三艘に着いた金沢猫(六浦町・三艘)


<三艘の地名由来>
 六浦町に「三艘」という地名がありますが、そこは鎌倉時代の六浦港の主
要な停泊地で、外国の大型船が着岸できるほどの船着場がありました。
 文永6年(1269)6月、三艘の唐船(中国の船)がここに来泊して、現在称名寺
にある一切経、青磁の花瓶、香炉などを持ってきたので、その着岸したとこ
ろに三艘の地名がついたとも、一説にはその後、北条顕時、貞顕のころまで
に唐船が三度来着したので三艘の地名がついたとも伝えられています。
                   
三艘に着いた唐船(江戸名所図会・三艘が浦)
六浦の南向かう、三艘村にあり、永禄9年の春、唐船三艘この浦に着 岸せり、故に名付くとぞ。「鎌倉志」に云く、その時船に載せ来りし切 経、及び青磁の香炉・花瓶等は、皆称名寺に伝えてありという。 次 へ かねさはの民話と伝説へ トップページへ

<金沢猫>
 三艘の唐船には中国からの長い航海の間、積荷や食糧をネズミの害から
守るために猫(唐猫)が乗せられていました。
 唐猫は長い船旅から解放されて上陸すると、金沢の地に住み着いて繁殖
し、その子孫は「金沢猫」と呼ばれ、この辺りに居た猫と違い、尻尾の短い
三毛猫でした。背中を撫でると普通の猫とは反対に背中を持ち上げるの
で、それがまた可愛いいと珍しがられ、その愛らしさは全国で評判になり、
「カナ、カナ」と呼ばれ、どこへ行っても可愛がられました。
 「唐猫」が死んだのち埋められた所と伝えられる「猫畑」の地名が川地区
に残っています。
 また川地区にあった千光寺(昭和58年に東朝比奈町に移転)には「唐猫」
の供養のための「ねこ塚」が造られ、今も茂みの中にひっそりと建ってい
ます。
ねこ塚(千光寺境内)