榎地蔵と水戸黄門 (平潟町)


 洲崎町から若草病院の前を通って海岸に出る道に、町屋町から
野島橋に通ずる浦賀道とが、平潟町の真ん中で十字路になって
います。そこの信号の下に榎の古木があり、傍らの地蔵堂に六体
のお地蔵さまが祀られています。これを土地の人たちは「榎地蔵」
と呼んで、人々のあらゆる願いを叶え危難をお救い下さる地蔵、
として篤い信仰を集め、いつもお花やお線香が絶えません。

 
地蔵信仰
地蔵菩薩は釈尊入滅後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの仏の いない時代に六道にさまよって苦しむ人々を救う菩薩でしたが、 日本では、中世後期から近世にかけ、さまざまな民間信仰と習合 し、本来の経説(お経に書かれたおしえ)の枠を超えた独特の信 仰を形成します。 地蔵菩薩は信者の身代わりになってくれる身代わり地蔵への信 仰へと発展し、江戸時代には更に現世利益的になり延命地蔵 (長寿)、子安地蔵(育児)、田植地蔵(農作業)など民衆によっ て多くの地蔵が作られました。 また地蔵菩薩が六道を巡って人々を救うことから六地蔵信仰 も生まれ、子供の守護神ともされ、死んだ子供の救いを親は赤い よだれかけを掛けて地蔵に祈ります。 ♪石の地蔵さんのよ 村はずれ と歌われた地蔵尊はあらゆる場所に現れて人々を救うと伝えられ、 また道祖神とも習合したことから村境などに多くの石仏として祀 られました。
榎地蔵(平潟町)

 榎地蔵に伝わる伝説
 この榎地蔵にはこんな話が伝わっています。
 昔水戸黄門が諸国漫遊の途中、金沢の原=このあたりを古くは原
(はら)と呼んでいました=を通りかかりました。この地蔵尊の前
に来た時、従者(助さん、格さん)が

“このお地蔵さまは霊験あらたかで人々の危難を救い、願い

  事は何でもかなえてくれるお地蔵さまです”

 と説明しました。

これを聞いた黄門様は

“そんなにご利益のある地蔵さまがいるはずはありません。
  村人たちを迷信で惑わせるようなことをしてはなりませ
  んぞ!”

 とたしなめ、地蔵尊像を乙舳の海の中に投げ捨てさせてしまいま
した。
 ところが漫遊の旅を終えて水戸へ帰ってみると、金沢の原で捨て
たはずの地蔵さまが水戸近くの浜辺に打上げられて、黄門様の帰
りを待っていたというのです。
 黄門様もこれには驚いて再び、地蔵さまを金沢に運ばせ、もとの
ところへ丁重にお祀りしたといいます。
 水戸黄門(光圀公)の諸国漫遊はフィクションとされていますが、
延宝2年(1674)の夏、家臣を従えて鎌倉、金沢の名所旧跡を訪ねた
史実があり、江戸時代以来、多くの観光客が金沢八景見物などにや
ってきたことなどからこの伝承が生まれたものと考えられていま
す。 
地蔵堂の中には縁起、ご利益などが記されている
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