「覚えているだけまとめて更新してみる、メモみたいなもの、の巻」 8月31日 昨日先輩と「ピアニカの音っていいよねー」なんていう話をしていたら、 今朝の朝日新聞に「はじめにきよし」というグループが紹介されていた。 サイトで試聴してみたらなんだか吸い込まれるような音が聞こえてきて、 ほとんど無意識のうちに買ってしまった。 今日は一日中楽器に向かって過ごしていた。 そういうことが今の自分に出来るとは、正直意外だ。 8月30日 あるイベントがありお茶くみ係をやった。 先輩と給湯室で色々ヒソヒソ話をしていて思う。 「をを、これぞ女子アナ給湯室」。 なんというか…おもろいような、つまらんような。 お茶くみなんかほとんどしなくていい職場にしか勤めたことがないから、 新鮮と言えば新鮮だったが、家に帰って「若い女=お茶くみなんて発想古いよねー」 と言ったら、親父が「それ変わり得ない日本の文化だ」とキレた。 「文化は日々この瞬間にだって変わりゆくのよ。昨日と今日は似ているけれど違うのよ」 と、読んだばかりの養老孟司をパクって反撃したら、キレながらいじけていた。 うっかりうっかり。 それで少し同情して、無理矢理話をいじくって「言いたいことは本当は一緒なんだよ」 とかいう訳のわからない決着をつけてみたら、ご機嫌さんになっていた。 そうか、これまでもこういう喧嘩をすれば良かったのか。 8月29日 先日、赤子を産んだ友人が帰郷したので、友人ふたりと家に押しかける。 旦那も一緒に帰って来ていた。会うのは3度目だが、とても気さくないい人だ。 ボーイスカウトを今でもやっていて、ビーバー隊の隊長だったそうだが、 「よその子よりもまず我が子の世話」とのことで、今年は副隊長に降りたそうだ。 私と友人(♀)が赤子を溺愛していると、「わー、ママが3人いるねー」と言っていた。 なんていい人なんだ。 一家のシアワセを心から祈ろう。 8月28日 念願の金城楼デビューを果たす。しかも大広間だ!びっくり! 連絡ミスで開宴より30分も先に着いた私は、控え室で冷たいお茶とお菓子を頂いた。 着慣れない一張羅に身を包み、次に現れた幹事の先輩と向かい合って世間話。 一回り歳の離れた二人は、どうみても妖しい関係にしか見えないではないか。 まぁいいか。そういう場所には、そういう演出も悪くない。 先輩も同じことを思っていたらしく、次の人が到着したとき「何だよ、しっぽりやってたのに」 と笑った。 そういう、一瞬の遊びが出来る人って格好いいと思う。好きだなぁ、そういうの。 8月27日 仕事がらみの懇親会。 30人もの人が集まる飲み会に出るのは久しぶりのことだ。 とはいえ、結局話をしたのは、いつもの職場の面々がほとんど。 ということは、私と話したい人も、私が話したい人も特に居なかったということか。 んならば、行かなよかった。 と、ここまで書いて、とっても強烈な人に出会ったことを思い出した。 というわけで、2行前の発言は撤回。 それにしても、そんな出会いを一瞬とはいえ忘れてしまう私はどこかやっぱり抜けている。 8月22日 しこたま飲んで、でも終電には間に合った。 ホッ。 尿意。 トイレ。 そうだ、先日駅に新築されたバリアフリートイレに入ってみよう! 引き戸を開けると、照明が自動点灯。 空間も広々しているし、ウォシュレットもついてる。 なんて豪華な。 ステキ。 (……中略……) さてと、紙、紙。。。 紙!紙!紙! ちょっと、ペーパーホルダー二つもつけといて、紙がないってあり得ないし! いくら駅のトイレだからって、あり得ないし! しかも自販機もなけりゃ、カバンひっくり返しても今日に限って紙がないし! 私は泣く泣くパンツをはいた。ああ、はいたさ。そうともさ。 ウォシュレットを使えばいいじゃないかと人は言う。 でも、意外と潔癖症のワタクシ、公衆ウォシュレットを使う勇気は持ち合わせていない。 だけど、駅員に文句をいう勇気は持ち合わせているわけだ。 真剣抗議です。徹底抗議です。やりますよ!私にお任せください! でも私はひとつだけ嘘をついた。 「いえ、まぁ、私は紙持ってたから何ともなかったですけどね」 駅員は「役所が勝手に作ったトイレだから、紙置くか置かんかは知らん」と言っていた。 まぁ、社の方針とか、色々あるんでしょうよ。 けどね、けどね、やっぱりバリアフリーとか言うにはそれなりの快適性や利便性が満たされるべき、 と思うわけですよ。誰に対しても快適な空間であるべきだと思うわけですよ。 このトイレを作ったのはどうやら県の企画開発部。 最近は全国的に駅のバリアフリー化が流行っているんだそうで、色々お金も動いているとか。 さてさて、どこからどうやって仕掛けたらよいのかな。俄然燃え上がってきた。 しかし、意外だったのは、一緒に燃え上がってくれるだろう、と思っていた二人の知人の反応だ。 @「あなた、ホントによっぽどトイレが好きなのね…」 A「わかったから、さっさと風呂に入りなさい。それから以後必ずティッシュを持ち歩くように」 あれー?おかしいなー?怒ってるのって私だけなのかー?私が悪いのかー??? 誰かおしえてくれー!!! 8月20日 2日遅れの話題だが、こんなニュースで懐かしい街の風景を見ることになるとは。 被害にあった店と1本筋を違えたところにある料亭でアルバイトをしていた私は、 その店に行ったこともある。学生時代の話だ。 街の事情は当時からお世話になっている金ちゃん(8/18参照)が詳しい。 「倶楽部ぼおるど」は憧れの店だった。 決して美人ではないけれど、優しくてそれでいてしたたかで貫禄あるママがうちの店にきた時に、 「あの人は小倉の街で唯一暴力団を入れない店のママや」と聞いたのが最初。 市長や新日鐵の幹部、それから医師や弁護士、経営者…といった肩書きだけではなく、 名実ともに「一流」といわれる人が集まる店だ、と聞いていた。 だから、念願かなって店のおつかいでそこに行ったときは本当に嬉しかった。 理由は何であれ、学生の身分であの場所に足を踏み入れられるのだから! それにしても、北九州というのはよその人から見ると、それはそれは怖い街だろう。 だって、糞尿に刺傷に火炎瓶の挙句、舌噛み切って死ぬなんて、あまりにも「極妻」だ。 そういえば、私が住んでいた頃にも、別の店で糞尿ばら撒かれ事件があったし、 私のバイトしていた店の入っているビルのオーナー会社が銃撃されたこともある。 このときばかりは、そこの社長が食事に来たときは、みな店の入り口から離れて立っていたが、 まぁその程度というかなんというか、今思えば、それなりに腹が据わっていた? というか、私もその頃にはすっかり小倉の子になっていたのかな。 それから、やっぱりなんだかんだ言って、あの街を結構好きになっていたんだと思う。 まわりをキョロキョロ見回しながら夕方バイトに出掛ける経験なんて、なかなか出来るもんじゃない。 なんて、何の自慢にも洒落にもならん話はさておき、私が好きだったあの街の魅力を、 少しでもたくさんの人が知ることができたらいいのに、と思う。。 いま私がよく出かける「新天地」という街も、知らない人には怖い怖いと言われている。 そこにある食と酒と色と欲と情と涙と笑いと罵声と喧騒と静寂と、それからそれから…。 しかし、そんなあまりに出自不明で分類不能のありとあらゆるものがごった混ぜになった街にこそ、 何かがあって、何かが生まれてくるような力があるような気がする。 だから私はその街を捨てられないのだと思う。 結局のところ、どんなニュースであれ、あの街の様子を見るとやはり、あそこに帰ってみたくなるのだ。 8月17日 おっと、夏休みにあまりにも暇すぎてネットにふけっていたらこんなの見つけました。 新聞では知ってたけどねー。あとこんなんもありました。 あー、2年前に私が折った鶴も燃えちゃったのかね。。。 しかしこんなニュースを新聞で知るだなんて、私としたことが、不覚だ。 ネットから離れすぎて世間から取り残されてるよー、と友達に言ったらば、 「ようやく君もフツーの社会人になった、ということだよ」と言われてしまった。 フツーの社会人というのは、仕事で疲れて帰って、ネットなど覗く暇もなく、 新聞すら読まなくなって、娑婆の流れを知らなくなってしまうものなのか。 それなのに「社会人」だなんて、皮肉だね。 明日からまた仕事だ。 8月16日 先日ある人が亡くなって通夜に出た。 一通りの読経が終わり、明日の葬儀の予定などが読み上げられているその時、 私の前に座っていたオバさんのカバンの中から携帯電話が鳴った。 ♪なみを ジャブ ジャブ ジャブ ジャブ かきわけて (ジャブ ジャブ ジャブ) 雲をスイ スイ スイ スイ おいぬいて (スイ スイ スイ) ひょうたん島は どこへゆく ぼくらをのせて どこへゆく ウウ〜♪ そ、そ、そんなことがあっていいのかーーーー! 私と隣に座っていた先輩は必死でうつむいて、こらえていた。 しかし、オバさんはカバンの中から携帯電話を探し当てることが出来ないで慌てている。 その上、携帯電話の使い方に疎いのだろう、携帯を見つけた後も音を止められない。 そしてようやく「これだ!」と思ったのだろう、ひとつのボタンを押した。 その瞬間、私はふと気を抜いたのだ。 これで曲は止まるのだろうと。 ところが、である。 「ニャァ〜〜〜ン」 そこにとどろいたのは、あまりにもリアルに再現された猫の鳴き声。 私はもう限界でした。 ごめんなさい。肩を揺らして笑ってしまいました。ホント、死ぬかと思った。 その後もオバさんの混乱は続き、4曲ほどの着メロが通夜会場に流れ渡ったのでした。 コントでもなく、本当の話。 皆さん、ご注意を。 |