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 2001年9月のお嬢(上)



 9月14日 号外

 パレスチナ人の街ベイト・サフール市からのメッセージを掲載しました。
 ぜひご一読を。



 9月13日 突然ですが

 私はアホである。
 これまで、アホと言えば、せいぜいここでのう○こ話くらいのことであったが、
 今日はさすがに我ながらショックを受けた。

 通信教育を受けている学校からの電話。
 (あ、たぶん、実習先が決まったのね♪)
 「はい、どんなご用件でしょう?」(←きわめて明るく)
 「あのー、先日お送りいただいたレポートの件で…」
 「それが何か?」(ひょっとして優秀だったとか?)
 「ちゃんと届いているんですけども、全て字数がオーバーしておりまして」
 「は?」(参考文献は字数制限外でしょう?と言いかけて)
 「1000〜1200字という規定なんで」
 (脳味噌フル回転。なんで?なんで?なんで?)
 「…あのぉ…原稿用紙、何字詰めですか?」
 「はい、1枚600字です」

 ガーンガーンガーンガーン……。

 原稿用紙って400字詰めだと思うよなぁ、普通。
 でも、ワープロソフトの設定は自分できちんと20字×30行にしてるし、おい。
 そう、設定をしたのは、まだ新緑の香りが漂う頃だったわよ…。
 書いてて随分短い割に結構大変だなぁ、と思ったのは気のせいではなかったのだ。

 「本来規定外だと受け付けないんですけど、あんまりなので再送を認めます」
 なんだかよくわからんが、とりあえず、助かったらしく。
 レポートを書き直すことはちっとも苦じゃないが、こんな自分が苦痛だ。うぉー。

 おまけであるが、来週から行く予定になっていた仕事がボツになってしまった。
 まさか、アメリカの事件のせいとは思わんが、金融系だったから、そうかも知れぬ。
 というわけで、私のプー太郎生活は不本意ながら、もう少し続きそうである。
 なんだかツイてないよなぁ、とかいうと、不謹慎だと怒られそうだけど。



 9月12日 まとまりのない話

 まずは犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。

 さて。
 アメリカには行ったことがない。
 嫌だ嫌だ!と言っている割には、結構行ってみたいと思っていて、
 まさに、イヤよイヤよも好きのうち、みたいで、我ながら複雑な思いがしている。
 実際、最近のアメリカのやり方には色々腹が立っていて、なんだこのやろー的心境で
 あったというのは事実であり、それは今も譲らない。
 「起こるべくして起きた」(筑紫哲也談)ではないけれど、
 人でも国でも、あれだけの恨みを買うというのは、尋常ではない。
 パレスチナの子ども達が、手を叩いて、満面の笑みでこの惨劇を喜ぶ姿を見て、
 この子たちをこんな風にしてしまったこの世界は、一体なんなのだ、と思う。
 少なくとも、私の知るイスラムの教えに従う人々は、人の心の痛みが分かる、
 少し要領が悪いけれど、心穏やかな人たちだった。
 だから、こういうときだからこそ、「だからイスラムは…」とか言ってはいけない。

 「(前略)わが党は、事件の真相解明とともに、テロ根絶をめざし、軍事力による
 制裁・報復ではなく、法と理性にもとづいて問題の解決がはかられることを求める」
 これ、日本共産党・志井委員長の談話。
 今回の犯人が誰だかは知りませんが、ハイジャックした飛行機でビルに突っ込む輩が、
 法と理性で対決できる相手なら、今頃こんな事になってないだろうよ?
 そんな夢のような話は、やっぱり夢であって、政治ではないような気がする。
 夢を叶える政治、ってのが理想的であることは間違いないのだが、現実は現実だから。
 ちなみに土井たか子女史の談話↓報復アリですか?
 「(前略)米国、関係諸国、関係者は冷静かつ理性的な対応をとることを要求する」
 ワタシ?
 私は、わたしは、ワタクシは…。
 私がアメリカ人であったなら、報復以外の選択肢が、今は見えない。
 それがいかに短絡的なことだと分かっていても。

 「アメリカは敵が思っているよりも、ずっとずっと強い」
 そう言ったのは、当選は数え間違え?と未だに言われる、哀れな大統領。
 っていうか、すごく沢山の人が亡くなってるからさ。強いとか、そういう問題でなくて。
 ぼくらは強い、ぼくらは強い、って聞けば聞くほど悲哀を感じるのは私だけか。
 それがなかったら、もう少しアメリカのこと、好きになれるかも。
 自分の弱さに目を向けられる人が、実は一番強いのだと思うけど、、、と思ったら、
 「ロシアはその怖さをよくよく知っている」って。
 えぇ!?ちょっと意外だよ、プーチンさん。
 それはそうと、気に入らないのは、世界の首脳で唯一、我が国の総理だけが、
 声明を出すのに、官僚の書き上げたであろう原稿を読み上げているということ。
 ここの国ほど政治家に威厳のない国もないんじゃないかね。情けない。

 ああ、いよいよ、話がまとまらなくなってきたけど、最後に最近思うこと。
 とりあえず、逃げよ。
 原発事故災害サバイバルハンドブックを見ても思うし、歌舞伎町の火事だって、
 今回の事件だって、隣のビルだから、とか、下の階だから、とか、
 大事な書類が残っているから、とか、そんな悠長なことを言っていてはダメだ。
 とりあえず、逃げよ。全速力で走るべし。
 しかし、今回の場合、逃げることすら出来ない人が大勢いた。
 やはり、今日も長々書いてはみたけれど、かける言葉は見つからない。



 9月11日 こんな夜には

 やはり何か書くべきか。
 好きな小説に、「美しすぎるものを目の前に、詩は浮かばない」というような、
 そんなくだりがあるが、「美し」の部分がどんな形容詞に入れ替わっても、
 それは同じ事、ということを実感する。
 記者になろうと思ったのは、ベルリンの崩壊をテレビの生中継で見たときだった。
 胸が高鳴り、震え、手に汗をかいて、その様子を見守り、
 私は、その時の様子を、ある文集に記した。

 今、私の心はそれほど動かない。
 酷い、とか、大変、とか、信じられない、とか、そういう月並みな言葉で、
 今の気持ちを表現できないのは、あまりにも事が大きすぎるのと同時に、
 実際、この心がそれほど揺れていないからだ。
 確かに、驚いた。だけど、実はそれほど驚いていないのかも知れない。
 そんな風に思えてくるほど、私は何かに慣れきってしまっている。
 それは、仕方のないことなのかも知れないけれど、良くないことかも知れない。
 しかし「今そこにある危機」は、やっぱり今、そこにあるのか。

 NY在住の井上智さんは無事、ボストンへ出張していた従姉妹も帰国済み。
 とりあえず「ひと安心」とはいうものの、そんな発言さえ憚られるような気がして、
 じゃぁ、何と言えばいいのだ。その言葉さえ、見つからず。
 ただ一言。
 I'm sorry.



 9月8日 スクーリング日記

 一応書いては見たのだが、まったくもって、面白くない。
 ご注意あそばせ。
 まぁ、私の個人的な記録みたいなもんだから、ご了承を。

 ところで、帰ってきてから『過疎地域の文化と狂気』という本を読み始めた。
 以前、友人に贈られた本なのだが、難解すぎて挫折していたのだが、
 スクーリングを終えて、突然読めるようになってしまった。
 別に、コレと言って授業の内容とダブる部分があるわけではないのだけれど、
 内容が、大した苦痛もなく、頭に入っていく。
 副題が「奥能登の社会精神病理」である。
 そう言えば、先週会った精神科医の友人が、奥能登だけでなく、
 日本全国各地に精神病患者の多い地域というのがあるんだと言っていた。
 (注:本では、特に数的問題で奥能登を取り上げているわけではない)
 近親婚など遺伝的要素も関係しているが、この本を読んでいると、
 その土壌や文化、風習、宗教、などなど、ありとあらゆる要素が、
 人間の心に影響を与えているんだなぁ、と感慨深い。
 久々、おもしれーなー、という本なのである。
 というわけで、書庫でなく、こちらに書いてしまった。
 私自身は、本は読めても、文が書けないスランプに陥っている感じ。ふぅ。



 9月7日 えっと

 昨日は何だか、機嫌が悪かったのでしょう。
 あー。改めて、すいませんね、こんな日記で。
 これも、月に1度?くらいのご愛敬ということで。
 あ、ホントに生理じゃないんだってば。ホントに。
 スクーリング中にあれだけ張りつめていた心なのに、
 今になってそのたがが緩んだのだ。たぶん。

 調子が悪いと、掃除をしたくなるようになった。
 こんな歳になっても実家で暮らしている事への、当てつけというか、
 鬱憤晴らしみたいなもんで、母の居ぬまに冷蔵庫を大掃除して、
 部屋も大掃除してワックスかけて、極めて爽快。ほとんど小姑。
 学生時代には自分の生活のリズムなんて無かったし、
 その乱れそのものを楽しんで順応していたけれど、
 今では、少しでも自分の気に入らないことがあると、キキキーっと心が軋む。
 一人暮らし、したい、したい、したい。
 「恋がしたい恋がしたい恋がしたい」ってドラマがあるけれど、
 今の私には、恋はそれほど必要ではないような気がする。
 あの頃は、あんなに恋がしたかったというのに。



 9月6日 ワタシの場合

 それは突然やってきます。
 別に、生理とか、つわりとかいう話ではありません。
 ただ、何となく、息苦しくなってきて、頭が働かなくなって、
 それから、足が立たなくなって、目が痛くなって、手が痺れます。
 ただただ、どうしようもない感じです。
 気分とか、そういうんじゃなくて、体がおかしくなるということです。とても。

 一番仲の良い人は、キミは家に長く居るとおかしくなるんだよ、と言います。
 確かに、ここ数日、ワタシはずっと家にいたかも知れません。
 それで、特に用があるわけでもないけれど、外に数時間出ました。
 遅い昼飯を外のラーメン屋でとり、ミスドでコーヒーとドーナツとタバコを入れて、
 そして、大学時代の友達に手紙を書きました。
 それで、少しは楽になります。
 あとは、こんなつまらない日記を書いて、ワインを1本空けて寝るだけです。
 今日の日記を読んだ人、ごめんなさい。



 9月5日 最近、昨日の日記になりつつあるのは気にしないで

 昨日、婆さんの通院に付き添いとしてノコノコついてった。
 無職でヒマ、というのもあるが、子どもの頃から「家庭の医学」を愛読していた、
 プチ医学オタク的側面が、ここにきて家族に重宝がられているのも事実。
 日に日にカタカナに弱くなってきている両親は、薬の名前はおろか、
 婆さんの抱えている病名、というか症状名もおぼつかないもんだから、
 イライラした私は自ら名乗り出て付き添うことにしたわけで。いわゆるお節介。

 タクシーで病院に着いたのだが、降りるときに「杖持った?」と聞くと、婆さんは
 「杖?あー、あんなもん、置いてきたわ」やと。
 断じて言うが、決して呆けているわけではない。
 近所の病院ではない街の大きな病院に行くこと=お出かけ、と認識する婆さんは、
 服も一張羅(孫はこきたないジーンズ姿だというのに)、
 杖も持たず(孫は寝不足でフラフラだというのに)
 一人で受付を済ませ(孫は大病院の最新システムがちんぷんかんぷんだというのに)
 スタスタ診察室に進んで行かれる。
 そして開口一番、こうのたまった。

 「センセー、ほんっとに調子が悪くって、困ってるんですぅ〜」(日本直販のCM風に)

 おーぃっっっ。どないなっとんねん、この婆さん!めっちゃ元気やないかい!
 という突っ込みはおいといて、と。
 一応、日頃辛い思いをしている(はずだ…たぶん)症状の原因や経過の説明を受け、
 ワタシ的になーるほど、とそれなりに納得。今後の治療計画を立てて帰ってきた次第。
 これも実習だと思えば、なかなか有意義な一日であった。
 いやぁ、それにしても、あの婆さんの生命力たるや恐るべし。
 時たま、もーぉ死ぬ、と繰り返してはいるけれど、見た感じ当分は大丈夫そうだ。
 見てるだけで面白いので、せいぜい長生きして下され。病院ぐらい付き合いまっせ。
 というわけで、次回受診も同伴決定。あれー?



 9月4日 ご縁

 更新再開から2日。
 この数日はもとより、更新をサボっている間も、カウンターは静かに回っていた。
 で、どこのどなた様がココを読んでくれているのだろう、、、というのは素朴な疑問。
 ほとんどは、知り合いとか、相互リンクつながりの方だろうなぁ、と思うのだが、
 時に、検索ページからここに辿り着かれる方がいるようで。

 最近多かったキーワードは「三木道三」「みきどうざん」「一生一緒にいてくれや」など。
 変わりどころでは「思春期 バストアップ」(高校時代の家庭科教諭の悪口ネタ)だの
 「逆子 お灸」(水島広子代議士の話)とか。
 自分でも、なんじゃそのキーワード!と思うような言葉でここに辿り着かれている。
 どれもこれも、ご縁だなぁ、ということで、末永くよろしゅうに。

 ちなみに最近くたびれ果てていた私は、いつもの癖でまた「うんこ」とか検索してしまった。
 そしたら「日本人の口臭はうんこ臭」なんていう、とんでもない話にヒットしてしまった。
 うっそー。まじっすか。
 自分の吐く息がうんこ臭い、おなら臭いって受診する人がいるだなんて!
 っていうか、満員電車に乗っても、別にうんこ臭さとか感じたことなんか無いんですけど!
 他人の口臭と言えば、虫歯の間に詰まった食べカスの臭い…モゥワァ〜…おっと、失礼。
 とにかく、真面目な話だけに、大変興味深く読ませていただきました。
 興味のある方はこちらへ。



 9月3日 歳とったなぁ

 最近、ほんとにそう思う。
 なんでこの私が?どうしてまた?うそでしょー?と思うことが多い。
 うちの婆さんは、この秋82歳になるのだが、未だに3,40歳代の頃の体に
 戻りたいと言って(いや、口には出さないけれど)、毎日鬱々と暮らしている。
 老いを認めたくないんだろうけど、あの人の場合、それが時にパワーとなるので、
 まぁ、それはそれで長生きの秘訣なのかも知れない。
 私の場合は、認めるも何も、自分の変化が手に取るように分かってしまって、
 それを受け入れざるを得ないと言うか、それを楽しんでいる部分がある。
 ま、変化を受け入れられると言うのは、まだまだ若い証拠か?(←無理矢理)

 昨日、なんとこの私が、トレッキングシューズなるものをご購入。
 山好きの知人に3年ほど前からずっと「白山に行こう」と誘われていて、
 それを、今の今まで頑なに断り続けていたのだが、ここにきて気が変わった。
 理由はよくわからんのだが、とにかく登ってみようと思ったのだ。
 高価な靴が半額セールで売られていた、というのも、大きな理由ではあるが、
 知人も家族も、私に何が起こったのかと、不思議を通り越して不審がっている。

 まぁ、良い。
 たぶん、いつかここで書いた「どろんこ願望」とか「農業したい願望」の親戚みたいな
 心境の変化ということで、詳しい理由など、私自身知りたいとも思わないし。
 ただ、こういうのが歳を取るってことなのか、という漠然とした認識は、
 気付かない振りをしてやり過ごすという方向で。



 9月2日 ストレスの行方

 ゆうべは精神科医になった友人と晩飯。
 PSWの勉強を始めてからは初対面で、久しぶりに会ったこともあり、
 相互機関銃連射状態。まぁ、よーしゃべる、よーしゃべる。
 かたや毎日患者さんの声を聞く仕事をし、かたやその道に進もうかという人間。
 それなのに、というか、その反動で、というべきか、すさまじかった。
 いや、でも、内容は濃くて濃くて、非常に元気が出た。
 そらそうか。あれだけ言いたいこと言ってしまえば。

 食事の途中に別の友人から「上司にブチギレて、男2人で食事中」と電話。
 そうかそうか、みんな色々抱えてるんだねぇ。
 頑張らなくてもいいけど、頑張らなくちゃいけないから、大変なんだよねぇ。
 精神科にかかる患者さんも、分裂病などが圧倒的に多かった以前に比べて、
 ストレスを原因とする疾患を抱える人が随分増えているんだそうで。
 とかくこの世は生きにくい、ってな感じ?
 その環境を変える、例えば、上司の左遷とか、会社辞めるとか、そういうことができりゃ、
 話は早いんだろうけど、そうできないからみんな困っているわけで。
 この手のストレスは結局、たらい回しにして摩耗消滅させるしかないのかな。
 友達が少ないこの私にも、かろうじてそういう友達がいるという現実に感謝。



 9月1日 防災の日

 よりによって、防災の日にこんな事件。まったく皮肉なもんである。
 総理もみんなピカピカの防災服に身を包んで、朝のはよから集まって、
 青空の下、小さなバケツで消火訓練。予定通りの救出訓練。
 まぁ、やらないよりやった方がいいのかも知れないけど、
 召集がかかるわけでもないから、毎年いつ何処で訓練するのかも知らない。
 って、召集かかっても行かないだろうけど。
 なれ合いの訓練よりは、火事場の馬鹿力の方が、よほど信頼できそう。

 10日ほど前、歌舞伎町で飲んでいた。叙々苑で豪遊。ほっほっほ。
 それから、1週間ほど前も、歌舞伎町で飲んでいた。居酒屋でメシ。
 居酒屋はエレベーター降りたら即お店で、エレベーターホールがないビルの8階。
 今思えば、あそこで火事が起きたら、間違いなくみんなまとめて蒸し焼きだ。
 大阪で行ったオカマのショーパブだって、何やら怪しげな作りのビルで、
 酔っていたせいもあるけれど、入り口付近は迷路のような構造だったし、
 片町で行ったキャバクラも、雑居ビルの地下で、煙も炎もこもりそうな場所。
 (どうしてワタシが↑ココに行ったかはとりあえずおいといて)

 要するに何が言いたいかというと、ああいう事故は、防災訓練やそれに参加する人々とは
 極めて遠いところにいる、ワタシのような不健全な人間のそばにいつも起こるわけで、
 早朝の青空の下、真剣なまなざしでバケツリレーできる人の周囲にある危険は、
 まぁ、誰もが不可避の自然災害、とか、やかんの空焚きとかいう種類のものであるわけだ。
 なんとも痛ましい事件ではあるのだけれど、運び出されたお姉さん達はセーラー服姿で、
 男性には地方から出張中の人とか、子どもが生まれたばかり、という人がいるわけで、
 まぁ、そういう意味でも悲惨というか、なんというか、難儀やねぇ。
 要するに、ワタシも気を付けねばなぁ(←どーやって?)、としみじみ思うのでありました。
 これが私の「防災の日」。