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 2001年5月のお嬢(上)


 5月15日

 会いたい人に会えないからといって、
 やりたいことができないからといって、
 独りで酒を飲んだところで、何の解決にもならない、
 ということがわかった夜。

 私は弱虫だろうか。
 私は怠けているのだろうか。
 私は逃げているのだろうか。




 5月13日 やっぱり

 「よど号」ハイジャック事件の容疑者の子ども達が帰国するそうな。
 で、気になるコメントを、今日のasahi.comより転載。

 「3人は『父母の故郷の日本を早く見たい。東京ディズニーランドにも行ってみたい
 と話しているという。」

 をを、分かり易すぎるぞ、これは。
 いったい、何度通ったんだ、正男よ…。




 5月12日 ふと思うこと

 別れた恋人と友達になれますか?
 よくある話題だけど、何人もで何時間も話したところで、決して答えは出ない。

 別れた直後の、万人ストーカー状態の間は、多かれ少なかれ、みんな愛憎の塊。
 文字通り、愛情と憎しみが絡み合ってもつれあって苦しむわけなんだけれど、
 しばらく経てば、潮が引くように、その激しい感情は鎮まっていく。
 それを、諦めとか、納得とかいうんだろう。

 だけど、あくまでも、そこで鎮まったのは「愛情」の部分だけじゃないか、と思うわけで。
 相手から受けた心の傷は、私にとってはイコール憎しみであって、
 潮が引いた後もなお、その憎しみがずっとずっと燻っていたりするわけだ。
 忘れていたはずの出来事を、ある時何かの瞬間でふと思い出し、
 そして、やりようのない憎しみと、怒りに心が震える。
 そして、そんなちっぽけな自分に、それ以上の憤りを覚えるのだ。

 その苦しみから解放されたとき=別れた男が友達になる時かも知れない。
 だけど、相手に対して愛情も憎しみも持たなくなったその瞬間、
 ひょっとすると、その人は、友達ですらなくなるんじゃないか、という気もする。

 ふたりの思い出から、憎しみの部分を取り除いてしまえば、
 別れた男はとっても「いい人」。
 そこで思い出す「『いい人』は『どうでもいい人』なんだよ」という友人の言葉。



 5月11日 余談ですが

 よく見てみると、ハンセン病訴訟の弁護団の顔ぶれは、
 薬害エイズ訴訟の弁護団、そっくりそのままじゃん(笑)
 いけいけ、共産党!って感じですなぁ。何はともあれ、よくやった。

 ただし、言っておきますが、私は共産党、苦手、いや、嫌いです。
 党員の人いたら、ごめんなさいね。あなたが嫌い、ってわけじゃないから。
 申し訳ないのですが、私はとても感情的に生きています。
 好きだから応援する、嫌いだから付き合わない、万事がその調子です。
 何をするにも、動機は、気に入ったから、とか、感動したから、とかいう、
 至極単純なわけで、そこに大それた思想だの理論だの、ほとんどありません。

 そこにきて、彼らは私の心に、思想だのシステムだの、色んなものを注入します。
 1996年2月の日比谷公園。
 薬害エイズ訴訟の和解直前の厚生省前座り込み、と書いた方がわかりやすいか。
 詳しくは書かないけれど、その場で民青の学生と言い争いになった。
 何が腹立つって、「君の考えは間違ってる。市民からの改革なんて無理だ。
 今必要なのは、この社会の構造そのものを上から変えることなのだ」ってよ。
 
 あのさー、それは自分たちの集まりだけで演説してよねー、ってかんじ。
 こっちにはこっちのやり方があるわけだよ、ってこともわかんないかなぁ、君ら。
 頭いいくせに、そういう、当たり前のこと解らない人、たくさんいるなぁ、あそこは。
 もちろん立派な人もいるけれど、だけど、薄っぺらな思想を正義感とはき違えて
 振り回す人が多い、というのも事実なわけで。

 でもね、でもね、そんなすっとこどっこいとの嫌な思い出はさておき、
 今日のような判決が出た、気分のいい日にはやっぱり思うよね。
 いけいけ、共産党系弁護団!
 こんな晴れた日のために、やっぱり、彼らには居て貰わなくてはいけないのだなぁ。



 5月11日 人として

 裁判の判決で涙が流れたのは、久しぶりのこと。
 長い人では60年以上もこの社会と隔てられた世界で生きてきた人たちに、
 ようやく、一筋の光が射した。
 ようやく、というには、あまりにも長すぎる時間だったと思う。
 菅直人が「何もしない、ということが、場合によっては罪になるのだいうことを、
 心に留めなければ」と、判決が言及した国会議員の責任について話していた。

 不作為の罪。
 傍観する残酷さ。
 無かったことにする狡猾さ。
 私はその罪を犯しては居ないだろうか。
 無自覚な差別ほど、互いにとってむごいことはない。

 テレビや新聞で連日続いた人権特集を見た母が言っていた。
 「精神分裂病の患者さんが出てたけど、見た感じ、ほんとにフツーやねぇ」
 「『分裂』っていうから、ほんとに『きちがい』なんだと思ってた。名前変えればいいのに」
 少しずつだが、人は変わるし、社会も変わる。

 自らの意に反して閉鎖病棟に暮らす(≠入院)人たちが、今日のような青空の下で、
 僕たちは人間なのだ、と声高らかに笑う日が一日でも早く来るように。
 それまで、そして、その後も、私は決して不作為の罪を犯さないようにする。



 5月10日 立てば芍薬…

 先に断っておくけど、私はデブだ。
 体脂肪率は30%を軽く超え、高校時代より10キロ、大学時代より8キロ太っている。
 街を歩いている、同じ背丈の子たちよりも、10キロくらい多いのだ。
 幸い顔が大きくないので、洋服屋の姉さんはふた周りほど小さいサイズを持ってくる。
 しかし、それを断って大きなサイズをやっとの思いで試着するのは、結構悲しい。
 あの頃の体型に戻れば、あんな服もこんな服も、あんな水着も、着られるのに。
 太りやすい体質と、弱い弱い意志を恨む。

 それはそうと。朝日新聞の「ティーンズメール」というコーナーにあった投稿。
 「整形したら世の中なんでも巧くいくようになりました」というやつを、ピーコがぶった斬っていた。
 美人は3日で飽きるけど、ブスでもおもしろけりゃ、次の日から顔は関係なくなるのよ!
 だいたいあんた、順序が逆よ、中身磨いてから整形でも何でもしなさいよ!
 耳元からピーコの声が聞こえてくるようだ。

 会社に、ブスでデブで性格も悪いオンナを約1名発見。
 挨拶、返事もしなけりゃ、笑いもしないし、書類は投げつけるわ、人の顔も見ないわ、
 もう、とにかく、これでもか、っていうくらい、器量が悪い。
 あんなひどいの、久しぶりに見た。

 あんなのになっちゃうと、人間終わりだよなぁ。生きてて何か楽しいこと、あるんだろうか。
 いじめにも遭っただろうなぁ。人に優しくされたこと、無いんだろうなぁ。
 家でもそんな風にしているの?家族はみんな、あんたと同じなの?
 ブスだろうがデブだろうが、ハゲだろうが脂ぎってようが、性格よけりゃ嫌われないのにね。
 こういう人を見たとき、我が家の人間は、非難を受けることを承知で、あえてこう言います。
 「いじめられる方にも、原因は必ずある」。
 まぁ、性格が歪んじゃったのには、それはそれで深いわけがあるのかも知れないけれど。

 と、まぁ、そんなことをじっくり考えられるくらい、脳味噌がヒマ〜な職場に勤めています。




 5月7日 バブルと寝られない私

 自慢じゃないが、ワタシはオイルショックの頃に生まれた。
 第2次ベビーブームだから、子どもが多くて、受験の時なんか最悪だった。
 というのも、私の生まれる1年前が出生のピークだったもんだから、
 公立高、国公立大の定員は一時的に増やされていたのだが、
 それが私らの年からは減らされつつあったからだ。
 そのくせ、受験の時には上の学年から浪人生が参戦してきて、まぁ大変。

 生まれた頃から不景気で、受験の頃はやたらに倍率が高く、
 高校時代に目の前に見たバブルが明日は我が手にあると思っていたら、
 大学出る頃には、とっくにはじけていやがった、ってなわけで。
 こうなってくると、「昭和49年生まれって、『死ぬまで苦し』んだりして〜」なんて
 笑っていた子供時代を思い出して、苦笑いするしかあるまい。

 で、今日。
 図らずも、私はバブルの世界に身を置くこととなった。
 そこらのキャバクラ嬢か、と言わんばかりの女のコがざっと20人ほど。
 髪は茶色く、爪は赤く、顔は青白く、下世話な話に花が咲く。
 仕事はたまに、気の向くままに。
 それで決して安くない固定給が転がり込んでくるのだから、いい仕事なのだろう。

 コスト削減、人員削減に悩む、特に中小企業の人が見たら、
 吐き気どころか、その場で卒倒するか、どなりつけるかしてしまうような光景。
 あのお姉ちゃん達減らすだけで、携帯電話の料金、2割は下がるぞ。
 それでも、山と積まれた契約書に囲まれ、彼女たちはのほほんと時を過ごし、
 会社は彼女たちに金を払い、ノルマもコストも効率もお構いなしにただただ、
 循環ポンプのように金は回る、というわけだ。

 節目節目で不景気だの、なんだのと、貧乏くじを引いてきた私(の世代?)には、
 そのシステムをすんなり受け入れることが出来ない。
 金が流れることだけが、すべての人・モノの存在意義になってしまう世界は、
 私にはどうも向いていないようで。
 貨幣は人の営みの中にこそあるものであって、金の流れの中でしか人がその存在を
 見いだせないというのは、まったく本末転倒だ、と思うわけです。



 5月6日 ちょっと少し

 若干、参っている。
 明日から2ヶ月ばかり働くことにしたのだが、どうも不安で、息が詰まる。
 何を言ってやがる、お前のようなヤツが、と言う人が多いから、
 私は、ここでだけ、少し弱音を吐く。

 仕事が出来ない人間ではないと思う。
 むしろ、まぁ、結構要領よく、というか、神経質に合理的、という人間。
 私のやり方が嫌い、という人も、たくさんいるのだろうが、
 それでも、結構それなりに、やってきたと思っている。

 しかし、よく考えると、私はフツーの会社にお勤めしたことがない。
 バイトで事務の仕事をいくつかやってきたけれど、それはどれもマスコミで、
 通勤の姿と言えば、すっぴんでジーンズ。時々、激しく二日酔い。
 その上、エクセルはおろか、ワードもなかったよー、この3年間!
 そら、「IT革命って何ですか」って読者に聞かれても答えられんっちゅーねん。

 そんな私が、短期間とはいえ、フツーの会社に勤めるというのだから、
 なんというか、何をどうしていいのやら、さっぱりわからないわけで。
 何を着ていけばいいのか、どう振る舞えばいいのか、どう働けばいいのか。
 まぁ、そんなこと、行って2、3日もすれば、自然と解ることなのだけれど、
 それでも、少なくとも、小学校の入学式よりは、ずっとずっと不安だ。
 今はただ、ココが1年前のような、神経衰弱日記に戻らないことを祈るのみ。
 はふぅ。今日は早く眠ろう。



 5月4日 能登半島一周日帰りの旅

 …は、後日書きます。



 5月3日 事実は小説より…

 いやいや、長年生きてると、面白いことがあるもんだ。
 ディズニーランド見たかった、って、ホントですかね。
 何度目の来日か知りませんが、これまで、どこを観光したんでしょう。
 いや、観光じゃなくて、なんか企んでいるんだ、と専門家は言いますが(←当たり前)
 でも、マジ、観光だったら面白い、ってか、そうであってくれと思ってるワタシ。
 で、久しぶりに、コレを見て大爆笑。
 一応、マンガだとは信じているのですがね。




 5月2日 ふらふらと

 膀胱炎だ、と思う。たぶん。
 頻尿、排尿痛、残尿感…。ああ、絶対ビンゴだ。そうに決まってる。
 おそらく、大阪・神戸での不摂生が祟ったのだ。
 原因である「不潔な性交」はしていないので、「疲労」「風邪気味」「寒冷」あたりが原因だ。
 なにせ、連日日付が変わっても延々飲み続けたのだから。

 というのに、今日もまた飲みに出掛けている。
 幼なじみ、というか、腐れ縁、というか、とにかく古くからの友人が帰ってきたので。
 私達は、変わらないようで、変わったようで、それでいて、変わらないから一緒にいる。
 変わらなきゃ、と思うこともあるけれど、「変わったね」は褒め言葉でないことも多い。

 ある店である人に会った。
 二度と顔を見たくない、と思っているのに、どういうわけか、年に1、2度会ってしまう。
 相変わらずニヤニヤしていた。人を小馬鹿にするのも相変わらず。気味が悪い。
 あれから何年も経ったというのに、あの人は本当に変わらない。
 どうして、こんなに変わらずにいられるのだろう、と不思議になるくらい、その人は変わらない。
 この場合、「変わらない」という言葉には、軽蔑の意味しかない。

 ある役者にも会った。
 また舞台をするのだと言っていた。
 今年になって、もう何度目の舞台だろう。忙しそうだ。
 「面白いんですか?次のヤツ」と聞くと、「あんた失礼な人やね」と言う。
 けれど、人から金を取って、面白くないモノを見せる方が失礼じゃないかね。
 私は、消費者として、損したくないから、中身の事を知りたいと思ったのだ。
 所詮、私にとっては、気晴らしに見る芸術はある意味、消耗品。
 せめて、演じる本人が「面白いですよ、次のは」と胸を張れなきゃ、買う気がしない。
 昨日より今日、今日より明日、面白いモノを見せて下さいな、役者殿。

 それで、結局、変わった方がいいのか、変わらない方がいいのかは、わからないのだが。