平安時代の文化


 平安時代の初期は漢詩文が流行しますが9世紀末に遣唐使が廃止される頃になると唐風文化の影響からぬけだして日本人の気持ちや風土にあった新しい姿を見せるようになります。

漢詩文
 
平安時代の初め、貴族たちは一族の出世を願って子弟のために学寮を建てて学問をさせ中国風の文化を身につけることに熱中しますが、朝廷でも漢詩を作る会が開かれ「凌雲集」などの漢詩集ができました。

国文学の発達
 かな文字の発明によりかな文字を使った和歌が詠まれ在原業平らの六歌仙が出て盛んになり「古今和歌集」が紀貫之などによって編纂されました。
 かな文字を使った物語もつぎつぎと作られ「竹取物語」や「枕草子」「源氏物語」などがあらわれます。


新仏教の興隆
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平安時代の仏教
 
奈良時代の末には道鏡や玄ムによって仏教が政治に進出、仏教本来の姿を失ったのを見て桓武天皇が仏教の改革を考えていた時、最澄と空海があらわれ、仏教の新しい道を求め桓武天皇の援助で唐に渡り帰国後天台、真言の両宗を開きその後の日本の仏教に大きな影響を与えました。
 平安時代の後半には政治が乱れ人々は不安におちいっていた時、空也上人があらわれ極楽浄土の教えを説きました。続いて源信が出て浄土の教えはひろまりますが11世紀になって末法思想がひろがると人々は今まで以上に極楽浄土を求めるようになります。


大和絵の発達と三蹟
 
従来の中国風の唐絵にたいして穏やかな日本ふうの大和絵があらわれ、「源氏物語絵巻」や「信貴山絵巻」「鳥獣戯画」などのすぐれた絵巻物や屏風絵がつくられました。
 また平安時代の中頃には小野道風・藤原佐理・藤原行成の三蹟と呼ばれる書道の名人がでてやわらかい日本風の字が見られるようになります。

古今和歌集(高野切・五島美術館蔵)




鳥獣戯画(高山寺蔵・鳥羽僧正の作とも伝えられる)

かねさはの歴史(平安時代へ)

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