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2002年8月のお嬢



8月28日

今日から9月8日まで留守にしますので、
ここ「日々コレ口実」はお休みです。
暇と元気が残っていたら、ココに現れます。
それではみなさま、ごきげんよう。



8月27日

夏休み。
ていうのかしら?
レポートの締め切りは今月の31日だが、明日は大阪で「フル・モンティ」を観て、
明後日東京に行って、明々後日からスクーリングが始まる。
てなわけで、事実上、今日がリミットみたいなもんなのだが、
(既に現在、時刻は28日の午前3時をまわり…)
深夜に虫の声を聞きながら宿題に追われているあたり、
ある意味、これぞ夏休み、という気にもなってくる。

はっきり言って、脳はテンパイである。
メンタンピンドラドラ…。
いやいや、レポートを書いている途中にマージャンゲームをしているだなんてそんなこと…
…ばかりやっているから、終わらないのである、宿題が。

部屋を片付け始めると、次々と現れる懐かしい品に心奪われ、
どんどん部屋が散らかっていくタイプの人間である。
ちなみに今私の部屋は、他人が見れば「室内には物色のあとがあり」という状況で、
それはなぜかと言うならば、10日分の荷物を東京に送ろうとしているからだ。
(もちろん現時点で荷造りは未完了。ただいま時刻は午前3時15分)

ここ数日、私たちの殺気を感じたのか、おネズも出てこないので、
眠気は一向に覚める気配も無く。
いやはや、果たして朝までにレポートは仕上がるのか、どうなのか。
われながら、懲りないやつだと思っている。

ところで今「こんなもん書かずにレポート書けや!」という声が聞こえるのは幻聴でしょうか。



8月23日

たったいま!
私の目の前を、ネズミが駆け抜けていきました。
どうしたらよいのでしょうか。
ここは仏間…。



8月22日

コンタクトを入れた目にヘアクリームが飛んで、それで、コンタクトの洗浄液を買いに行ったら、
ぎっくり腰になって、それで、昨日も接骨院に行こうと思って会社帰りに寄ってはみたものの、
「今日は5時までなんです」(いつもは7時まで)と言って断られたので家まで歩いて帰って、
それで、もういい加減厄も落ちただろうと思っていたのだけれど、
今朝朝ごはんを食べようと思っておかずを探すのに冷蔵庫を開けたら、
ちょうど自分の身長くらいの高さのところから直径10数センチの小皿が落ちてきて、
それが足の小指側の側面に直撃して、パックリ割れてたくさん血が出て、
ついでに周囲は血豆になって、もう踏んだり蹴ったりの毎日でどうしようもないのだが、
どういうわけだか就職が決まった。

10月1日から、実習先だった病院に勤務することになった。
職種はもちろん精神科ソーシャルワーカー(PSW)だ。(ちゃんとやれるかどうかはさておき)
それにしても、棚からボタモチ、いや、渡りに船とでもいうのか、
大学4年の時からかれこれ5年も6年も就職活動めいたことを続けてきたのだけれど、
決まるときというのは、案外こんなにもあっさりしたものらしく。
捨てる神あれば拾う神あり、まさにそんな感じだ。
少なくとも1年ちょっと前までは、自分が福祉職につくなんて、これっぽっちも想像していなくて、
なんていうか、福祉って偽善?とまで思っていたこのワタシが、だもんな。
今でも24時間テレビなんかを見ると「愛で地球が救えるか、ボケッ」と本気で思ってしまうし。
人生なんて、本当にわからんもんである。

春までは嘱託職員だから、国家試験に落ちたらクビになるかも知れないわけで、
これはこれでまたスリリングな生活が続く。
配属も決まっていないから、どこでどんな患者さんと関わるかもまだわからないし、
とにかく不安定要素はまだまだ減る気配がなく、相変わらずギャンブラーな環境は変わらない。
ただ、ふと思い出すのは、大学時代の恩師が私の就職について、
「お前に金儲けは向いてない。NGOあたりでガツガツやってるのがいいんじゃねーの?」
と言っていたことだ。
病院とNGOとはまったく違う組織だが、PSWという職種自体は、極めてNGO的活動に
近いところにあるんじゃないのか、と漠然としたイメージではあるのだが、そう思っている。
まぁ、難しいことは考えまい。
私は今日も明日も明後日も、その日一日をただひたすらに生きるのみ。

日々是好日



8月21日

ネズミで思い出した。
10年ほど前のことだ。
横浜から遊びに来ていたおばが、風呂に入ろうと脱衣場に向かい、電気をつけたときである。
ギャァァァァァ〜〜〜〜〜〜!!!
猛烈な悲鳴。

なんだなんだ、と見て驚いた。
床一面に白い小さな物体が蠢いている。私はそれが何だかわからなかった。
で、父を呼んだら「こりゃウジや」。
ウジ?蛆虫のウジ?なんで?しかもこんなに大量に。
ていうか、しゃれにならんくらいの数だ。なんじゃこりゃー。

と思って廊下の電気を全部つけて見えてきたのは……仏間を埋め尽くす白い蛆の絨毯だった。
今思い出しても鳥肌が立つ(と言いつつ、今パソコンはその仏間にある)。
しかもビミョーに少しずつ増えているではないか。湧いて出るように。
と思ったら、湧いて出るのではなくて、降って来ていた。天井裏から。恐怖である。蛆の降る館。

結局後日、害虫駆除の業者(を確か頼んだような気がする)に天井裏を見てもらったら、
ネズミの死骸があったそうで、そこに蛆が湧いた、というからくりだったらしく。
というわけで、我が家にはとにかくずっと前からネズミさんが住んでいます。
泊まりに来る人(これが結構たくさんいるのだ)、気をつけてください。
起きたら耳とか、齧られてるかも。おーこわ、おーこわ。



8月20日

母が「ネズミはちくわ大好きよ」と言っていたので餌はちくわである。私の好物だ。
妹に「姉ちゃん、ねずみレベル。ぷぷぷ」と言われる屈辱。

茶の間にネズミが出没するようになったのは、一昨日のことである。
いや、それ以前から、そう、何年も前から我が家に住み着いていたことは確かなのだが、
数年前に一度茶の間に現れて以来、ずっと天井裏でゴソゴソと運動会をするくらいで、
まあ、たいした迷惑がかかるわけでもなし、と生類哀れんで、そのままにしておいたのである。
それが今となっては仇となったとしか言いようが無い。

廊下の突き当たりにある脱衣場から、その隣の仏間までを猛ダッシュで駆けていくのを見たのは、
1ヶ月ちょっと前のことである。
あっ、と思って親に知らせたのだが、親が目をやったときには既にその姿は無く、笑われた。
で、一昨日である。
夜中、ちょうど日付の変わる頃、天井裏から聞こえていた足音が徐々に近くなっていた。
茶の間でゴロゴロしていた妹が、奴の姿を見たのは、その直後のことである。
一度目は彼女の目の前を走りぬけ、二度目は様子を伺うように鼻先だけを現したのだとか。
くぅ〜〜〜〜、なんと小憎らしい!!!
しかし私が茶の間に行くと出てこないので、今回の目撃者は今のところ妹だけだ。
自分だけが見て、他人が見ない、というのはまさにドリフの定番コントである。

その晩と、その前の晩、茶の間と廊下を仕切る木製の引き戸と柱が齧られている。そして今朝も。
さらにテレビの後ろには、愛犬さくらのお夜食が!(彼女は夕食を数度に分けて食べるのだ)
不用意にさくらの餌を出しっぱなしにしておいた私たちが悪いとは言え、手のひら一杯分の
ドッグフードを運んでテレビ裏に貯めこんでいるとは、これまたなんとも憎たらしい!!!

ちなみにさくら(柴犬♀もうすぐ5歳。闘争本能アリ)はネズミ捕りの名手である。
かれこれ3度、庭で路上でネズミを捕らえて一思いにキュッと殺っている。
中でも初回は凄まじかった。
どこかで捕まえたネズミを2階の座敷に持ち込んで、なぶるだけなぶり尽くし、陵辱の限りを尽くし、
要するに殺鼠と死体損壊・死体遺棄をやってのけたわけである。
白い頬を真っ赤に染めて茶の間に現れた時の誇らしげな表情といったらなかったという。
よほどいいことをしたと思っているらしく、しかも現場を見ていない父と私が褒めちぎったのだ。
「さくちゃ〜〜ん、ネジュミしゃん捕まえたんでしゅか〜〜、お利口ちゃんでしゅね〜〜〜」。
ちなみに母は文字通り半泣きで座敷を拭いていた。壁も畳も内臓も。おえっぷ。

とまぁ、こういう事態を避けるためにも、一刻も早くネズミは捕まえねばならぬのだ。
「ねずみホイホイ」(ゴキブリホイホイの倍ほどの大きさの代物)にちくわをしかけ、準備万端。
と思いきや妹が言う。
「その大きさじゃ収まりきらないかも…まじで」

そんなにでかいのか!!!



8月17日

腰はまだ痛い。
が、私は明日、岩魚を焼いて売る。
「福祉のつどい」っちゅーイベントがあるのだ。
実習先の病院に隣接する生活支援センターからも出店するということで、
お呼びがかかったのである。
精神疾患を患った人たちが、何をどれぐらい出来るのか、わかりますか?
実際のところ、私もわかりません。はっきり言って。
でも、おそらくここを読んでいる人の多くの予想を遥かに上回る能力を、彼らは持っている。
それよりも、家の中の鍋ならともかく、バーベキューなどといった野外活動になると、
とたんに生気を失い手も足も出なくなる(そのくせ食欲はある)私のほうが問題である。
そんな私が病院のスタッフに、手際のよさそうな人種だと頼りにされているあたりが不安だ。
しかもぎっくり腰だし。

患者さんには現役ピアニストもいるし、ドラム、ギター、ボーカルもいるので、昼からはライブがある。
ついでに絵描きさんもいるので、似顔絵屋も出店するらしく。
この絵描きさんに初めて会ったとき、突然絵葉書を渡されて驚いたのだが、
よくよく見ると、絵の隅にあるサインはその人の苗字じゃないか。
これがなかなか絶妙な色使いとデザインなのである。
例えて言うならピカソ、最近で言えばジミー大西あたりに近い。
あえて偏見に満ちた言い方をするならば、
昨夏学校で見た「精神分裂病患者の描いた絵」に近いような気がしないでもない。
(実際、その絵も私は好きだったのだが)
とにかく本当にファンキーで、たまらなく良いのだ。
いつか、あなたにも送ってあげるわ、ハニー。

そういうわけで、あれこれ言っててもしょうがないので、盆休みにも飽きてくるだろう明日18日、
暇な人は松ヶ枝福祉館へGo!



8月16日

北川潔さんのページを作ってみた。
なんとも、自分のデザイン能力の乏しさには、ただただ閉口するばかり。
いいもん、いいもん、シンプルが売りの我が家だから。
皆さん、お近くの方もそうでない方も、ぜひ行ってみてください。楽しいぞ。

もうひとつ、PRページを作りたいな、と思っているイベントがある。
ちょっと忙しいので、ページ作成は後日にするとして、告知だけ。
「ナージャの村」の本橋誠一監督の新作「アレクセイと泉」が完成した。
本橋監督といえば、前回「ナージャ…」の上映会後の打ち上げで、
「映画監督なんて無資格の仕事だからさぁ、適当に『一級暗室士』とかいっちゃうわけ、
そしたら、文部省の人たちもへぇ〜とか言っちゃって!」なんて話していた、極めてお茶目な人だ。
いたずらっ子のまま大人になったというような飄々とした雰囲気と、温かい眼差しが印象的。
柔らかくそれでいて鋭い切り口で、「生きる」ということを淡々と描いていく。
時に心地よい映像に居眠りしてしまうのは、ある意味「しあわせ」の表現に成功している証拠だ。

そんな本橋監督がこの秋再び「アレクセイと泉」とともに金沢にやってくる。
10月26日(土)、聞善寺(金沢市瓢箪町)の本堂が会場だ。
オープンテンプル、といった変わった試みをしているお寺で、特に御坊守(奥様)が素敵だ。
イベントの後は、本堂で交流会(という名の飲み会)を開いちゃったりもして。
彼女ほど何事にもボーダレスでパワフルな人には、そうそう会ったことが無い。
思い立ったら即、という言葉はきっと彼女のためにあるのだろう、と思うほどの行動力。
私がいつも見習いたいと思っている、そんな人だ。

さてさて。
「アレクセイと泉」はチェルノブイリ原発事故で放射能に汚染された村のドキュメンタリー。
アレクセイは55人の老人とともにその村に暮らすただひとりの若者。
森も畑も何もかもが汚染された村で唯一、放射能が検出されないものがある。
それは、村の中心にある泉から湧き出る水。
村人は言う。
「なぜって?それは百年前の水だからさ」−−−

本橋監督の映像を、今回は坂本龍一の音楽が飾る。
これもまた、今回の楽しみのひとつである。



8月13日

たしかに3日前は楽しかったのだ。
それが3日でここまで堕ちてくるなんて。

すべてが狂い始めたのは昨日の朝である。
朝起きて、シャワーを浴びて、買ったばかりのコンタクトレンズを入れて、化粧をした。
ここまでは万事順調である。
最後に髪の毛を整えようと、私はヘアクリームのチューブを手に取った。
残りが少ないので、もう何日も前から使う前にブンブン振るのは習慣になっていた。
今日もブンブン振ったのだ。
いつもと同じ調子で振ったのだ。
そしたら、フタが飛んだのだ。
それもものすごい勢いで。

長年バドミントンをやっていたせいか、長年鍵盤楽器を弾いてきたせいか、
とにかく私はスナップが強いのだ。
中身が飛び出して部屋中に飛び散って、そして頭にかかり、顔にかかった。
そして、何より、右目に一直線に飛び込んだ。
コンタクトレンズを使っている人ならば、この瞬間の絶望感はわかるだろうと思う。
その上、電車の発車まで残り10分を切った、分刻み秒刻みの朝の出来事である。
レンズはクリームでべったりと眼球に張り付いて、取れなくなった。
私は文字通り、涙でレンズを浮かべて、必死でそれを取り外し、まさに涙目でそれを洗った。
で、再び装着して家を出たのだが、5分で曇った。撃沈である。

付け置き洗浄・保存液、というやつでは到底手におえない汚れであろうから、
専用の洗浄剤を買いに行かなくては、と家路を急いだのは、今日の話である。
昨日は残業で遅くなったから、買いにいけなかったのだ。
会社を出た。
朝は確かに晴れていた。
しかし外は雨降りだった。傘など無い。駅までの5分ちょっとをミュールで走った。
そういえば、週末から腰や背中が突っ張るような感じがしていて、テーピングなどしていたのだ。
ミュールで走ると、腿までつっているような、いやな感じがする。
いやいや、こんなことよくある話だ、まして腰痛もちの私だもの。

家に帰って、すぐに車を走らせ、近所のドラッグストアに行った。
もちろん洗浄液を買うのだ。
えっと、どこにあるかな、洗浄液、洗浄液……あった!
そう、あったのである。ドラッグストアの陳列棚の下から2段目に、450円の洗浄液が一つだけ。
私は軽くしゃがんでそれを手にとって立ち上がったのだ。

パキッ…

背中から乾いた音がしたその瞬間、私はロボットになった。
手も足も何もかもが、自由に動かない。動かすと、ギギ、ギギ、という感触。やばい。
私はにじみ出る脂汗と冷や汗を悟られないようにレジを通り、
車を泣きたい思いで運転し、家に帰った。
時刻は夜9時を回っていた。
テレビでは「ナースのお仕事4」が相変わらず面白い。が、笑っている場合ではない。
近所の接骨院に夜間救急(←頼めばやってくれるもんである)をお願いし、妹に送ってもらう。
腰椎のかみ合わせ部分が、ふとした拍子に引っかかってしまったのだという。
まぁ、はたから見れば、いわゆるぎっくり腰、いや、ぎっくり背中、とでもいうのか、そういうわけだ。
私はコルセットを巻かれ、絶対安静を命ぜられ、寝返りもうてないまま、
夏の夜を恨めしく過ごしている。

〜〜〜〜
8月15日現在、私は会社を2日間欠勤している。
来週は眼科に行こうと思っている。



8月12日

祖母から日に日に日付と曜日の感覚が失われつつある。
「今日は何月何日何曜日ですか?」。長谷川式簡易知能評価スケールにある質問だ。
ここ数週間で、祖母がみるみる即答出来なくなってきた。
日めくりカレンダーを毎朝めくることを日課にしてはみたものの、
何しろその日の日付がわからないものだから、2枚めくってみたり前日に戻してみたり。
時には夕方めくっているので声をかけると、今めくれば明日の朝めくらずに済む、とな。
もちろん翌朝には前日にしたことなどとおに忘れて、もう1枚めくるのはお約束。
こんがらがった見当識に元来の横着な性格が相まって、もう何がなにやら。
「今日は何日何曜日?」「9日の金曜日」「じゃ、明日は?」「16日の日曜日」。
冗談ではない。こんな調子なのである。
もっとも、これには理由があって、カレンダーの「10」という数字に自分で何かを書き込んでいて、
それのせいで「16」に見えたというのだが、でも、9の次はやはり10だろう、普通。
要するに、普通が通用しなくなってきた、というわけだ。

服薬も自分では出来なくなった。
以前から混乱することは度々あったのだが、先日いよいよ半泣き状態になったらしく、
母が朝昼晩1回分ずつをセットにして小袋に分けることに相成った。
が、いざ分けてみると、足りない薬や余っている薬がどんどん出てきた。
今まできちんと自力で服薬できていた、というのは私たちの思い込みだったのだ。
正直私たち家族はばあさんのことを、もっともっと「まとも」だと思っていた。
だけれども、彼女は私たちが思っていた以上に老いているのだ。
やれこれが足りないだの、それは余っているだの言いながら薬を分ける母に胸が詰まった。
いずれこの母も老いていくのだ。60歳を過ぎた父はもちろん。
そしてやがてはこの私も。

ずっと年老いる前に死にたい、と考えてきた。
しかし、死にたい、というばあさんには、まぁそんなこといいなさんな、と言う欺瞞。
かといって、そうねぇ、歳とって日付もわかんないようじゃ、死にたくもなるわねぇ、
と言うのがいいのかどうなのか。
この前とある精神科の先生に、カウンセリングの勉強を勧められたことを思い出した。
仕事云々ではなくて、生きるうえでなんだか役に立ちそうだ。



8月11日

さくらが失恋した。
さくら、といってもうちの犬ではなくて、NHK朝の連ドラのさくらである。
婚約者のほかにお相手役がいる時点で、既にこの破局は予測されていたわけだが、
わかっちゃいるけど人の不幸は蜜の味…いやいやいや、ドラマも佳境に入ってきた。
さくらはクリスマスに一方的に婚約破棄を告げられたあと、無理に明るく振舞って、
みなを心配させまいとするのだが、結局正月3が日は寝ずに千羽鶴を折り続けた挙句、
身も心もボロボロになってしまう、という展開。
そうだよなぁ、そうなんだよなぁ、と柄にもなく朝から肯いたりしている。

私がインドネシアに行ったのは、20世紀末のことだ。
旅日記にはあまり記していないが、 一言で言えば、やけっぱちの一人旅だった。
ただ、一応「傷心旅行」と銘打ってはいるが、果たしてあれが失恋だったのかどうなのか、
今となっては、それすらもわからない、そんなことどうでもよくなってしまったほど、過去の話。

別れた男は不誠実な人だったと思う。(ここを読んでいたらごめんよ、なのだが)
そして、それ以上に、私も不誠実な人間であったと思う。
私たちはお互いを想うよりも遥かに大きなエネルギーを、自分を愛することに費やした。
そんな二人がほんの短い間を、少しだけ近い距離で過ごした。
ただ、それだけの無為な時間。
確かに互いに好意は抱いていたかもしれないけれど、それはほんの最初だけの話だ。
私は度々むちゃくちゃな振る舞いを繰り返し、結局最後は愛想をつかされた。
君は友達に自慢できる彼女ではないんだよ、と。

私は自分の何かを壊されて傷ついた。
それが決して二人の関係が壊れたことに対する悲しみでなかったことだけは確かだ。
そんなわけで私は壊された何かを修繕する、もしくはその何かの代わりを探さないと、
とほとんどやけくそになって毎日を過ごしていた。
ある日新聞を広げていると、朝日新聞の『論壇』に懐かしい顔を見た。
かれこれ5年も音信不通だった知人が、学者の卵としてインドネシアから投稿していたのだ。
私は手紙を書いた。
手紙は新聞社から転送され、そして返事はすぐに来た。
こちらに遊びに来ませんか?と。

東ティモール紛争が収束したばかりで、まだ観光旅行延期勧告が出されている国に、
現地に友人がいるとはいえ、女が一人で出かけることに賛成する人はいなかった。
けど、なにせやけっぱちである。
家族にも知人にもそれなりの嘘をばら撒いて、ガルーダインドネシアのボロい機体に乗りこんだ。
滞在したのはジョグジャカルタという地方の中都市。
ラマダンの時期だったこともあり、日に数度コーランの声を聞き、午後は暑いので昼寝をし、
汗をかいたら水浴びをして、腹が減ったらナマズを食う。あ、ドリアンも。
田んぼはおびただしい数のホタルの光に、遥か向こうまで絨毯のように埋め尽くされていた。
なんて気ままな暮らしだったことか。
だけど私はあの国を好きになれなかった。
街中に満ちた粘っこい空気は、「怠」とか「惰」とかではあっても、決して「楽」ではなかった。
私はそこに自分の姿を見たような気がした。

私はあの旅を忘れないと思う。
旅するきっかけを忘れることがあっても、旅したことだけは決して忘れないと思う。
これも恋に恋する年頃がとおに過ぎ、別れが肥やしになる歳になったということか。
それもまたよし。



8月10日

さて、久しぶりに何を書こうか、と考える。
パソコンが壊れたこと以上に、これといって大きな出来事があったわけではない。
仕事は相変わらずつまらないし、まして職場の人間関係に至っては、
私は中学校2年のとき以来、かれこれ10数年ぶりに無視をされてみたり、
とすこぶるつまらないことになっていたりするのだ。
あまり言いたくない台詞だからずっと言わずにきたけれど、こうなるとやっぱり、
女ってやーねー、という結論に行き着くわけで。

楽しいことがないわけではない。
嬉しいニュースもあるといえばあるが、未確定だから公にするには時期尚早で。
5年ぐらい前の私なら、一喜一憂していたような出来事であっても、
どこか自分の中の奥深いところで、自分を守り、保とうとしている力が働いていて、
良くも悪くも自分が穏やかに過ごしていることに気づく。
時に、それが穏やかなのか無感情なのかわからなくなるのが、玉に瑕だが。

それでもなんというか、楽しく過ごしている。
これといって趣味があるわけでも、楽しいことがあるわけでもないのだけれど、
大金持ちになったわけでも、何かに成功したわけでもないのだけれど、
酒は弱くなったし、相変わらず胃の調子も芳しくはないのだけれど、
それでも私は今、これまで生きてきた中で、一番楽しく過ごしていると思っている。
こんな時間が自分に訪れるとは、正直思っていなかった。
この時間がそれほど長く続くものではないこともわかってはいるけれど、
ただこういう時間がこの世に存在する事実を知ったことが、この先の自分を支えていくだろう。