青葉の楓(称名寺境内)
かって称名寺の前に一本の楓がありました。 これは「青葉の楓」という金沢八名木の一つですが、古木は枯れてしまい、 平成10年5月に薪能が上演されたを記念して新たに植樹されました。 文明17年(1485)尭恵という歌僧が称名寺を訪れ、見聞した話を「北国紀 行」に残し、これが謡曲「六浦」に取り入れられて有名になりました。 |
謡 曲「六 浦」
都の僧(ワキ)が東国への修行の途中、六浦の称名寺に立ち寄ったところ、
山々の紅葉が今が盛りと見える中で、一本の楓だけが一葉も紅葉してい
ないので不審に思っていると、どこからともなく一人の女(シテ)が現れ
たので、旅の僧(ワキ)はそのわけを尋ねた。すると女(シテ)は次のように
答えました。
「シテ」
昔、鎌倉の中納言為相がこの寺に紅葉を見にきたとき、山々は
まだなのにこの楓だけがいち早く紅葉していたのを見て、一首
の歌をお詠みになりました。
Wいかにしてこの一本に時雨けん、山に先立つ庭のもみじ葉”
(どうしたのだろうか。この一本だけに葉を染める時雨でも
降ったのであろうか)
すると楓の木は
“高貴なお方からおほめの歌を頂いたのは 身に余る光栄です。
もはや功なり名とげたからには身を退くのが天の道”
といい、それ以後は紅葉するのをやめたのでございます。
「ワキ」
さてさて不思議、それほどまでにこの木の心に通じる貴女様は
いかなるお方でしょうか。
「シテ」
なにを隠しましょう。私は楓の精でございます。御僧も私にお目
を止められました。今宵ここでお経を唱え下さるなら、私も再び
現れましょう。
その夜、旅の僧がこの寺で読経していると楓の精が女体となって現れ、
四季折々の美しい草木を歌いながら舞い続け、夜も明けるころ静かに
朝もやの中に消えていきました。
(注 為相とは冷泉為相のことで 歌道・冷泉家の祖。
十六夜日記の作者・阿仏尼の子)
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