梅花(能見堂跡)
万代よろづよとし来経きふともうめはな ゆることなくきわたるべし
筑紫前介つくしのみちのくちのすけ 佐氏子首さじのこおびと
〔万葉集 巻第五 八三〇〕

京浜急行金沢文庫駅西口を出て、右手の小川沿いに進み、踏切手前 を左折後、すぐ右折し道なりに進むと「六国峠入口」の標識があり、古道 の雰囲気を漂はせる山道を辿ると、15分ほどで早春の梅の香がほのか に匂う能見堂跡地が見えてきます。  能見堂は文明18年(1484)にはすでに廃絶してなくなっていたといわ れますが、元禄時代、その跡地から見た景観を、明の亡命僧心越禅師 が詠んだ「武州能見堂八景詩」によりその景観が人々に知られ、江戸名 所図会などに描かれたように多くの観光客で賑わいました。 今では1803年江戸の庶民たちの手で建てられた「金澤八景根元地」と 刻まれた石碑が残されているのみで、当時を偲ぶものは見当たりません。 能見堂跡地から続く道は、かって東海道保土ヶ谷宿につながる保土ヶ谷 道の枝道の「金沢道」でした。現在ではこの「金沢道」も 能見堂跡地から 約500メートルのところで途切れており、新道につけかえられ金沢自然 公園を経由する鎌倉ヘのハイキングコースとなっています。

金沢八景根元地とあるのは“八景は総て能見堂よりいづなり” というように金沢八景はここから眺める八景を起源としたものです

能見堂跡地へ向かう古道の雰囲気漂う金沢道
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