説によると拷問で彫刻家生命を絶たれたというが、解放後も彫刻の仕事を続ける。
1527    Kitzingenのベネディクト修道院での記録がある
1531    7月7日にヴュルツブルクで死去。

1822    リーメンシュナイダーの墓碑が発見される。


4回の結婚は、すべて妻と死別したため再婚してる。

ヴュルツブルクの市会議員、市長という任務にあたりながらも、同時に彫刻家としても精力的に作品を残している。

14〜15世紀ドイツでは、鉱山業や農村手工業など経済活動が発展が進み、市民階級が台頭する。一部の農民達は土地を購入し領主支配の反発、教会腐敗の不満が各地で高まり、さらに1517年ルターの宗教改革が宗教的思想に影響を与える。

農民戦争は1524年ハンス・ミュラーが領主への不満から立ち上がり、翌年ドイツ全土に拡大する。始めは戦果をあげていた農民団も、領主側が諸侯連合軍を結成し、農民側の敗北に終わる。
1491「アダムとイブ」のイブ
1505「悲しみのマリア」

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1501「聖血祭壇」 ローテンブルクの聖ヤコブ教会

ヴュルツブルクのレジデンツ正面フランコニア噴水
「リーメンシュナイダーの像」

「悲しみのマリア」 ヴュルツブルクのノイミュンスター教会