浪除け八幡と祇園舟流し(富岡八幡宮)


<浪除け八幡>
 富岡八幡宮は建久2年(1191)、源頼朝が富岡の鎮守として兵庫の西宮神社
の蛭子尊勧請したものです。
 神社に伝わる古い縁起によると、安貞元年(1227)のころ、富岡村の一軒の
あばら屋に白髪の老爺が住んでいました。ある日門口にどこからか一人
の旅の僧が現れて、食物を乞いましたが老爺は貧乏で、ごちそうがなく、ち
ょうど麦で造った酒があったのでそれを差し出したところ、旅の僧は手に
していた茅の葉ですくい、うまそうに飲み老爺に向かって「吾は八幡の神
である。今日からは吾を祀るべし。吾を信ずるものには必ず厄を除け、幸福
をを与えるであろう」と言うなり姿を消しました。村人たちはお告げ通り
に八幡様を祀り、社名も八幡宮と改め篤い信仰を続けています。 
 応長元年(1311)長浜が大津波に襲われ、一夜にして海中へ呑み込まれま
した。津波は近くの富岡も襲いましたが、八幡宮の山に守られて何の被害
もありませんでした。(現在、この山の社叢林にあるスダジイの林の群集は
横浜市指定天然記念物となっています。)
 村人たちは、八幡様のご加護に感謝し「浪除け八幡」と呼んで、ますます崇
敬の念を篤くしました。

 のちに徳川家康が江戸城に入り海岸を埋め立て、江戸の町づくりを始め
たとき、何回も高波がおしよせて、埋め立て工事が難行したことがありま
す。そのとき、この富岡の「浪除け八幡」の御分霊を当時の埋立地にお祀り
したところ、その霊験によって高波を防ぎ、埋め立てに成功しました。これ
が現在の深川八幡宮のはじまりといはれます。
                   
富岡八幡宮 社殿
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ー祇園舟流しー
 毎年7月15日前後の日曜日は富岡八幡宮の夏祭りで、古くからの伝統を
もつ「祇園舟流し」が行われます。          
 「祇園舟流し」は茅を束ねて作った長さ70センチ、幅50センチほどの祇園
舟を沖合いまで運び、一年間の罪や穢れを流すもので「夏越えの祓」神事
です。
 蛭子尊とはエビス様のことで漁業、海運の神さま。イザナギ、イザナミの
間に出来た子ですが、蛭のように未熟で足が立たないので葦の船にのせ
て流したという神話があります。「祇園舟流し」は厄流しの神事とエビス
様に豊漁を祈る行事とが一緒になったものといはれ、平成2年横浜市指
定無形民俗文化財の第一号指定を受け、横浜を代表する夏の行事となっ
ています。

ー祇園舟流しー(富岡船だまり) 祇園舟は奉仕船に乗せられて沖合へ運ばれ流されます。

祇園舟
青茅で作った長さ70センチ、 幅50センチほどの楕円形の船 にお供えとして折敷きに小麦 の粒を敷き、その上に大麦の 粉で作っただんごを置き、麦 麹で醸した甘酒をかけたもの を乗せ、船縁には一年分十二 本の御幣を並べ立てて、沖合 い遠く流されます。