ジュニア版 神社仏閣ミニ辞典           P 7 

   ー入門篇・仏教の部ー 
                                                  参考文献:仏教入門(藤井正治)・仏教(渡辺照宏)
                                                   日本仏教史(吉川弘文館)・仏教語大辞典(東京書籍)

・・・日本の仏教U(鎌倉時代)・・・



あゆみ



鎌倉時代
(1192〜1131)




(浄土系)

















































































(禅 宗)

















































(日蓮宗)


 鎌倉幕府の成立により武士の時代という新しい政治体制が出来ましたが、仏教の世界でも末法思想(*1)による末世観もあずかって、従来の国家や貴族だけのものから、広く武士や庶民のものとして発展し、鎌倉時代の新仏教と言われます。

 ●浄土宗
  
浄土宗は1175年法然(円光大師
*2)によって開かれました。当時の社会は戦乱が相次ぎ、仏教の世界も南都北嶺(奈良の興福寺と比叡山延暦寺)の僧兵の横暴など末法の様相をあらわしていました。
 法然はこんな時期に人々を救えるのは従来の「自力聖道」 の教えではなく仏・菩薩の誓願(人々を救おうとする願

  自力聖道と他力浄土
 
自己の智慧、能力などを自力といい、それ以外の仏・菩薩の慈悲(人を救おうとする心)などを他力といいます。
 自分だけで悟りを開こうとする教えを自力門といい仏・菩薩の力を頼んで悟りを開こうとする教えを他力門といいます。
 浄土教では自力門を聖道門、他力門を浄土門といい、聖道門は難行道、浄土門は易行道とされています。

い)であり、すべてのものを等しく救おうとする仏の心を信じて、難しい教義を知ることも、苦しい修行も造寺、造塔、造仏も必要なく、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えることによって救われることを説きました。

 浄土宗の総本山は智恩院ですがその分派である西山派は西山浄土派(光明寺)・西山深草派(誓願寺)・西山禅林寺派(禅林寺)に分かれています。また浄土宗のお寺として平等院(宇治)、高徳院(鎌倉・大仏で知られています)、善光寺(長野・天台宗と共管)などが有名です。

 法然の後継者としては弁長、証空、親鸞、重源などがいます。

 ●浄土真宗(真宗または一向宗)
  浄土真宗は1224年親鸞(見真大師
*3)によって開かれました。
 
 親鸞の教えの特徴は次の5つに要約されます。

  @「本願他力」・・・阿弥陀仏の本願(人々を救おうとす
   る心)によらなければ極楽往生できない。

  A「信心正因」・・・阿弥陀仏の本願を信じることが浄土
   に往生する正しい原因である。

  B「悪人正機」・・・己の罪にめざめ心から阿弥陀仏の
   本願力を信じる悪人こそが救われる。

  C「現世不退」・・・信心が堅く不動のものになれば、死
   後を待たなくてもその時点で正定聚
(*4)の地位を得
   ることができる。

  D「迷信排除」・・・人は迷信や呪述祈祷によって救われ
   るものではなく真実真理に生きることが大切である。

  現在浄土真宗には本願寺派(西本願寺)、大谷派(東
   本願寺)、仏光派(仏光寺・京都)など十派がありま
   す。
  親鸞の後継者には蓮如、顕如、唯円などがいます。

 ●時 宗

 時宗は1274年一遍(円照大師*5)によって開かれまし
た。
 一遍の教えの特徴は次のようなものです。

  @「神勅相承」
・・・熊野権現のお告げによって立宗した
    こと。

  A「捨家棄欲」
・・・すべてを捨てて念仏に専念すること
   を強調しました。このため一遍は”捨聖”とよばれてい
   ます。

  B「一遍の念仏」
・・・人々にまず一声の念仏を唱えさせ
   その一声が遍く一切の人々を包みこみ、阿弥陀仏と
   という永遠の命をもった仏と一体になり、自然にとら
   われの心が捨てられると教えています。

  C「遊行賦算」
・・・遊行とは諸国を遍歴修行することで
   賦算とは札(ふだ)を配ることですが、一遍は全国各
   地を「南無阿弥陀仏」と書いた小さな紙片(念仏札)を
   同行者の印として配りながら行脚し、20年近い布教
   活動のなかで、これを与えた人の数は25万人以上と
   言われています。

 時宗の総本山は清浄光寺(藤沢市)で後継者に聖海、呑海、一海などがいます。



禅  宗

 日本の禅宗には臨済、曹洞、黄檗の三派があり、瞑想による精紳統一による悟りの方法を教えていますが、その特徴は三つに要約されます。

 @「叢林主義」・・・出家主義のことで禅院に入り生涯離れないことですが、最近では在家禅が提唱されています。

 A「不立文字・教外別伝」
・・・不立文字とは経論(経典やその解説書)などにとらわれ肝心の仏法そのものの習得をおろそかにしてはいけないことを極端に表現したもので、教外別伝とは”悟り”は経論とは全く別に心から心へと伝えられるものであるという意味です。

 B「超論理主義」
・・・非論理的な感覚的なものの捉えかたをいいます。禅問答といわれるようなわかりにくい問答や喝(大声でどなりつける)、警策(棒)で打つなど独特の宗風があります。


 ●臨済宗

 臨済宗は1191年栄西(千光大師*6)が開きました。
 栄西は宋から帰国後、旧仏教の反発を考えてまず博多に日本最初の禅寺として聖福寺
を建て、京都進出の機会を窺っていたところ、幸い鎌倉幕府の信任を受け、鎌倉に寿福寺を開きその後まもなく京都に建仁寺を建て”臨済将軍曹洞土民”と言われるほど特に武士階級の信仰を得ました。
 臨済宗は座禅をくみながら、師から与えられる「公案」という問題を一つ一つ解決しながら、悟りに達することを主眼としています。

 臨済宗は現在14派に分かれており、各派はそれぞれ開祖をいだき本山の号を派名に用いています。たとえば建仁寺派の本山は京都の建仁寺で開祖は明庵栄西、建長寺派の本山は鎌倉の建長寺で開山は蘭渓道隆です。(詳細はこちら
 このほか臨済宗のお寺としては金閣寺・銀閣寺・竜安寺・東慶寺(縁切寺)・瑞厳寺(松島)などが有名です。
 また
一休さんや沢庵和尚も臨済宗のお坊さんです。

 ●曹洞宗

 
曹洞宗は1227年道元(承陽大師*7)によって開かれました。

 道元は14歳の時出家して比叡山に入山、修行を続けますが、教えにあきたらず1223年宋に渡り、4年間の留学を終え、28歳の時帰国し当初は京都の興聖寺を根拠に教えをひろめ、のち越前(福井県)にうつり永平寺を建てました。

 道元の教えの特徴は次のとおりです。
  @「只管打座」(しかんだざ)・・・只ひたすら座禅に打ち込
   むことで、焼香、礼拝、念仏などは不要のものとしてい
  ます。
  A
「修証一如」・・・修行と証(さとり)は同じことであるとし
   て修行すなわち座禅に打ち込むことが悟りの証(あか
   し)であると説きました。

 本山は永平寺と総持寺(横浜市)ですがほかに泉岳寺(赤穂浪士)・修禅寺(伊豆)・高岩寺(とげぬき地蔵)が有名です。
 また道元の後継者には孤雲懐弉、瑩山紹瑾、卍山道白、良寛上人などがいます。


日蓮宗

 
日蓮宗は1253年日蓮」(立正大師*8)により開かれました。日蓮は16歳で出家、各地で修行ののち32歳の時開宗を宣言、他宗の攻撃や法華経を信じなければ国難がくると主張したため、幕府により伊豆や佐渡に流され、赦免後鎌倉に帰りやがて身延の山深く隠退しました。

 日蓮の教えの特徴は次の三つに集約されます。

  @「五綱(ごこう)」とよばれる五つの基準から見て迷える
   人々を救えるのは「妙法蓮華経」しかないとしているこ
   と。
     五綱とは  教=経典の教え
            機=教えを受ける人の素質
            時=時代の要求
            国=教えの行われる国土
            序=教えの広まる順序   のことです。           

 A「三大秘法」(*9)とよばれる三つの実践方法で、本尊
  に向かってお題目を唱え、自分だけでなく他の多くの人
  々にも勧めることによって私どもの苦しみや悩みが解消
  するだけでなく、そこに理想の社会が実現することを説
  いています。
 

  B「摂受折伏(しょうじょうしゃくふく)」・・・布教方法の一
  つで「摂受」とはまだ仏法を知らない人には優しく説得す
  ることで、「折伏」とは既に何かの宗旨をもっている人に
  対しては徹底して翻意を促すことですが、日蓮宗の場合
  は「摂受」よりも「折伏」に著しく重点があったことです。

 日蓮宗の総本山は身延山久遠寺ですが現在三十数派の分かれ、各派ごとに開祖と本山をいだいています。

            


(*1)末法思想
 仏教の未来にたいする予言思想で釈尊入滅後2000年後には釈尊の教えを修行する人もいなくなり、絶望の時代に入るというもの。当時は釈尊の入滅をBC949年としており1052年(前9年の役が始まった翌年)が末法初年と考えられました。

(*2)法然(1132〜1212)
 美作(岡山県久米南町)の出身で13歳のとき比叡山に入り、当時のあらゆる仏法をおさめ、43歳のとき善道大師の「観無量寿経疏」に接して開眼、浄土宗を開きました。


法然上人像(智恩院蔵)

(*3)親鸞(1173〜1262)
 藤原一門の流れをくむ日野有範の子として生まれ9歳の時、比叡山に入り修行後法然の弟子となりました。35歳の時法然とともに越後に流され赦免後恵信尼と結婚、常陸国に渡り20年間の伝道生活ののち63歳の時京都に戻り、その後は多くの弟子や門徒の指導や著述に専念しながら90歳の高齢をもってその生涯を終えました。


親鸞絵像「熊皮の御影」
(奈良国立博物館蔵)

(*4)正定聚
 必ず仏となることが定まった人々

(*5)一遍(1239〜1289)
 四国の有力な武士の長男として生まれ、10歳の時母を失い出家しましたが、25歳の時父の死により還俗(僧侶をやめて俗人のもどること)。4年後再び出家して以後諸国をまわって修行の旅を続け、空也に始まった念仏踊りを広めました。


一遍上人像
(神奈川歴史博物館蔵)

(*6)栄西(1141〜1215)
 備中(岡山県高松市)の神官の子として生まれ、14歳で出家、19歳の時比叡山に入りましたが、当時の叡山の俗化退廃に失望、宗に渡り臨済禅を習得し帰国後臨済宗をひらきました。著書に「興禅護国論」がありますが、宗から持ち帰ったお茶を栽培し「喫茶養生記」を著しました。


栄西上人像(延暦寺蔵)

(*7)道元(1200〜1253)
 内大臣久我通親を父、前関白九条基房の娘を母として生まれましたが、3歳で父を、8歳で母を亡くしその後母方の叔父摂政関白の藤原師家に育てられますが、14歳の時に剃髪します。曹洞宗を開き「正法眼蔵」ほか多くの著書がありますが、54歳の若さでこの世を去りました。


修禅寺(伊豆・曹洞宗)

(*8)安房国(千葉県)小湊の貧しい漁夫の子として生まれました。12歳の時生家に近い清澄寺に入り修行、仏法の真髄を法華経に見つけ、辻説法などで日蓮宗をひろめました。
 幕府に対して法華経に帰依するように諌めた「立正安国論」など著作も沢山あります。


日蓮の辻説法・野田九甫画
(東京国立近代美術館蔵)

(*9)三大秘法
 「本門の本尊」・・・歴史上に登場する釈尊ではなく、
久遠実成の仏を本尊として修行の対象とすること。
 「本門の本尊」・・・「南無妙法蓮華経」を心に念じつつ口に唱えることにより成仏することができるというもの。
 「本門の戒壇」・・・本尊に向かってお題目(南無妙法蓮華教経)を唱えることによって人々が本尊と一体となることができる場所のこと。

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