2001年8月のお嬢
8月15日 残暑お見舞い申し上げます 結局レポートが全部完成しないまま、スクーリングに出掛けます。 計画性のない人間だとはわかっていても、 それはいつかは乗り越えられるもんだ、とたかをくくっていたのだが、 やっぱりいくつになっても計画性のない人間に計画性は芽生えない模様。 さてさて、人混みの東京で、学業に何処まで専念できるのでしょうか。 スクーリングは24日まで。 26日頃に帰るまで、しばらく夏休みを頂きます。 掲示板には出没するかも知れません。 では、みなさん、ごきげんよう。 8月13日 王様の耳はロバの耳〜 さんりんぼうは、三隣亡と書くんだそうな。 暦の上で、この日に家を建てると向こう三軒まで火事で燃えて死んじゃうとされる、 まったくもって迷惑な言い伝えのある根拠のない忌日。 幼い頃よく、今日は三隣亡なんだから気を付けるんだよ、なんて、 江戸っ子みたいな声をかけられて、朝でかけた日があったもんだ。 で、昨日は三隣亡ではなかったのだけれど、私にとっては事件が2つも 起こってしまった。 ひとつは車庫入れの際、車庫の隅に置いてあったバーベキューセットを、 踏みつぶしたこと。これはまぁ、3000円で片付く話だからまぁいい。 ただし、いつものように、オヤジに「なんで下手くそのくせにどかさないんだ」だの、 「踏んだと思ったら戻れ」だの、それが出来てりゃ踏んどらんっちゅーねんという、 嫌味を二言三言言われて逆ギレはしてやったが。 問題はもう一つの事件である。 はっきり言って、現実の知人も見ているココで書くことは一生ないだろう。 たぶん、私にとっては、人を殺してしまったら誰かにしゃべっちゃうだろうけど、 これだけは人には言えない、ということをやらかしてしまったのである。嗚呼。 で、私はどうしたか。 私の知人でたった一人、同じ経験をしたことがあるという、 私の永遠のパートナー(←同じ悲しみを知るという理由で勝手に決めた)に、 涙ながらに携帯メールを送ったのだった。 その時の安堵感と言ったらあんたもう。 やっぱり、いくら人間想像力が大事だといっても、悲しみとか屈辱ってのは、 そうそう共有できるもんじゃないからねぇ。 ホントはカミングアウトしたほうが楽になるんだろうけど、やっぱ他人には言えん。 その話の為だけに、どこかに匿名サイトつくろかしらね…。 8月12日 続・みきどうざん他 なんども蒸し返すほどの話ではないのだが、三木道三である。ちょっとだけ。 まぁ、ネットでこれだけ賛美両論語られれば、歌手冥利に尽きるかな、 という気もするし、当の歌ってる本人はまさか「うざい」とか言われてるとは、 これっぽっちも思ってないかも知れないし、 言われても気にしないような人だから、あれだけ傲慢な歌詞をかけるんだろうな、 という気もするし、でも傲慢なのは自分に自信がないからだろうな、 という分析もしたくなったりするのだが、いじくらしいのでやめ。 とにかく、あの歌に対する評価が大きく「うざい派」「心にしみる派」に 分かれるというのは、7月25日の日記にちょこっと書いたが、 今日また新機軸を見たので、これまた興味のある方はご参考に。 ついでに「境界例のスキーマ」ってのもおもろい話。 精神系に興味ある方はどうぞ。 しかし、いろんな人の脳裏に残っているんだねぇ、あの歌。 いつかのオウムの選挙ソング(「しょーこーしょーこー♪」ってやつ)のようだ。 さて。 境界例的女性シンガーとされている椎名林檎については、結構好きだ(った)。 しかし、1枚目より2枚目のアルバムがパワーダウンし、 シングルもどんどんパワーダウンしてきたところに、妊娠出産。 なんか、もう芸能人の電撃○○ってのにも驚かなくなったワタシは、 今さら林檎ちゃんの「着床完了」ってな妊娠メッセージにもさして驚くこともなく、 まぁ、行き詰まっちゃったからここらでいっちょ産んぢゃいませうか。的な、 安直さ薄っぺらさが見え見え、ってなもんで興ざめ。 っていうか、確信犯的偽装境界例的アーティスト? 意外とフツーの子育てしてたりしてさ。 んなこと、初めから分かっていたじゃないか、そらみたことか、という人も多い。 しかしなぁ、1枚目の「丸の内サディスティック」のハーモニカなんて、 ホント、そこだけ繰り返してるだけでも良いくらいだったよ(歌じゃないってか)。 うっかりアルバム3枚で引退とか言っちゃったもんだから、 行き詰まっちゃったんだろうなぁ。そんなん撤回してのんびりやりゃいいのに。 公共広告機構の「産むだけでは親になれない」とかいうCMを見るたびに、 椎名林檎を思い出してしまうのが、これまた安っぽく。あーあー。 なんとかUAのように、出産後パワーアップして復帰してくれることを祈ろうか。 それか、いっそママドルになって、ポンキッキの歌うたうとか。 ある意味壊れていてステキだ。 ま、なんじゃかんじゃ言って、結局は3枚目のアルバムが出たら買うと思います。 三木道三は一生買うことがないと思いますが。はい。 8月11日 君らの敵は灘とラ・サールにいる、という学校の話 毎年恒例、高校時代の部活のOB会。準優勝。まずまず。 参加したOBで2番目に年寄りだった私は、飲み会では顧問の向かいの席。 座って5分もしないうちに「お前は靖国参拝どう思ってんだ。理由は何だ」と、 まったく、しょっぱなから深酒した深夜の軍人みたいな話をふってくる。 何を隠そう、一番世話になって、一番仲の良かった教師である。 同級生の半分近くが旧帝大と医学部と早慶に進むという進学校で、 毎年数人はいる落ちこぼれ組の1人だった私の放課後は、 英語の構文を覚えるより、数学の公式を覚えるより、 社会科教官室でコーヒーを失敬しながらの世間話に費やされた。 勉強しないんだから、当然成績はビリから数えた方が早い。 誰も知らない地方の小さな大学に、好奇の目で見られながら進んだ。 当然のなりゆきで、小論文だけは得意だった、というわけだ。 自由な校風で、進路指導でも「この大学に行け」とか「勉強しろ」なんて、 言われた試しがない。言われるのは「受かりそうだ」「ムリそうだ」のどちらか。 あとは、自分で判断して、グータラするなり勉強するなりしろってことだ。 教科書も使わないし、センター試験対策の詰め込み授業もない。 世界史は1年かかってローマ帝国までしか終わんなかったし(後に1日中補講)、 地理では、大学の国際政治学の授業よりずっと面白い世界政治を習った。 「ツルフサの法則」だってそうだ。 レーニン、スターリンから始まって、ロシア(ソ連)の歴代指導者はずっと、 ハゲとそうでない人が交互に就いてる、ってのを教師自前のイラストで習った。 最近でも、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンと、続く法則だ。恐るべし。 っていうか、大学受験はおろか、私のこれまでの人生にこれっぽっちも 役に立ってないことしか習ってない、っていうか、覚えていない。 とまぁ、こんな先生も私たちも、10年も経つと社会人になり、管理職になり、 人の親になっていたりで、当然ながら少しずつ変わっていたりして。 2児の親となった先生は「家族を持たないで、仕事が生き甲斐のお前らには、 今の俺の気持ちはわかるまい」なんてことを、お説教してくれたりして、 後輩のエリートサラリーマンは「先生、歳取りましたね」なんて、 ヤンエグ(←死語)風情でタバコ片手に語っていたりするのだけれど、 「では、家庭も仕事も持たない私は、拠り所のない人間かね?どおよ?」とか、 意地悪なことを言ってみれば、二人ははっと気付いて「いや、それは」なんて、 フォローに困っているわけで。 「『〜〜でなければわからない』と公言するのは逃げの発想だよ」なんて、 ホントは今の状況から一番逃げ出したいはずの私が偉そうなことを言ってみたり、 体育会でたたき込まれた上下関係を、就職した今でもずっと大事に守ってて、 「苦労はいつか必ず結果として実ると信じて頑張ってます」というお嬢さんに、 「そら幻想さ。リストラされる人なんて愚鈍かクソ真面目かのどっちかよ」なんて、 意地悪い現実を言ってしまったり。 実は負け組だからこう言えるんだよなぁ、と途中途中でシュンとするのを堪えつつ、 「寸鉄釘刺すこなつ姐サン」のイメージを守るのは至難の業ではあった。 をを、なんか虚しいぞ。 毎年私に寸鉄釘刺して欲しくてやってくるというヤンエグ氏が言うには、 「センパイ、切れ味鈍りましたね」と。(↑あれだけ言っているにも関わらず) しかし実は、結構それでイイと思っている。しめしめ、って感じで。 切れ味の鋭さは気持ちのいいものではあるけれど、その結果は全てが即死。 1か0かのデジタル社会で飯食ってる彼は最後まで納得してくれなかったが、 競争社会ってのを、全体のうちの弱い何割かをぶったぎることだと考える人が、 特に最近の勝ち組の「若い」人(←ばばくせー)に多いように思う。 例えば100から10削った後には、次に必ず90から9を削ることになる。 合理化とか、スリム化とか、構造改革とか、ステキな言葉でネコかぶって。 でもそれは実は競争ではなくて、排除の論理でしかないことが多いわけで、 それが続けば、やがて誰もが迫り来る刃に怯えて暮らすときが来るんだよ。 ま、そんなふうに考える私を、切れ味が鈍ったと捉えるのも良かろう。 少なくとも、私のここ1年辺りの方針転換を瞬時に読みとったキミは優秀だ。 ともあれ、毎年毎年、懲りずにこんな話で明け方まで酒を飲み明かせる、 そんな人間を育てたというのは、まぁ、うちの高校の立派なトコかな、と、 珍しくあの無機質なコンクリートの建物を懐かしんだりする日もある、ってことだ。 では、また来年。 8月10日 8月9日 夏休み満喫 すっかり脳味噌夏休み。 4日間ずっと、昼夜昼夜ビールを飲みながら、よく食べ、よく歩いた。 魂はリフレッシュされたのだが、リフレッシュされ過ぎて現世に戻れない。 まずい。 あと数日でスクーリングが始まる。 まぁ、言うまでもないが、レポートはいまだ完成していない。 8月8日 ワンダフル新世界 ついでに通天閣にのぼって参りました。 8月5〜7日 ノーモア・ヒロシマ 小旅行に出て参ります。 8月4日 久々に会った2人の友人から上司に対する愚痴を聞く。 今日は通院中の病院に糖尿病の薬を取りに行かされた。 (↑もちろん会社のタクシー券使って) いやいや、私はこの前、丈詰めしたズボンを取りに行かされた。 (↑これは徒歩で商店街に) 夜中までかかった仕事が終わった後には「はい、消えて」と言われ、 (お前の辞書にはお疲れさんという言葉はないのかー) 売れない冊子を前に、「体張ってでも売ってきてよ」 (死ね、セクハラおやじ) 不機嫌でも上機嫌でも「僕の権限で何でも何とでもなるんだから」 (恥ずかしいから、よそのお客さんにまで言わないで下さい) 電話の相手に「折り返し電話するって、君、ボクの番号知ってるの?」 (お前は変態クレーマーか!!!) まぁ、なんというか、終わってるって言うか。 これが、自称「人権派」だそうで、まぁ、見事というよりほかない。 ところで、久々に朝まで生テレビを見てしまった。 靖国参拝がテーマだったのだけど、これまたなんというか、すげかった。 「元来、日本人とは」「それが日本人の心」「それが国民の総意」…… せんせー、なんだか理論の脆弱さを補うために、 強引にみんなをひとまとめにしようとしている人がいまーす。おかしいでーす。 参拝賛成派にひとり、身内にも議論中に見放されかけてるほどドアホな、 ジャーナリスト(36歳♀)がいて、あまりのアホさに笑えてしまった。 「日本人の心の平安は靖国にしかないんです!それ以外ありえませんっっ!!」 だもの。それを涙目で絶叫されりゃぁねぇ、身内も引くってもんよ。 それはそうと、参拝反対派のパネリストは半分が外国人。 ちょっと淋しいよなぁ、なんか。 この問題を真っ向から話し合える日本人はもっといないのか? 政治家だって辻元清美(←相変わらず威勢いいけど)の他にいないのか? 外国人の見解・意見も大事は大事だけど、これは「日本」自身の問題として、 国と、国民一人一人が自らと向き合って解決すべき事だと思うのだけど。 (参拝賛成派はこう↑だから、外国に何を言われても行くべきだ、というのだが、 それはまったくの論理のすり替え。意味不明) まぁ、最後まで見ていて、賛成派にも思想云々はさておき、人の話を聞ける人と そうでない人がいるのだな、ということがわかった。 はじめ、すげー胡散臭げだったおじさんも、まぁ、それなりに相手の言うことを聞き、 紳士的に振る舞っていたので、思想の違いを越えて、まぁ、良しとしよう。 だけど、最後にパネリストがそれぞれまとめの一言コメントを述べているとき、 西尾幹二だけは、それを聞く素振りも見せず、 一生懸命になって、机の上の資料をカバンにしまっていた。 とりあえず、私が確信したのは、 こんな人が作った教科書で、まともな人間は育たない、ということだ。 8月3日 どうも翻訳物は肌になじまず、結局『グレートギャツビー』は挫折中。 で、結局『ノルウエイの森』を読み返すことに。 主人公のワタナベは『グレートギャツビー』のどのページを開いても、 「1ページとしてつまらないページはなかった」というけれど、 私にとっては、それが『ノルウエイの森』だ、ということだ。 それが主人公と私の、四半世紀の年齢差か。 ランダムにページを繰っては閉じ、繰っては閉じ、を繰り返す。 結局この夏も、この深い森から抜け出せそうにないようで。 8月2日 イイワケ なんだか色んな事が鬱陶しくなってきて、 それで全部やめちゃえ、と思ったのだけれど、 全てを捨てるということが、 やってみようにも、やっぱり、案の定、ほれ見たことか、 できなかったので、 やっぱりワタシはダメな子なんだなぁ、と思うしかないわけであり。 それにしても、日々コレ口実、はないだろう。 いくら、ワタシがそんな生き方をしているからと言って、 可愛がってるパソコンにまでそんなこと言われる筋合いはない。 でも、それ以上変換する気が失せた。 8月1日 平穏ナ日々ナド コノ世ニ存在スルワケガナイ 絶望セヨ スベテハソコカラハジマル |