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2001年4月のお嬢(下)


 4月26日 旅立ち前

 私は小心者。
 旅に出る前は、眠れない。(旅日記参照)
 準備がのろいのと、興奮しているのと、忘れ物が無いかどうか不安なのと、
 とにかく理由は色々ある。

 もし、旅先で死んだら、部屋に残されたモノはどうなるのだろう?
 いや、見つかってまずいモノ、何かあったっけ?
 いや、見つかっても、自分は死んでるから、別にいいっか?
 いやいや、やっぱり家族が知ったらショックなことは、知らない方がいいか?
 じゃ、家族が知りたくない事って、どこに片付けてあったっけ?
 とにかく、きりがない。

 HPだって、そう。
 例えば、相互リンクしてくれてる人の中には、まったく会ったことのない人もいるわけで、
 そんな人のためにも、誰か身近な信頼おける人にパスワードとか教えておいて、
 万が一私が死んだらこのページをUPして下さいね、
 みたいな特別ページを用意しておくのもいいかな、とか思うし。
 こういうの、生前葬の発想だよね、きっと。

 まぁ、今はとにかく、事故にだけは遭わないよう、祈るしかあるまい。
 5月1日あたりに、帰ってきます。
 みなさん、よいGWを。



 4月25日 「コイズミ」さん

 髪の毛、パーマらしいね。ちぇっ。おもしろくねぇ。
 変人とか言われている頃から、なんとなく同姓だからか、それとも、
 あの薄い顔、そしてあの手強そうなくせ毛がとても他人とは思えなかったからか、
 我が家はみんな結構応援してた…ような気がする。

 それが、パーマだったなんて!
 その上、自毛はサラサラストレートだと?うぉ〜っ!何じゃそりゃ〜!騙された〜!
 我が家はどーせ一家全員揃ってくせ毛ですぅ。ちっ。
 今までずっと、やっぱくせ毛は髪の手入れが大変よねぇ、苦労してるわねぇコイズミさん、
 なんて心配してたワシらは一体なんだったんだー!!

 ま、そんなことより、心配はそう遠くない将来、失言王位を継承しそうなことにある。
 結構、なんでも適当にしゃべってるみたいだしな。
 頼む。日本中で「バカ小泉」「ダメ小泉」なんて言われる事態はだけは勘弁してくれよー。
 カトウさん、という人にこの話をしたら、「ホント、秋の政局んときは、参ったわ」。やっぱり。
 日本中の「モリ」さん、長きに渡る屈辱の日々、ご苦労様でした。

 いやしかし、それにしても、コイズミさん。日に日に胡散臭くなってきましたな。
 あ、私じゃなくて、総理のほう、ね。悪しからず。
 「やっぱダメだな、コイズミは」とか言われるんでしょうかね、近いうち。
 いや、だから、私のことじゃないんだってば。くぅっ。



 4月24日 私のGW

 今週末から数日間、関西に出掛けることにした。
 予定は未定。飲み会ばかりが、体と金の続く限り、延々と続く。
 ここ数日、どこで何を食うかということだけ考えている。かなり本気。
 5月から就職しようか、どうしようか、という悩みよりも、本気で悩んでいる。

 最近サボりっぱなしの「出没エリア」。
 旅先で食べに行った店も、記録しておこうと思いつつ、ついつい放ってある。
 要するに、自分さえ美味いモン食えちゃうと、もういいやー、となっちゃうわけで。
 いかんいかん。
 目指せ「www.さとなお.com」の心意気は何処へやら。
 
 いつ見ても、さとなお氏の食へのこだわり、というか執着は素晴らしい。
 今回はアウェイということで、ガイドブックと、インターネットでかき集めた情報を、
 さとなお氏の判断と、そして何より、自分の勘で最終決定する、というプロセスで、
 何件かの店を選び出した。やはり最後は、自分の勘を信じなきゃ。
 心斎橋の洋食、天満のイタメシ、神戸の???(←考え中)
 美味い店には、必ずただならぬ気配を感じるものだ。
 さて、勝負は如何に。

 結果はいずれ、このページで報告しましょう。
 おいおい、「旅日記」はどうなっとんねん、という突っ込みは無しよ。



 4月23日 とはいえ

 私は「あんたは経験してないからわかんないのよ」ってな決めゼリフが嫌い。
 それ言われちゃぁ、元も子もないじゃん、って思うので。
 この前、ある飲み会の場で、「あんたも子ども産んだら解る」みたいなことを言われ、
 酒の勢いもあって、ムキになって反論してしまった。
 ムキになったこと自体は、ちょっと反省。

 ただ、私はさておき、子どもって、産みたくても産めない人が居るわけだし、
 「産んだら解る」って論法は、良くないよな、と思うわけで。
 そしたら、「私は失恋しようにも、その機会がなかったんだもの」という人はどうか。
 
 ………。
 となると、正直やはり、あんたにゃ解んないわよ、と言いたくなってしまう私。
 大いなる自己矛盾。

 どうなんだろう。
 持つ者が持たざる者の気持ちを理解することは、できないのだろうか。
 持たざる者が持つ者と対等な気持ちで理解し合うことは、できないのだろうか。
 結構、私の永遠のテーマ。



 4月22日 失恋スルト云フコト

 失恋話、ってのは、本当に何度聞いても心が痛む。
 悪いけど、失恋したことのない人には、解らない痛みだ。
 あの絶望感、失望感たるや、それを経験したことのない人に
 わかったような顔で同情されたぐらいで解決するほど、ヤワじゃない。
 そんな、生易しいもんじゃない、と思う。

 だけど、その経験のない人は、そんなこと、想像もつかないから、
 黙って話を聞いてやりゃいいのよ、言うだけ言ったらすっきりするんだから、
 なんて平気で言ったりする。
 だから、そんな生易しいもんじゃないんだってば。
 
 幸か不幸か、私はこれまで何度か(何度も、か?)失恋を経験してしまった。
 紙屑のようにポイ、もあれば、互いに泥水ぶっかけ踏みにじり合ったことも、
 それはそれは静かな別れもあった。
 その騒々しさとは関係なく、私はその都度、人生捨ててしまいたくなったり、
 いやいや、私が死ぬくらいならあいつを殺す、なんて物騒ことを思ったり、
 それでも、いつしか、その迷路から抜けだして歩いている自分に気付くのだ。

 泣き崩れる人を前に、私が出来たのは、そばにいて背中を抱くことだけだった。
 そして、話を聞いていたら、いつのまにか、私もポロポロ泣いていた。
 黙って話を聞いてりゃいいのよ、って人には、この涙はつまらん同情に見えるかな。
 でも、たぶん、それでいい。
 これは、失恋した人でなきゃ、わからん涙の味なんだ。



 4月21日 ではもう一発

 コレはどお?笑えないけど、しびれるぅ。
 教えてくれたのはココの日記。




 4月20日 久しぶりに

 私の笑いのツボをくすぐりまくったこと→ココ
 ホームはこっち



 4月19日 「昼下がりの書庫」

 家族はあまり、本を読まない。
 両親も妹も、例えば、仕事だとか料理だとか茶道だとか、興味のある分野の本を
 必要最小限だけ読む、いや、見る程度。
 だから、休日(いや今は毎日休日なんだけどさ)ひとりで部屋にこもって本を読む、
 そんな私は、なんだか「けったいな」人間だと思われている節がある。

 母方の祖父と父方の叔父は結構な読書家だったようだが、どちらも長生きしなかった。
 同居していた父方の祖父は、歩いたり絵を描いたり、というのは好きだったが、
 本を読んでいた姿は記憶にない。ちなみに大往生。
 今も健在な両祖母が本を読むのも、見たことない。ちなみに、どちらも長生きの予感。

 死んだ叔父が出版社にいた関係で、ごく幼い頃から外国の絵本にたくさん触れていた。
 私が好きだったのは、「くろぼうしちゃん」という、友達の居ない女の子の話と、
 「ぶたのしあわせ」という、大金持ちになったブタがやがてその生活にうんざりして、
 普通のブタの生活に帰る、という話。
 いま広げてみても、抜群にシュールなストーリーで、我ながらこんなのが好きだった私は
 なんちゅー子どもやったんや、と思ってしまうオトナの秀作だ。

 まぁ、そんな具合で、何処へ行っても、しまいには家族にさえも、あんたちょっと変よ、
 と言われる私の、実は結構普通な読書記録を残すことにした。
 読むのは遅いので、大した数は書けないし、感想文は嫌いだから、感想も適当。
 本が嫌いでない方は、お暇ならどーぞ。
  


 4月18日 虫めづる姫君、ではないけれど

 私がうんこやトイレの話が好きなのには、それなりのわけがある。
 あれは、小学校4、5年生のころだったか。
 あのころ私は、親父が「下水道部」にいるということ以外、
 何の仕事をしているか、よく知らなかった。
 ただ、出掛けるときは背広姿だったが、時たま作業服のまま現場から直帰する日に、
 なんとなく嫌な思いをしていたことだけは確かだ。

 丁度、社会科の授業で下水処理の仕組みなんかを習う頃。
 先生が「下水」という言葉を口にする度に皆が口にする、くっせー、きったねーという言葉が、
 まるで自分に向けられたような気になっていた。
 そして私は、「うちのお父さんは、処理課じゃなくて建設課なの」なんて言い訳も用意する、
 そんなかわいげのない子どもだった。

 そんなある日、社会見学で下水処理場を訪れた。
 この日の感激と言ったらもう。
 今も、あの薄暗くてだだっぴろい、妙に無機質で小綺麗な屋内沈殿池の静寂が目に浮かぶ。
 その一見無機質なプールの中では、プランクトンが汚物やらゴミやら何やらを食べて、
 汚泥がゆっくりと底に沈んで、やがて水は川に帰るのだ。
 そう聞いたときの感激と言ったらもう。
 
 くっせー、きたねー、という声がいつしか少なく(最後まで言ってるバカもいる)なったとき、
 なんだか誇らしげな気分になると同時に、私は完全に、処理場の虜になっていた。
 今でも、是非もう一度行きたいです。本当です。
 ここで、微生物学とか化学とかに興味が向きゃぁいいものを、どういうわけか、
 私は処理前のブツと、処理場より前の場所に強く惹かれていった、というわけだ。

 この話を、友達と飲みながら話したら、やっぱりあんたはちょっと変、と言われた。
 いつだって、私はうんこをとても真面目に考えているというのに。
 まったく失敬な。



 4月17日 追記

 オオイヌノフグリのほかには、イヌノフグリ、タチイヌノフグリなんてのがあるそうで。
 まぁ、言われてみれば、変な名前だよな。
 でも、というか、だから(?)というか、数少ない好きな花なので、珍しく画像をUP。
 見たい人はコチラへどーぞ。

 写真と解説文を快く提供して下さった、宮崎大学教育文化学部の小林辰至先生には、
 心より御礼申し上げます。ありがとうございました。



 4月17日 時代おくれ

 オオイヌノフグリが咲いたかと思えば、タンポポが咲き、
 あれよあれよという間に満開になった桜は、アッという間に散り落ちて。
 気がつきゃタンポポは綿帽子を飛ばしておりました。
 いつの間にか田植えの準備が始まった田圃では、どこからやってきたのか、
 カエルが合唱しておりました。オタマジャクシはどこで育っていたのでしょうかね。

 こんな春のハイペースにもついて行かれない私だというのに、
 ひょんなことから、余所からホームページの作成を頼まれるという、
 嬉しいような困ったようなそんなITな事態に陥っております。
 とうとうHP作成ソフト(←タダじゃないヤツ)まで手に入れてしまいました。
 ようやく「フレーム」の仕組みを理解した今、放心状態にてございます。

 理解した。そう、理解して、ここもいっちょフレームに、なんて思ったんですけど、
 やっぱりここはやめときます。
 いや、決して、使い方が判らないから、アホだから、ってんじゃなくて。
 なんとなく行ったり来たり、何かを探しに戻ったり、ちょっと行き先間違えたり、
 という、アナログな場所にしておきたいと思ったのです、ここぐらい。
 なんか、おばさん入ってますかね、わたし。
 そういうわけで、ご面倒でしょうが、みなさん、ご勘弁下さいませ。


 4月16日 幸福論?

 ああ、筑紫哲也よ。
 アンソニー・ホプキンスのインタビューは良かったぞ。
 ふんわり感動したぞ、面白かったぞ。

 しかしな。
 「あなたにとっての真の幸せは何ですか?」という質問に彼が答えた後、
 自分に投げられた同じ質問を無視するでない。
 ひょっとして、私のヒアリングミスなら、ごめんなさいなんだけど。
 確かに「君にとっては何だい?」って言ったぞ。たぶん。あれ?

 その質問に答えないで、しかもインタビューはそこでおしまいで、
 その上、スタジオのコメントが3人揃って「いやぁ、怖くないんですね、あの人」だの、
 「笑うんですね」だの、つまらないったらありゃしない。いい加減にしろっての。
 そんなんで「幸福論」とか語らんで。ただのミーハーじゃん。もったいねぇ〜〜〜。

 教育テレビで日曜の深夜にやっている「アクターズ・インタビュー」だったっけな、
 秀逸なインタビュー番組があってよく見てるんで、それと比べてしまって、がっかり。
 いや、でも、アンソニー・ホプキンスの話が聞けたから良かったことにしよう。
 そうしよう。
 彼の考える幸せが、とてもとてもシンプルで、とてもとても穏やかなものだったから。