榎地蔵と水戸黄門 (平潟町)
洲崎町から若草病院の前を通って海岸に出る道に、町屋町から 野島橋に通ずる浦賀道とが、平潟町の真ん中で十字路になって います。そこの信号の下に榎の古木があり、傍らの地蔵堂に六体 のお地蔵さまが祀られています。これを土地の人たちは「榎地蔵」 と呼んで、人々のあらゆる願いを叶え危難をお救い下さる地蔵、 として篤い信仰を集め、いつもお花やお線香が絶えません。 |
榎地蔵に伝わる伝説 この榎地蔵にはこんな話が伝わっています。 昔水戸黄門が諸国漫遊の途中、金沢の原=このあたりを古くは原 (はら)と呼んでいました=を通りかかりました。この地蔵尊の前 に来た時、従者(助さん、格さん)が “このお地蔵さまは霊験あらたかで人々の危難を救い、願い 事は何でもかなえてくれるお地蔵さまです” と説明しました。 これを聞いた黄門様は “そんなにご利益のある地蔵さまがいるはずはありません。 村人たちを迷信で惑わせるようなことをしてはなりませ んぞ!” とたしなめ、地蔵尊像を乙舳の海の中に投げ捨てさせてしまいま した。 ところが漫遊の旅を終えて水戸へ帰ってみると、金沢の原で捨て たはずの地蔵さまが水戸近くの浜辺に打上げられて、黄門様の帰 りを待っていたというのです。 黄門様もこれには驚いて再び、地蔵さまを金沢に運ばせ、もとの ところへ丁重にお祀りしたといいます。 水戸黄門(光圀公)の諸国漫遊はフィクションとされていますが、 延宝2年(1674)の夏、家臣を従えて鎌倉、金沢の名所旧跡を訪ねた 史実があり、江戸時代以来、多くの観光客が金沢八景見物などにや ってきたことなどからこの伝承が生まれたものと考えられていま す。 |