10月27日
仕事で役所主催のイベントへ。
市民の皆様のこころの健康を云々、というイベントだったのだが、
蓋を開けてみれば、結局会場は当事者とその家族と関連機関の職員ばかり。
いつも会うメンバーが場所を変えて集まってみただけのイベントだった。
見渡すと報道陣がいないので、なぜかと聞くと、
去年客席にいた当事者の家族の顔がTVに映ってしまったから、
今年は一切の取材を断ったのだという。
くだらない。
取材ルールをきちんと作ろう、という発想がないのだろうか。
取材する側にもされる側にも、安心できるルールがきっとあるはずだ。
どうしてそれを探そうとしないのか。
事前の告知もあまり行われなかったのか、関係者以外の参加は本当に少なかった。
どんな人が来るかもわからないじゃない?という言葉をよく聞く。
つまり、理解者ならば来てもいいけど、理解の無い人にはご遠慮いただきたい、
というスタンスだ。それはイベントにも施設の運営にも持ち込まれる概念。
自分を含めて誰もがスタートの時点では何の知識もなかったはずなのに、
何がどうなってそんな傲慢なハードルを設けるようになったのだろう。
だいたいシャバに出てみれば、障害が有無を問わず、本当の理解者を見つけることなど
至難の業なのだ。
「地域で暮らす」というのが最近の福祉全般で唱えられているキーワードだ。
だけど、実際のところ、地域との壁を作っているのは自分たち自身なのではないだろうか。
確かに差別や偏見の障壁は大きい。
しかし、その問題にすべての責任を押し付けて、自分たちの姿を省みることを忘れた、
そんな精神障害者福祉の矛盾、みたいなものを垣間見てしまった日曜日。
10月26日
聞善寺にて「アレクセイと泉」を見る。
いい映画だったと思う。
私はこれまでずっと、人は死ぬために生きているのだと思っていた。
生きれば生きるほど死んでいっているのだ、と。
映画の中にいたのは、生きるために生きる人たちだった。
ただただ生きるために生きる、そんな生活。
そしてその中に死があって、村上春樹が「死は生の対極に位置するのではなく、
生の一部として包括される」と書いているように、まさに生の一部として包括されている。
それが何だといわれても、とにかくそこにあるのは、それなのだ。
なんか、私の思い描いている死生観とはぜんぜん違う。
似たようなことに見えるかもしれないけれど、本質的にぜんぜん違う。本当に違う。
チェルノブイリ原発の事故で多量の黒い雨が降った村で生き続ける老人たちが言う。
「この村に住み続けるのは、我々には泉から湧き出る水を大地に返す義務があるから」。
100年前に降った雨だといわれている泉の水からは、放射能は検出されていない。
しかしいつの日か、この水から放射能が検出される日が来るだろう。
生きるために開発した技術のはずだったのに、こんな大罪を犯すだなんて。
一体誰が誰に懺悔をすれば許されるというのだろうか。
10月22日
カウンセリングやソーシャルワークの相談業務において、何より大切なのは「傾聴の態度」だ。
と、何度も教わってきた。
というわけで、毎日一生懸命いろんな話を聞いているのだが、正直言ってくたびれる。
いや、疲れを自覚しているわけではなくて(これはたぶん良くない事だと思うが)、
ふとした瞬間に、例えば電車の中でかつてないほどの深さで熟睡してしまったり、
家に帰って家族の話を聞いていても、最後まで聞いた後で、
誰の何の話かまるでわからない自分に気付いたり、ということが起こってしまうのだ。
とまぁ、こういう話をすると人が皆、疲れているんだよ、と言うというわけだ。
果たして私は疲れているのだろうか?
ここ数日、毎日のように、日に何度も現れる「ボーダーなんです」という人がいる。
ボーダーとは、こんな病気。
ちゃんと説明しろといわれても、実は私もよく知らない。お恥ずかしい。
ただ、「うわぁ〜困っちゃったなぁ、ボーダーだよ」とか「ボーダーだったらマズイよねぇ」なんて
言葉を少なからず耳にしたことがあるので(うちの職場ではないけれど。念のため)
なんとなーく嫌なイメージがなかったといえば嘘になる。
で、そのボーダーさんにかなり密着されている今日この頃の私である。
ね、こなつさん、ずっと助けてくれるんでしょ。ずっと傍にいてくれるんでしょ。
こなつさんはいい人だもんね。ずっとずっと私の味方だもんね。ね、ね。
と思ったら次の瞬間、でもどうせ私の苦しみなんてわかりっこないもんね、ときたもんだ。
私は完全に無意識のうちに「うん、確かにわからないといえばわかんないね」と言っていた。
そしてその上、シャバなんてそんなもんよ、自分の痛みや苦しみを完全にわかってくれる人
なんて居ないと思ったほうが、少しでもわかってくれる人に出会ったときに喜び倍増やろ、
とまで言っていた。
後ろで聞いていた別の若い女の子が「たしかにー」と笑っていた。
そして「こなつさんてさー、見た目ほどいい人じゃないかもねーって最近思ってるんよー」と
こちらを見ながらニンマリ笑っていた。
実はこの子も初対面のときに「私の苦しみなんてあなたにわかるわけない」と言っていた一人だ。
けど、関係は少しずつ変化していく。
教科書どおりにもいかなければ、先輩の真似をすればいいというものでもない。
まして成功のマニュアルなどあるわけもなく。
「傾聴」の意味を日々考える。
10月16日
上司は酒飲みである。
3連休明けの私は、今日が週の初日であるにもかかわらず、街に連行された。
決して酒を飲むのは嫌ではない。むしろ大好きだ(んなこと百も承知やってか)。
それに、その上司のこともとても好きだ。
何しろ、ぶっとんでいる。
年齢は70歳をとおに超しているのだが、夫婦別姓を貫いている事をはじめ、
ざっと30年くらい先の社会を生きている感覚の持ち主だ。
そういうわけで、私も好き勝手に働かせてもらっていて、感謝感謝の毎日なのだ。
が、だからといって、夕方6時から12時半までの6時間半で6軒、いや7軒か?
とにかく何軒行ったか覚えてないような勢いで、猛烈なはしご酒をすることになるとは。
恐るべし73歳。
カウンターに座ってバーボンのロックが出てくる頃には「わしゃ、この店に用は無い」と言って、
次の店へ。
で、10歩も歩かないうちに「次はここや」「わしゃ、この店には用は無い」の繰り返しだ。
翌日、フラフラと仕事に行ったら皆から「昨日は遅くまで大変だったでしょ?」と聞かれたので、
「いえ、時間は早かったのですが、7軒ほど行きました」と言うと、
「そうか。その手できたか…」と皆、妙に納得していた。
要するに、これも今の職場で働く上での洗礼みたいなものだということか。
まぁ、とにかく何かと面白いところである。
10月13日
白山瀬女高原のゴンドラに乗って1000Mの所まで行って、小一時間ほど山歩き。
下りのゴンドラの中からニホンカモシカを見た。
はっきりいって、狂喜乱舞だ。
雪山に足跡を見たり、純白の中に茶色い動物を見ることはあっても、
この季節にずっこけながら崖を登るカモシカに会えるだなんて。
これで、この日この後何が起きても、私はご機嫌で居られると思った。
下山してから岩魚の塩焼きを食べた。美味。
それから尾口村のハーブ園「ミントレイノ」をブラブラ。
で、白峰村に向かい、民宿の1Fにある食堂で軽い昼食。
とち餅をお土産に買い、その場で食べる分もバラで買い、それから白山ろく民俗資料館へ。
ここは私が子供の頃から何度も通う、無条件に楽しい、異次元の世界。
時間いっぱいまで資料館を堪能した後は、御前荘の温泉につかって極楽極楽。
帰り道、国道沿いで堅豆腐を買って、めでたしめでたし。
そういうわけで、出不精の私でも、こんな休日の過ごし方が出来るのだ、
と少し嬉しかったので、自慢。
ただし、私と興味の重ならない人には、最悪のコースかも知れませんので、あしからず。
10月12日
数日前の出来事で恐縮なのだが、職場に元X−JAPANのTOSHIがやって来た。
本当の話である。
なんでも、むこうから「慰問ライブをやりたいのですが」と電話をかけてきて、
ギャラはいらないからデイケアで歌わせてくれ、と言ったそうな。
TOSHIといえば、一時期洗脳されたのされないの、とワイドショーを随分賑わせた人、
という印象が強くて、私はどうも胡散臭いなぁ、という思いでその日を迎えたのだった。
私の勤めるセンターのバンドが前座として何曲か歌った後に、TOSHIは現れた。
ちょうどユニクロで売っているようなブルーのギンガムチェックのシャツに、
オフホワイトのセーターを肩からかけていた。いわゆるかつてのプロデューサールックだ。
思いのほか背が低くて、顎は予想以上にしゃくれていた。
彼が言うには、ずっとこの顎がコンプレックスで、それを払拭するためにビジュアル系になって、
それでスターになったのだけど、売れても売れても、さらに上へ、もっと上へ、と思うばかりで、
欲望が満たされたことも、幸せで居られたことも一瞬たりとも無かったのだとか。
それで自殺も考えていたときに出会ったのが今のプロデューサーである「MASAYA」だ、
僕が本当に歌いたかった歌、伝えたかったメッセージがここにあった、と。
うぉー。やっぱりオマエはずっとずっとその「MASAYA」と活動していたのか。
で、どういう活動かというと、ココを見てもらえればいいのだけれど、まぁそんなわけである。
デイケアの利用者やスタッフもみんなみんな、いいわね〜、素敵ね〜、と言っていて、
かれこれ50枚くらいのCDが売れたんではないかな。
しかししかし、私は結局最後まで、彼の一挙手一投足がどうにもこうにも胡散臭くて、
かといって、絶賛している皆の気持ちもむげには出来ず、ずっと苦笑いを浮かべていた。
何が気持ち悪かったのだろう、と考えた。
それはきっと、TOSHIのあまりにも幸せそうに「愛の詩」を歌い上げる、その姿だったと思う。
わかりやすく書くと、その笑顔は、アジア大会に応援に来ていた北朝鮮の美女軍団の笑顔だ。
なんていうか、とにかくなんとも言えない偽物臭、気味悪さが漂っているのだ。
本当は幸せなんかじゃないんでしょ、という疑問。
そして、そういう疑問すら思い浮かばない精神状態にある(おかれている)んでしょ、と正直思う。
まぁ、でも別に洗脳するわけでもなし、お布施を要求するわけでもなし、害は無いのだろうが。
(というか、害がないと信じたい。いやCD代はお布施なのか。はてさて)
でも、ひとつ私が覚えておかなくてはいけないのは、デイケアやセンターのメンバーが軒並み、
そんなTOSHIの姿に感銘を受けて、彼の経験や思いに共感していたことだ。
それは事実としてある。
TOSHIが、私にとってどんなにどうでもいい人だろうがなんだろうが、
私が接していく人たちに少なからず影響を与えている、ということは素直に受け入れなくては
いけない事実である。
TOSHIの一件に限らず、毎日がそんな出来事の繰り返しだ。
10月5日
実は私もBOSSのCM(水道工事の現場で「BOSS、いつもそばにいてね♪」と歌っているやつ)
に出ているのは安西ひろこだと思っていた。
PCCさんもそうだったらしいが(10/4の日記参照)、PCCさんと違うのは、
私が20代(♀)だということだ。
「オジサン」ではない、たぶん。
ちなみに私はCMが始まった直後に妹に間違いを指摘されていて、
浜崎あゆみだということは「CM天気図」以前に知っていた。
ま、それはそうと、あの女の子が安西ひろこだと思っていたときには、なんてキュートなCMだ、
と思っていたのに、浜崎あゆみだと知った途端に、なんか知らんけど腹立ってきたのは何故だ。
一言で言えば、浜崎あゆみが嫌いだ、というただ一点に尽きるのであるが、なんというか、
あのCMは私の心の中ではすっかり安西ひろこ演じるキュートなCMとしての地位をしっかりと
築き上げつつあったのだ。(←安西ひろこは嫌いじゃないらしい)
なのになのに、あろうことか、浜崎あゆみである。
あのへったくそな歌も、安西ひろこだと思っていたからこそ聞いていられたのであって、
それが歌手、それもつまらない詞で若者の心を掴んだだかなんだか知らないけれど、
アホみたいに売れている歌手だと思うと、もーむかっ腹が立って収まらないのである。
(われながら、こんなにも浜崎あゆみが嫌いらしい、ということに、いま気がついた)
というわけで、あのCM(今は)嫌い。
ちなみにアイフルのCM(チワワの目ウルウル、のやつ)については、最近になって、
「ペットは生き物です。責任を持って飼いましょう」というテロップが入るようになって、
心底ムカついている。どうせPTAの役員さんか誰かが苦情の投書でもしたんやろ。
ていうか、そんなこと微塵も思ってないで、借りた金返せないような人間の購買欲煽って、
じゃんじゃん貸してじゃんじゃん金利とってるくせに、何をいまさら寝ぼけたことを。
本当にペットを責任持って飼うべきだ、と思っているなら、あんなCM今すぐやめてしまえ。
ああいうテロップを免罪符にするような偽善者っぷりが本当に腹立つわ。
ペットと言えば、大阪に深夜営業しているペットショップがあるのだが、これまたあくどい。
何度も輸入禁止動物の販売などで摘発されているのに、今もしぶとく営業中(のはず)。
一度怖いもの見たさで23時ごろに店を覗きに行ったのだが、犬猫のほか、あらゆる小動物、
そしてなぜだかサルに馬。
異様な悪臭に包まれた店内は、まるで家電の量販店のように蛍光灯がまぶしく、
動物たちは糞尿にまみれて、それでも高額な値で売られている。
そして店から出てくる30代の男と派手な若い女。
女が持っていたヴィトンのボストンバッグからは、15万円の子犬が顔を出していて、
「やーん、ありがとー、うれしー、かわいー」と夜の街に消えて行った。
あの子犬はいま生きているのかな。
10月4日
職場で利用者の人から「目が濁ってますよ。休んだほうがいいよ」と声を掛けられる。
利用者さんは皆何らかの精神疾患を抱えている人たちなので、繊細さんが多い。
そういうわけで、こちらのちょっとした変化などにもかなり敏感なわけで、
まったくどっちがスタッフなんだ、といった具合で、私は苦笑いするしかない。
私が着任したことで、テンションが上がっている人も何人か見受けられる。
何とか落ち着いてくれると良いのだが。
ママさん二人に70代と30代の男性という職員構成だったところに、
突然20代の女が現れ、なんとなく浮き足立っているような感じだ。
ついでに私も浮き足立っている。
そういうわけで、共倒れになりませんように。
土日は休み、そしてその後6連勤となる。嗚呼。
10月3日
拉致事件のニュースを見ていて思うのは、家族の気持ちが静まる日は来るのか、
という素朴な疑問である。その必要十分条件とは。
はじめは安否だけでも知りたい、と言っていたけど、安否がわかれば、今度はその真偽、
そして最期の状況、それから暮らしぶり、家族のこと……、そこに終わりは無い。
本人が生きていた人は、DNA鑑定か何かで血縁の証明が出来れば、
次のステップへと進んでいくこともできよう。
しかし死亡が伝えられた人の家族はと言えば、死亡の事実を容易に受容できずに、
そのことを否定することによってようやく立っているという姿が痛々しい。
きっとこれからどんな情報が出てきても、彼らが納得することは恐らく無くて、
永遠に答えを探し続けていくのだろう。
ある建築家の卵と話していたら、彼が昨今の原発の事故隠しに触れ
「こういうのって、情報公開するよりも、知らないほうが幸せじゃないですかね?」と言った。
私はついつい、それってこれからモノを創ろうとする人の考え方としてはサイテーね、
と言ってしまったのだが、別の人にこの話をすると、いやいや彼の発言はとても哲学的だ、
なんて言っていた。
生きていく上で、何が一体幸せだというのか。
たぶん欲望というものには際限が無いのだと思う。
それは喜怒哀楽のどれにおいても同じことで、喜びの上に更なる喜びを求め、
大きな怒りが収まった後には小さな怒りがくすぶり始め、哀しみにも終わりが無く、
ましてや楽しみに上限があるわけも無く。
幸せなんて、実はこの世の誰一人として、手にしていないのではないかと最近思う。
10月2日
毎年書いているので一応お約束なんで書きますが、
キンモクセイが匂ってきましたね。
とても気分が悪いです。
私にとっては「匂い」ではなく「臭い」です。
10月1日
ついに就職してしまった。
なんとこれが私の人生における、初めてのちゃんとした就職である。
(いや、でも春までは嘱託だからちゃんとしているわけでもないか。まあいいや)
よくまぁ、この年齢までこうもブラブラと適当に生きてきたものだ。
世間の生真面目に生きている皆様、まったくもって申し訳ありません。
私も今日から頑張ります。
なんて、一応新人めいた言葉を吐いてみたりして。
配属先は知らされていなかった。
知らなかったのは私だけではない。
部長以外の誰もが私の配属先を知らなかったようで、
病院内の行く先々で、あんた誰?だの、どこの配属?だの尋ねられた。
そんなわけで、当然というかなんというか、私の机はどこの部署にも用意されていなかった。
昨日の晩、使い慣れた文房具や花粉症持ち御用達のローション入りティッシュなどを、
ごっそりと紙袋に荷造りしていると、妹が「机無かったりして。ぷぷぷ」などと言っていたのだが、
まさか本当に机が無いとは。
その話を冗談のつもりで配属先の上司に話したら、私が本気で怒っていると思ったらしく、
何度も謝られて恐縮至極。
すみません。でも、本当は結構怒ってるんです。
われながら、相変わらず他人に厳しい嫌な性格をしている。
配属先は地域生活支援センターというところなのだが、何をするところかと問われると、
一言で説明するのは難しい。(というか、まだよく知らない。へへ。いや笑い事ではない)
地域で暮らす精神障害者のサポート?就労支援?とにかくやることはたくさんありそうで、
でも、私にはまだ出来ることが無い(というか、それ以前に趣旨を理解しろっての)ので、
大変だ。ウロウロしている。
実習のときから知っている利用者の人から、とある原稿の添削を頼まれたのでホイホイと
やっていたら、帰り際上司に「すごい!初日からちゃんと仕事してるわね!」と褒められた。
これが立派な相談業務なんだそうな。
こんなんでいいのか。はっきり言ってよくわからん仕事だ。
いやはや、これからどうなることやら。
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