ジュニア版 神社仏閣ミニ辞典           P15
                   ー入門篇・仏教の部ー                 
                                              参考文献:仏教入門(藤井正治)・目で見る仏像(東京美術)
                                                          仏像の見方(石井亜矢子)     ほか

・・・仏像についてZ(その他の像)・・・

   
 仏像は「仏の像」ですが、そのほかに仏像として扱われているものに垂迹神、羅漢、高僧などの像があります。
 垂迹神は平安時代に生まれた仏や菩薩が日本の神々の姿を借りて人々を救うために現れるという、本地垂迹思想によってできたものです。
 羅漢は正しくは阿羅漢といい、釈尊の弟子のうちで最高の境地に達した人ですが、菩薩ではなく人間として扱われています。
 仏教の各宗派を開いた祖師や仏教の普及や隆盛に力を尽くした人物も彫像として表わされ高僧などの像として信仰されるようにになりました。


垂 迹 神

[僧形八幡]
 
頭を剃り袈裟をつけ僧の形で表わされた八幡神(応仁天皇を神としたもの)のことで坐って錫杖を持つのが普通です。(図像はこちら

[雨宝童子]
 
神仏習合尊の一つで神道では天照大神が地上に降り立った時の姿とし、天照大神の本地仏である大日如来の化身とも言われています。

[蔵王権現]
 
山岳信仰と密教が結びつき、平安初期に生まれたとされています。
 一面二臂の怒りの相で右膝を高く上げて三鈷杵などを持った右手を振り上げ、左手を腰にあてています。

[新羅明神]
 
滋賀県・園城寺(三井寺)の守護神となっている特殊な垂迹神で園城寺には彫像と画像が伝わっています。


蔵王権現立像(鳥取、三仏寺・重文)


羅   漢
 
 小乗仏教では羅漢は釈尊の弟子の最高の地位でしたが大乗仏教がおこると自己の悟りのみを目指す羅漢は他人の救済をも目指す菩薩の下におかれました。
 しかし釈迦信仰が実際の釈尊への信仰となるにつれ羅漢信仰も盛んになり16人ないし18人あるいは500人の羅漢をまとめて敬う十六羅漢や五百羅漢信仰が行われるようになりました。

 羅漢は日本では奈良時代頃から絵画・彫刻に表わされていますが、十六羅漢や五百羅漢などの羅漢図は鎌倉時代以降作成され、現存する例も少なくありません。

 羅漢は剃髪し袈裟を着けた僧の形に表わされていますが各羅漢の形は一定のきまりはなくかなり自由に造られています。


五百羅漢像(川越市、喜多院)


高 僧 な ど

[無着・世親]
 
北インドのガンダーラ地方の生まれで5世紀頃活躍した兄弟の学僧で,無着が兄で世親が弟といわれています。興福寺北円堂には運慶一門の手になる像があります。

[聖徳太子]
 
聖徳太子は日本ではじめて仏教を理解し、受け入れた人物といわれますが、没後すぐ太子信仰がおこり、早くから神格化され、さまざまな彫像が造られました。
[鑑 真]
 日本へは渡航に5度失敗し、失明しながら6度目の渡航で754年に来日し、東大寺に戒壇(戒を授ける壇)を設け、唐招提寺を開きました。日本の律宗の祖師としても知られています。(像

[役小角]
 
役行者(えんのぎょうじゃ)ともいはれ奈良時代の山岳修行者ですが、のちの修験道の祖とされ、その像は鎌倉時代以降に造られるようになります。

[祖 師]
 
仏教各派を開いた高僧のことで日本では最澄、空海、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮などが有名ですが詳しくは「日本の仏教」をご覧ください。(日本の仏教はこちら


役小角坐像(橿原市、観音寺)

前のページへ

次のページへ

トップページへ