ジュニア版 神社仏閣ミニ辞典           P12
                   ー入門篇・仏教の部ー                 
                                              参考文献:仏教入門(藤井正治)・目で見る仏像(東京美術)
                                                          仏像の見方(石井亜矢子)     ほか

・・・仏像についてW(菩薩形)・・・



菩薩形の特徴          
 
 菩薩は一般的には柔和な顔で、上半身は裸で天衣(てんね、帯状の長い布)をつけ、下半身にはスカートのような長い裳(布)を着けています。
 
 髪は3分の2くらいの髪を上に束ね(宝髻)残りを下に垂らし肩にかかっています(垂髪)。

 頭には宝冠をかぶり、体にはきらびやかな装身具をつけ、手には大抵持物を持っています。

 変化観音を除けばみな如来とおなじ一面二臂で台座は普賢(象)と文殊(獅子)以外はすべて蓮華座です。



 


菩薩のかたち



観 音 菩 薩

 観音菩薩は各時代をつうじて最も広く信仰された仏で正しくは”観世音菩薩”といい、また”観自在菩薩”とも呼ばれます。観音という呼び名は法華経の中に「人々が一心にその名をとなえると、直ちにその音声を聞いて救う」とあることに由来しています。

 [聖観音菩薩]

 聖観音菩薩という名称は、密教が成立して変化観音といわれる十一面観音や千手観音が生まれてから、それらと区別するためにそれ以前の根本の観音を聖観音と呼んだもので正観音とも書き単に観音という場合は聖観音のことをいいます。

 日本では飛鳥時代から造られ、単独で祀られるほか、勢至菩薩像とともに阿弥陀如来の脇侍となることも多いようです。
 
 宝冠に化仏(標識や装飾のためにつける小型の如来像)をつけ、手には水瓶や蓮華を持つのが一般的です。


聖観音菩薩像(法隆寺)
 
 [変化観音菩薩]


 ・十一面観音
 変化観音菩薩
の中でもっとも早くインドで造られました。頭上に11の顔を持ちますが、十方を見つめて、すべての人々に救いの手を差し伸べると言う意味で観音の働きが多面的であることを表わしています。
 11面は前3面が菩薩面で慈悲にあふれた表情、左三面が瞋怒面で善行に向かわせる為の怒った顔、右三面が牙上面で白い歯を出して微笑んでいる顔、後頭部の大笑面は悪行の者にさげすみの大きな笑いの表情です。

 ・千手観音
 千手千眼自在菩薩が正式の名前で、千の手にそれぞれ目をつけています。千とは無限の意味で、無限の慈悲ですべての人々と生き物を救うことを表わし、大悲観音とも呼ばれています。
 実際に千の手を造った彫像例もありますが、それらは古い時代に限られ、だいたいは42本の省略され各手に持物をとっています。

 立像も坐像もあり。いずれも十一面観音像のように十一の頭や顔を頂きますが京都法性寺像は27面をもちます。

・その他の変化観音
 このほか変化観音菩薩には不空羂索観音、
馬頭観音、准胝観音、如意輪観音などがあります。


十一面観音頭上配置図


十一面観音像(滋賀・向源寺)




弥 勒 菩 薩
 
 弥勒菩薩は兜卒天(釈尊がこの世に生まれる直前にいたとされる場所)で修行中ですが釈尊入滅してから56億7千万年後に現れて人々を救うとされる菩薩です。

 釈尊の次代の仏(未来仏)という意味で如来形で表わされる場合もありますが兜卒天で瞑想にふける半跏思惟の姿がよく知られています。
 印相は右手は施無畏印ですが左手は掌を下にして膝を軽くおさえているような格好が特徴です。

 仏教がすたれ、悟りを得る人もなく社会が混乱するという末法の時代に入ったとされた平安時代の11世紀始めには、未来仏である弥勒菩薩の信仰が盛んになりました。


 半跏思惟(はんかしゅい)

 半跏とは右足は左足の上に平にのせて左足をおろした姿。
 思惟とは頭をやや前かがみにして右手で頬杖をつくようなものを考えている姿。

弥勒菩薩半跏像(京都広隆寺・国宝)


文 殊 菩 薩
 
 文殊は釈尊の没後インドで生まれた実在の人物と伝えられています。
 「三人よれば文殊の智慧」の諺のように、文殊菩薩は智慧を司り、学業成就に霊験がある菩薩として信仰を集めています。

 単独でも祀られますが、釈迦如来像の左脇侍を普賢菩薩とともに務めます。
 智慧の象徴である剣を持ち、獅子に乗る像がよく知られています。
 そのほかにも維摩居士と問答する場面を表わしたり、子供の姿の稚児文殊像、雲に乗って文殊菩薩の聖地とされる中国・五台山に向かう渡海文殊像などさまざまな形式があります。

 密教の文殊像の髻(もとどり、髪を頂に束ねた所)の数は1髻をはじめ5髻、6髻、8髻といった変種がありそれぞれ一字、五字、六字、八字文殊とよばれています。


文殊菩薩像(奈良・文殊院)



普 賢 菩 薩
 
 普賢とは「普遍の教え」という意味で時を選ばずあらゆる場所に現れて、人々を教え導き、救ってくれる菩薩です。普賢菩薩の十の願いはすべての菩薩の行願(修行の誓い)を代表し、「智慧の文殊」に対し「行の普賢」といわれています。

 日本では平安時代後期の浄土信仰の隆盛に伴ってさかんに造られるようになり、女人往生を説くことから特に女性の信仰を集めました。

 普賢菩薩像は単独でも祀られることも多く「法華経」に六牙の白象に乗って現れると説かれることから白象の上に合掌して坐っている姿が多く見られます。


 女人往生

 古代インドでは女性は梵天王、帝釈天、魔王、転輪王、仏の5種のものにはなれない障害があるとされました(女人五障説)。
 大乗仏教ではすべての者が仏になれるとの立場をとり、女性でも男性に身を変えて往生(成仏)できるとしました(変成男子)。
 「無量寿経」には女性も念仏を信じれば極楽に往生して男性に身を変えるとし「法華経」には龍王の娘が男性に身を変え南方世界で成仏たと説いています(龍女成仏)

普賢菩薩騎象像(大倉文化財団・国宝)



虚 空 蔵 菩 薩
(こくうぞうぼさつ)
 
 宇宙のように広大な智慧と慈悲で人々のさまざまな願いを叶えてくれるという菩薩です。

 日本には奈良時代の8世紀に伝えられ、虚空蔵菩薩を念じて記憶力を得るという「求聞持法」の本尊として信仰を集めました。

 像の形は五仏のついた宝冠をつけ、右手に剣、左手に宝珠を持つのが一般的です。宝珠は願望成就の徳がある珠で虚空蔵菩薩の力を示しています。

 虚空蔵の智慧は技能や芸術に及ぶとして職人や芸術家の守り本尊ともなっています。

 虚空蔵菩薩を密教の金剛界五仏の変化した姿として、また虚空蔵の智慧が5つに開いたという意味で5体をセットで祀る五大虚空蔵菩薩があります。


虚空蔵菩薩半跏像(奈良・額安寺、重文)



地 蔵 菩 薩
 
 釈尊が入滅し、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの仏のいない時代に、地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻(さまようこと)して苦しむ人々を救うという菩薩です。

 髪がない剃髪、袈裟を身に着ける僧形で立像、坐像のほか半跏像もあります。左手に宝珠を持つ像と、左手に宝珠、右手に錫杖をとる例が多く、まったく持物を持たない場合もあります。高僧像と似ていますが老人に造られることが少ないのが地蔵菩薩像の特徴です。


 日本人の地蔵信仰
 
 平安時代後期には阿弥陀浄土の信仰が高まり、民衆の間では死後の地獄の恐怖が切実で、地獄まで来てくれて人々の苦しみを代わりに受けてくれる地蔵の信仰が発達しました。
 鎌倉時代に入ると地蔵菩薩が浄土に住まずに積極的に人々の間に来てくれて、苦しみを引き受けてくれるところから信者の身代わりになってくれる身代わり地蔵の信仰へと発展し、実は地蔵である僧が病をなおすとか、信者に代わって田植えをしてくれる泥付地蔵の話とか、現世利益的な面でも民衆に信奉されるようになり
六地蔵も生まれました。

地蔵菩薩(奈良・東大寺)

その他の菩薩
 
 [如来に隋侍する菩薩]

 
勢至菩薩・・・単独で祀られることは殆どなく観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍として登場します。
 その形は殆ど観音菩薩と同じですが宝冠の正面に観音菩薩が化仏を付けるのに対して水瓶を付けているのが特徴です。

 ・日光菩薩・月光菩薩・・薬師如来の脇侍として祀られ単独で造られることはありません。
 日光菩薩は如来の左、月光菩薩は右に位置します。「薬師経疏
」によるとかって二人の子供を養育していた梵士(バラモン族出身の僧)が、重病の人々を救うという誓いをたて、 仏に医王の号を与えられました。この梵士が薬師如来であり、二人の子供は日照、月照といい、後の日光、月光菩薩であるといいます。 

 ・薬王菩薩、薬王菩薩・・・釈迦如来の脇侍として祀られることが多く、薬王菩薩は密教では、もっぱら治病を目的とする薬王菩薩法の本尊とされ薬上菩薩は薬王菩薩の兄弟とされています。

 ・
二十五菩薩・・・阿弥陀如来の来迎に随侍する25人の菩薩で阿弥陀来迎図や浄土系の本尊に随侍する彫像して造られることがあります。

[特殊な菩薩の信仰]

 ・馬鳴菩薩・・・中国の民間信仰に由来する菩薩で困っている人々に衣服を与え、また養蚕機織の菩薩として祀られます。                         
 ・般若菩薩・・・智慧または仏の教えを一般的にあらわす菩薩で「大般若経」などの本尊とされています。


左・月光菩薩像    右・日光菩薩像
薬師三尊像(京都市・醍醐寺)

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